June 09, 2008

悲劇がなるべく起きない社会

また悲惨な事件が起きました。


日曜の白昼、東京秋葉原の歩行者天国で通り魔による無差別な殺傷事件が起き、合わせて17人が死傷しました。おそらく何が起きたのかも分からぬまま命を絶たれた人もあったでしょう。何の落ち度もない人々が理不尽にも殺害され、突然その将来が断たれるという許しがたい犯行です。

インターネットの掲示板に犯行予告や実況を投稿するなどの異常な面も報道されています。計画的な犯行であり、誰でもよかった、自殺出来ないから死刑になりたかったという身勝手極まりない動機も、歩行者天国にトラックで突っ込み、無差別にナイフで刺しまくるという残虐な手口も到底許されるものではありません。

秋葉原の無差別殺傷事件殺された方の無念、残された家族の方の怒りや悲しみは察するに余りあります。犯人にいかなる事情があったのかはわかりません。しかし、例え世を厭い、将来に絶望して死にたかったとしても、全く無関係で罪もない人々を殺すことで死刑になろうとするなんて言語道断、斟酌出来る事情なんてないと誰もが憤るに違いありません。

「誰でもよかった」「むしゃくしゃしていた」「人を殺したかった」「死刑になりたかった」、先日起きた茨城の荒川沖の通り魔事件や、鹿児島でタクシー運転手を殺害した自衛官の事件などとも共通します。最近多い気がしますが、こうして自殺する代わりに死刑になろうとする行為は「拡大自殺」と呼ばれています。

むしゃくしゃしていたくらいで殺人事件を起こされたのでは、たまったものではありませんが、最高刑の死刑ですら恐れるどころか、むしろ死刑になることを望むわけですから、抑止力は全く効かないことになります。こうした犯行を防ぐ手立てはないのでしょうか。

秋葉原通り魔事件官房長官はナイフ所持の規制強化に言及しています。しかし、現状でも刃渡り6センチを超えるものは正当な理由なしに携帯出来ないことになっています。街中で、いちいちその所持を調べる方法もありませんし、ナイフだけが凶器ではなく、問題の解決にならないことは明らかです。むしろ官房長官の認識の低さを物語るコメントです。

抑止を有効にするため、更に刑を厳しくするべきと考える人があるかも知れません。つまり、死を望む犯人ですら恐れ、そんな死に方はしたくないと思うような死刑の方法を取り入れることです。現に世界や、日本でも過去にはそうした処刑方法が取り入れられていた時代がありました。

しかし、これは日本国憲法第36条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」とあり、「絶対に」という異例の強い表現で明確に禁じられています。火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでといった残虐な死刑の方法を採用することは出来ません。死刑はこれ以上厳しく出来ないわけです。

最初から死刑を覚悟しての犯罪は、規制の強化や刑罰の抑止力で防ぐのは困難と言わざるを得ません。むしろ自殺対策を推進する必要があるのではないでしょうか。もちろん自殺は犯罪ではなく、凶悪犯罪である今回の事件と厳密に区別する必要はありますが、「拡大自殺」という意味では根底に共通する部分がありそうです。

かつて交通戦争とまで呼ばれた交通事故による死者数が、平成18年には6千3百人にまで減少したのに比べ、自殺者は増大し、いまや3万人を超えるまでになっているのに対策は遅れています。先進諸国で第1位の自殺率にも関わらず、一昨年ようやく自殺対策基本法が制定され、対策はやっとスタートラインに立ったに過ぎません。

秋葉原通り魔事件自殺防止のための相談やカウンセラーの配置などの対策は、そのほとんどがNPOやボランティアによるものであり、多くが資金難に直面していますが、行政の支援体制は整っていません。政治家の危機感も薄いのが現状です。自殺は個人の勝手と見るような風潮が背景にあるのかも知れません。

最近問題になっている硫化水素による自殺もそうですが、ビルからの飛び降り自殺で他人を巻き込む例もあります。結果として電車の運行を妨害するのも日常的な出来事になっています。自殺願望が今回や池田小の児童殺傷のような惨劇を引き起こす側面も無視できません。見知らぬもの同士の集団自殺も珍しくなくなりました。

年間の自殺者は3万人超ですが、未遂はその10倍とも言われ、重篤な後遺障害が残ることもあります。家族の受ける精神的、経済的なダメージも小さくありません。社会としての損失も拡大しており、もはや自殺は個人の勝手と傍観するわけにはいきません。

もちろん、その対策の難しさは否定できません。人によって背景や理由も違うでしょうし、必要となる精神的なケアの難しさは極めて高いハードルです。自殺を決意した人が、他人の意見をきく余裕があるわけもなく、「死ぬ気になれば何でも出来る」とか、「家族の為に生きて欲しい」などという言葉は全く無意味と言われています。

秋葉原通り魔事件また例えば、被害が無関係な人にまで及ぶくらいなら、いっそのこと、自殺願望を持ち、ネットでその方法を探すような人たちに、その手段を与える施設をつくって、自殺を決意した人を1箇所に集めることが出来るなら、その後自殺を思いとどまらせたり、カウンセリングなどの対策をとることも可能かも知れません。

しかし、当然現実はそんなに単純ではありません。もちろん国が犯罪である自殺幇助をするような施設をつくるわけにもいきません。実際は、誰がいつ・どこで・どんな方法で自殺するかもわからず、わかったとしても未然の阻止は極めて困難であることは、そばに家族がいても防げないことが多い事実が如実に物語っています。

自殺が未遂に終わったり、自殺願望から抜け出すことが出来た人に聞くと、「なぜ、あれほど死にたいと思ったのか分からない」とか、「深い理由もないのに、なぜか死にたかった」などと話すそうです。本人ですら分からないことがあるのに、それを防ぐというのも困難です。

うつ病などのケアは重要ですが、個々に対応して自殺を減らすのは難しいと言わざるを得ません。しかし、自殺の理由や背景にある要因を減らすことが出来れば、結果として自殺者を減らすことが出来るはずです。フィンランドなどで、自殺の報道方法を変更するなどして、自殺者の減少を達成している例もあります。

秋葉原通り魔事件自殺の理由はさまざまでしょう。いじめや失恋、健康上の理由や肉親の死などの喪失感も少なくないでしょうが、学業や就職、進路などの問題、失業、借金など経済的な理由も多いようです。つまり将来に対する不安が、絶望や厭世となり、自殺の背景となっていると言えそうです。

社民的な政策をとるヨーロッパ諸国(英国を除く)と比べ、日本やアメリカは社会福祉の充実度が低いと言われています。何らかの原因で長期に失業すると、ホームレスにならざるを得ない社会です。昨今日本でも終身雇用は崩壊し、多くがそのリスクを抱える一方で、セーフティネットが整っていません。

年金や医療、介護の心配もありますし、少子高齢化の進展も危惧されます。非正規雇用が増え、正社員でも残業が長時間化し、ストレスは溜まり、健康も損なわれています。将来に安心や希望が持てず、不安が増大していることも悩みの背景にあるのは想像に難くありません。

生きていく上で、もっと過酷な国もあるわけですが、そうした国の自殺率は極めて低く、豊かな日本のほうがはるかに高くなっています。これは絶対的な不幸が原因ではなく、他人と比べて幸福を感じられないことが自殺の原因となるからと言われています。このことは多くの示唆を含んでいると思います。

凶器は武器のダガーナイフ日本人は特に他人と違うこと、孤立を恐れます。他人と比べて幸福を手に出来ない、劣っている、自分だけついていけない、取り残されるといった劣等感や絶望感、屈辱、挫折といった感情、あるいはプレッシャーに晒され、それに耐えきれなくなって自殺する傾向が認めらます。

当然、ここのところ指摘されている極端な格差の解消やセーフティーネットの充実が求められるでしょう。年金や雇用など、将来に対する不安の解消も重要です。景気の回復も含め、これらが実現できれば理想ですが、こうした抜本的な状況の改善が一朝一夕にいかないのも事実です。

しかし、それに向けた道筋を示し、今すぐでなくても将来に希望を持てるようにすることは出来るはずです。むしろ将来に向けたビジョンを示し、希望を与えることこそ政治に求められることであり、同時に今の日本の政治に最も足りない部分のように思えます。

現場に献花台他人と違ってもいいし、ステレオタイプな成功だけが幸福ではないといった価値観の見直しも必要かも知れません。自殺を防ぐ直接的な対策として雇用関連への取り組みも急務ですし、犯罪や自殺による社会損失を考えれば、直接的な救済や、雇用機会の提供なども考えられるでしょう。

政治家に自殺対策に対する認識が低いことは、世論の関心が低いことにほかなりません。今回のような事件がなくても、自殺対策の必要性は減じられません。社会の歪みや劣化の兆候、抱える問題を端的に表しているという点でも軽視すべきでなく、決して他人事ではありません。

自殺の根本的な背景にあるものを改善していくことは、自殺対策としてでなくても有益であり、直接、間接のさまざまな社会的損失を防ぐことは全体の利益でもあります。まず我々が、自殺という不幸がなるべく起きない社会を目指さなくてはならないとの認識を新たにする必要があるのではないでしょうか。



そんなに頻繁に行くわけではありませんが、私も当日現場にいたとしてもおかしくありません。その意味でも他人事ではありません。犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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秋葉原で無差別殺人【虎哲徒然日記】at June 12, 2008 19:13
この記事へのコメント
極端なことをいえば、悲劇を起こさない社会って
いうのはつまり「何も目指さない社会」という事
にもなるかと思います。

「経済的損失」だとか「機会費用」だとかいうエ
ゴイスティックな指標を必要以上に強調すればあ
ちこちにゆがみが出てきて当然かと。

社会があくまで目的じゃなくて道具だという事に
気がつきさえすればそれでこういう問題は自ずと
激減してくるのでは・・・。
Posted by 鉄下駄 at June 10, 2008 13:51
鉄下駄さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
正直言いますと、何も目指さない社会とおっしゃる意味が、今一つピンとこないのですが、だだ自殺に追い込まれる人を、なるべく減らすことができれば、と思うのです。
悲劇を起こさない、起きないというのは、ありえないとしても、少しでも減らせないものか、減らすべく取り組むべきではと考えます。
自殺に追い込まれるというのは悲惨なことですし、それが交通事故死者の5倍にもなるのは憂慮すべき事態と言えます。もちろん社会の歪みをゼロには出来ないにしても、例えばメキシコやブラジルなど中南米の国々の自殺率は、日本よりはるかに低いわけで、日本も見習うべき部分があるかも知れません。
社会が目的ではないことには同意しますが、その社会を、少しでもよくしたいと考えるのは社会性の動物である人間の本質ではないかとも思うのです。
Posted by cycleroad at June 10, 2008 23:51
サイクルロードさんの、根本の原因対策に、敬意を持って賛成します。
私は最初、死刑にされることを計算に入れた犯人に対して安易に死刑にしてしまったら犯人の思う壷だから、犯人の体にナイフを突き刺し回復を待ってまた突き刺す罰を、今回犯人がナイフを使った回数だけ繰り返せば、死刑形式の自殺行為を防ぐことが出来るのではないかとさえ思いました。他人に迷惑を掛けないで自殺しようとする人は普通物凄い恐怖と痛みに耐えながら死んでいくのに、自分だけは死刑のプロに苦しみもなく殺して貰うというのが許し難かったのです。
Posted by KYA at June 11, 2008 20:31
 しかし、私の考えた方策は憲法に違反するということが分かったし、戦前の特高警察的取調べ復活の口実にされかねないので、やはりサイクルロードさんの根本対策を国民全体で考えなければならないのだと思います《しかし、歩行者天国の入り口に車用のバリケードなどの対応策は、直ぐにもしなければならないと思いますが》。

 事件再発防止の為に、先ず今の派遣社員に代表される非正規社員と正規社員の差別社会を加速したのは誰なのかを考える必要があります。
Posted by KYA at June 11, 2008 20:34
 国会でその非正規社員の増加を追求され、首相が「派遣でもいいから働きたいという人の為には必要な制度だ」という意味の答弁をした時の顔を私ははっきり覚えています。しかし、派遣を増やしてもいいという法律を作ったから正社員の募集が減ったのです。正社員の枠を減らしておいて「派遣でもいいから・・・・・・」というのを口実にするというのは実に卑劣な欺瞞です。そういう欺瞞を見抜けずに、その首相の復帰を望む人がナント2割以上も居るのですから、現在の差別社会を作ったのは我々有権者なのだと考える必要があると思います。
Posted by KYA at June 11, 2008 20:38
 サイクルロードさんが指摘していた年金問題でも、「現在の年金制度は積み立て方式ではない」為、将来「2人の現役が3人の高齢者を支える」という大キャンペーンに国民はマンマと騙されてしまいました。現在年金を貰っている人の若い頃は、まだ誰も年金を支給されていないのに、例えば厚生年金の場合、給料から多額の保険料を天引きされ、会社もお金を払って積み立ててきました。つまり厚生年金の場合、従業員と会社と政府の3社の長期の保険契約に基づいて年金が支払われているのであって、高齢者が現役世代に「支えられている」のではないのです。

 そういった欺瞞を見抜けなかった国民が、現在の希望の光の見えない社会を作ったのだと言えるのではないでしょうか。
Posted by KYA at June 11, 2008 20:42
 無差別殺人犯は、自分は現在の格差社会の「負け組み」で「勝ち組の奴ら」をなるべく多く殺したかったのでしょう。しかし「勝ち組」は秋葉原で買い物をしている人ではなく上述の「騙すのに成功した人」であり、「負け組み」は騙されて現在の社会を作ってしまった国民側なのです。
Posted by KYA at June 11, 2008 20:45
KYAさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
あまりに理不尽な動機に、いわゆる応報感情は多くの人にあるかも知れませんね。刑罰としての極刑が、犯人の思うつぼなんて許しがたく、また無力感を感じる人は多いと思います。犠牲となられた方の無念は、はかり知れませんが、せめて再発を防止するための方策を考えたいものです。ご賛同いただき、ありがとうございます。
今日あたりのニュースですと、秋葉原の歩行者天国も中止されるようですし、一部のナイフの所持禁止への議論も起きているようです。しかし、歩行者天国でなくても犯行は起こりえるでしょうし、ナイフだけが凶器ではないと思うので、根源的な対策にならないのは明らかです。ただ、この事件の与えた衝撃が、こうした動きを促しているのも事実なのでしょう。(続く)
Posted by cycleroad at June 12, 2008 22:37
(続き)
非正規雇用が大幅に増えた今の雇用実態が、昨今目立っている様々な問題の背景にあるのは誰もが認めるところです。派遣業法の改正が当初議論されていたものと大きく性格が変わってしまったところに、政官財のもたれ合い構造が指摘されています。
年金だけでなく、道路特定財源にしても、さまざまな官僚の不祥事、無駄使いにしてもそうですが、結果として、そんな政治家を選んできた我々有権者の責任ということについては、まさしくその通りだと思います。政治に関して無知で無関心な有権者が、自らの首を絞めている形になっています。
今、衆参ねじれ現象で政局の行方も不透明な情勢ですが、自民党でなくても、長期政権になれば腐敗するのは、古今東西、例外はありません。社会の歪みやツケが溜まりに溜まった状態なのでしょう。(続く)
Posted by cycleroad at June 12, 2008 22:37
(続き)
この無法な犯人が許しがたいのは当然としても、この犯人を生みだしたのも私たちの社会です。でも単に歪んだ社会のせいにするのではなく、その原因は政治にあり、結局我々有権者にあることに思いを致すべきなのも同感です。
そう考えると、まず私たちが政治にもっと関心を持ち、選挙権を行使し、よりよい政策が実行されるようにしていかなければなりません。間接民主制なので、まどろっこしい部分がありますが、遠回りなようでも、それでしか政治は変えられません。有権者としてが政治への関心を持ち、参政への意識を高め、まず私たちが変わっていく必要があるということなのでしょうね。
P.S 仕様のせいで、何回にも分けて投稿させてしまって申し訳ありません。
Posted by cycleroad at June 12, 2008 22:38
>cycleroadさん

料理人が素材をおいしくしようとする時に、時には
手をかけないことが答えになることもあるのでは。

私のコメントはあくまで極端なことを述べたまでの
ことですが・・・。
Posted by 鉄下駄 at June 17, 2008 18:03
鉄下駄さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かに、人によって背景はそれぞれでしょうから、いろいろな対策を打つことが、必ずしも解決に結びつくとは限らないかも知れませんね。
「明」の部分があれば、「暗」の部分が出来るのも避けられないという意味では、「暗」だけを消すわけには行かないのも確かでしょうね。
Posted by cycleroad at June 18, 2008 23:48
 
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