December 31, 2005

今のうちにやっておくべき事

2005年も残すところ今日だけになりました。


振り返ると今年もいろんなことがありました。今年の印象として残るのは、JR福知山線の脱線事故に代表されるような、秩序や信頼の崩壊ではないでしょうか。安全だと思っていた日本の鉄道が、実は利益優先で安全への投資さえおろそかにされ、個人の精神状態に大きく左右されるような信じられない脆弱さも暴露されました。

耐震偽装問題をあげるまでもなく目先の利益のみ追求するような人達の起こす事件も続発、アスベスト禍やBSE問題による健康不安や食品への不安も広がっています。粉飾決算や、システムトラブル、保険金の不払い、死亡事故、管制ミスや整備不良の連続など、大きくイメージを失墜する企業も相次ぎました。

小学女児殺害などの事件も連続し、治安への不安も増大し、相変わらず殺人に強盗や放火など凶悪な犯罪も多発しています。誘拐や傷害、詐欺やカード偽造などばかりでなく、自分さえよければいいという犯行も増えている気がします。ロンドンなど世界各地でテロも発生、 鳥インフルエンザ、国際原油価格の高騰、中国各地で反日デモなど、世界中で不安が増しています。

今年は、昨年暮れのインド洋大津波の続報から始まりましたが、米南部を直撃した大型ハリケーン、パキスタンの大地震、日本各地でも台風の被害が相次ぐなど、自然の猛威にもさらされました。各地で異常気象や自然破壊を目の当たりにする経験は、最近の人々の地球環境への意識の高まりを、世界的レベルで高めていると言えそうです。

予想より早く人口減も始まりました。長期的に見れば、転換点の年として長く記憶に残るかも知れません。出生率もさらに下がって、1.26前後になるようです。もちろん少子化だけでなく、年金や医療、福祉を支える国家財政や制度への不安も広がっています。

資源の無い日本は、ものづくりの技術によって世界に冠たる経済大国へと発展してきました。その技術を支えるのは人材です。少子高齢化社会を支える意味でも人数は必要ですが、人数が減れば人材も減り、技術力も落ちるのは自明の理です。

赤道直下の太平洋にナウルという国があります。面積21平方キロメートル、人口約1万人の小さな島国です。19世紀末に国土の9割にリン鉱石があることが判明し、1968年の独立後90年代までは、一人あたりの国内総生産がサウジアラビアに次ぐ世界第2位という、世界有数の豊かな国でした。ところが、90年代の末に鉱石を掘り尽くし、国の財政が破綻しました。

国民の暮らしは激変どころではありません。日本のように好きなだけクルマやオートバイを買えたのが、燃料すら買えなくなりました。かつて、住宅や医療、教育など全額国費でまかなわれ、食料はほぼ100%輸入でしたが、飲み水にすら困る状況に陥ったのです。

まさしく悪夢、瞬く間の転落というほかはありません。経済的に余裕のある時にやっておくべきだったことは多いはずです。そのことに気づき始めた時には、もはや手遅れだったのかもしれません。ナウルをあざ笑うつもりは毛頭ありません。

むしろ、規模や原因、構造や経過は違っても、日本の未来への警鐘、教訓として捉えるべきでしょう。郵政民営化や道路公団の解体も必要だとは思いますが、その改革は掛け声ほどの実効をもたらすのでしょうか。小泉首相は郵政民営化で公務員の人数を減らすと主張していましたが、郵便局員の人件費は税金から支出されているわけではありません。確かに財政投融資の資金の流れを改革する意味は認めますが、問題はワンフレーズですむ単純なものでもありません。

多くの人が先行きへの不安を感じ、人口減と言う未知の領域に突入しました。国の財政赤字は凄まじい勢いで急速に膨れ上がっていることは、みんな知っているけど、見て見ぬ振りをしています。国家がデフォルトに陥って国民が塗炭の苦しみを味わう例は、世界にも歴史にも、いくらでも見つけられます。危機感は持っていても、結局転落を迎えた例も多いわけです。

心臓の悪い人は見ないで下さい

私達は、戦中戦後の苦しい時代を歴史としてしか知りません。ずっと豊かだったことが当たり前で、それが失われることに実感が沸きません。みんな、誰かがどうにかしてくれると思っています。まだ江戸時代から続いた国民性、「お上」が決めること、という感覚があるのかもしれません。不満は表明しますが、それだけではどうにもならないことも判っています。それでも、なすすべも無く見ているだけしかないのでしょうか。

民主主義とは言っても、一人の出来ることには限りがあります。しかし、選挙で投票するくらいしか出来ないからと言って、座視していていいものでしょうか。そんなことを言ってもどうにもならないと、目をそむけ、享楽だけを追い求めていていいものでしょうか。

そんな疑問が浮かんできます。では何が出来るのだ、と言われるかもしれません。難しい問題です。抽象的に聞こえるかもしれませんが、私はまず一人一人が意識を変えることだと思います。

もちろんそれだけでは、少子化対策をすすめ、治安や生活の満足を高め、将来の国民生活への希望を取り戻せるわけではありません。国家財政の健全化をはかる一方で、高度経済成長時代のインフラの更新もし、将来の科学技術や産業振興への投資も行い、世界平和にも貢献するなんて出来るとは言えません。

しかし、まず自分の出来ることを、少しずつでもやるしかありません。その姿勢を見て、刺激を受ける人も出てくるでしょう。今どき、友達と議論することも皆無に近いかもしれませんが、日本人の普段の会話の中にも、少なくとも世界の平均レベルくらいは政治の話題が出てくるようになるべきだと思います。

先進国の多くは、少なくとも日本人より政治の話をする国が多いのではないかと思います。日本では、政治の話なんて面白くもないと、そんな話をするヤツは、と変な目で見られるでしょう。世界から見たら、日本人は信じられないほど政治ボケの国民なのです。

一人の意識の高まりが、他の人の考えに影響を与え、最初は僅かな思いが、大きな動きへと発展することもあるはずです。昔と違ってインターネットで個人も発信する術を持ち、国民世論が政策を動かす可能性も増えています。

議会制民主主義を否定するものではありませんし、もちろん直接民主主義とは行きませんが、新しい民主主義の形が生まれてくる可能性も秘めているような気がします。世界を知れば、今の国民生活がいかに幸福であって、歴史を学べば、当たり前どころか稀にみる幸運であることは誰でも理解できるはずです。そして、そんな今こそ、私達は行動を起こすべきなのではないでしょうか。

国家財政の問題や、福祉や生活のことだけではありません。テロや戦争、大震災や疫病の蔓延に巻き込まれる可能性もあります。いたずらに脅威とあおるつもりはありませんが、東アジアの外交問題だけでも楽観できないのも間違いありません。

中国やインドという10億単位の人口を持つ国の経済発展のもたらす世界への影響は、エネルギーや食料、環境破壊だけでも、今までの常識では測れない軋轢を生む可能性もあります。グローバルな経済の中で、我々の生活も左右されますし、もちろんもっと大きなレベルで地球環境についても考えるべき時が来ているようです。

安全保障や経済システム、気候変動や人口爆発、様々な要因から考えても、大きな歴史の転換点に立っている意識はもってしかるべきでしょう。そして、誰もが単なる傍観者たりえず、必ず影響を受けることになるはずです。自分を取り巻くものを認識し、何が出来るか考えてみるべきかもしれません。そして、例えそれが小さな一歩だったとしても、踏み出すべき時のような気がします。




◇ ◇ ◇

今年一年、稚拙な文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。コメントをいただいたり、読んでいただいているという手応えに励まされ、続けて来れました。また来年も、自転車を中心にいろんなことを書いていければと思っています。来年もよろしくお願いします。
もうすぐ、ですが、皆様よいお年を。

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