道端に立っている「道路標識」ではなく「道路標示」、矢印で車線を示したり、制限速度を表示したり、「止まれ」などと路面に描かれているペイントのほうです。「スクールゾーン」とか「行き止まり」「飛び出し注意」など、場所によっていろいろな標示があると思います。
どれも法令に基づき、交通の規制や指示、注意喚起などのためにペイントされるものです。分かりにくい交差点では行き先の地名が描かれている場合もあります。安全に走行し、事故を防ぐために、道路の脇に立っている道路標識と共に重要な役割を果たしています。
たまに消えかかったものを塗りなおしている工事を見ることがあります。当然ながら、どれも原則として警察や公安委員会などがペイントするものであり、それ以外の人が勝手に何かを道路に描くことは許されません。余計なことが描かれていたら混乱して危険ですし、そんな標示は見たことがありません。
ところが、そんな路面標示をキャンペーンの広告のように使ってしまった都市があります。ニューヨークです。道路に広告のキャッチコピーのような文章が、道路標示と同じ白い塗料でペイントされています。交差点の中だったり、何車線分にもわたって大きく描かれているものもあります。
消えかかった横断歩道の上にまで描かれているものもあります。長めの文章で、交通量が多ければ全部は見えないと思われるものもあります。そのために止まるわけにもいきませんし、クルマで通っただけでは、なんて描いてあるのか把握できないことも多いに違いありません。
実はこれ、“
Bike Like a New Yorker ”というキャンペーンのための標示なのです。驚くことに、“
BikeNYC ”や“
Transportation Alternatives ”というNPOが、行政当局とも連携し、広告代理店を使って大々的に始めたキャンペーンの一環なのです。
世界を代表する大都市、パリ、ロンドンに続いて、この夏ニューヨークでも、都市型の自転車シェアリングシステムがスタートする予定でした。残念ながら準備の都合でスタートは来春に延期されてしまいましたが、それに先行して行われているキャンペーンです。
サイクリストへの注意を促したり、クルマと自転車との道路のシェアなどを訴え、ニューヨークも自転車の街へと変貌することを広く周知しようというわけです。何しろ、ニューヨークのバイクシェアリングは、マンハッタンとブルックリン、クイーンズに420箇所ものステーションを設置する大規模なものです。
シェアリングされる自転車の台数も当初7千台、後に1万台以上に拡大される予定です。単なる貸し自転車とは違い、自転車を共有し、都市交通システムとして使うには、こじんまり始めても意味がありません。ある程度の規模がなければ、その利便性や効用は発揮されず、市民の利用も進まないでしょう。
“Citi Bike”と名づけられた、このニューヨークの自転車シェアリング、スタート前から大きな注目が集まっていました。延期になってしまったのは残念ですが、いよいよ来春のスタートに向けて、市民やニューヨークを訪れる人などに対しても周知を進め、スムースなスタートを目指す第一歩が始まったというわけです。
半年ほど先行して、自転車シェアリングへの認知度を高めると共に、“
BikeNYC.org ”というサイトの開設を知らせるのも目的の一つです。このサイトは、ニューヨークで自転車に乗る市民や訪問者、観光客など全てのバイカーに対してさまざまな情報を提供するサイトとして設置されています。
もちろん道路標示だけではありません。自転車関連やそれ以外の雑誌や出版物、ポスター広告、ビルなどの壁面への大型の広告もニューヨークのいたるところに出されています。道路の標示を見て、その意味するところが把握できなかった人は、街頭広告やウェブなどで確認できます。
上空からクルマが隠していない瞬間を狙って撮影した、全体の写真だと文章として把握できますが、クルマで通った一瞬だと確認は難しいものもあります。でも、逆にそれだからこそ、運転の支障にはならないのかも知れません。何だろうと思わせれば、後でネットなどで確認したくなるでしょうから、それで充分なわけです。
この“Bike Like a New Yorker”というキャンペーン、ドライバーやサイクリストに対する告知と共に、啓発や広く市民に自転車の利用を推奨、呼びかけるものでもあります。従来はニューヨーカーと言う言葉に、自転車のイメージはなかったわけで、ニューヨーカーのように自転車に乗ろうというフレーズはシャレています。
ひとくちにニューヨーカーと言っても、いろいろな人がいます。自転車が、一部の人だけの乗るものだった以前と違い、通勤通学に使うなど、近年利用者が増え、一般的になってきました。バイカー、自転車乗りもニューヨークの市民であり、自転車が一般的になってきた現状を改めて認識させます。
ニューヨークでは、ちょっとの距離でもタクシーを使う人が多いと思います。地理に明るくない旅行者には便利なのですが、市民が皆クルマで移動すれば、渋滞に拍車がかかります。上のフレーズ、タクシーの運転手に仕事をさせないと言うと、運転手組合から反発が起きそうですが、ひねった言い方が面白いと思います。
サイクリストに腹を立てるドライバーはリラックスするための趣味が必要です。自転車に乗るのはどうでしょう、という提案です。これもウィットに富んでいます。でも、ふだん乗らない人が試しに自転車に乗ってみれば、いろいろわかるのも確かで、あながちジョークだけではありません。
歩行者を優先したからと言って、歩くより能力が劣るようになるわけではないと言うのは、ドライバーだけでなくサイクリストにも当てはまる啓発でしょう。自転車であっても歩行者を優先するのは当然なのですが、例えば青信号での横断者を立ちすくませるくらい、その直前をすり抜けるような輩がいるのも確かです。
これは少し意味がわかりにくいかも知れません。 "screw" と "you"を別々にすると何のことか意味がわかりませんが、 "screw you"だと、スラングで「くたばれ」とか「バカ野郎」くらいの意味になります。つまり、「バカ野郎」の代わりに「すみません」を試してみてください、とスマートに言っているわけです。
ニューヨークでは南北方向の通りが "Avenue" で東西が "street"ですが、"Avenue"という単語には、手段や方法、目的を達成するための道といったような意味もあります。これは通りと懸けていますが、「道路本来のスピードを実現するための方法」くらいの意味だと思います。
自転車は事実上、ニューヨークの道路で最速の移動手段です。渋滞するクルマより、平均時速はずっと上です。同時に、自転車を活用する人が増えることで、渋滞を減らして、クルマの巡航速度を上げることにもつながるということでしょう。
道路に文字を書くにしても、例えば「自転車に注意」とか、「交通安全」といった、ありふれた言葉を描くのでは面白くも何ともありません。広告のキャッチコピーのようなユニークなフレーズが描かれていることで興味をひきます。話題を提供し、広範な効果も期待できるに違いありません。
ニューヨークでの自転車の活用推進については、これまでも度々取り上げて来ました。ブルームバーグ市長は積極的に自転車の活用を推進する政策を掲げ、自転車レーンや駐輪場などのインフラ整備にも力を入れていることで有名です。ニューヨークでは自転車人口も自転車レーンも大幅に増えています。
この“Citi Bike”も自転車政策の一環です。こうした自転車活用策を推進することによって、ニューヨークの酷い渋滞を緩和すると同時に、都市交通の一つとして機能させることで都市の移動の利便性も向上します。環境への負荷を減らし、市民の健康にも寄与し、医療福祉予算の低減にもつながります。
ちなみに、ニューヨーク市は炭酸飲料の特大サイズ容器の販売禁止を決定し、大きな話題になりました。肥満はそれほど深刻であり、米国人の生死に関わる問題だと大真面目の政策です。市民の健康のためですが、同時に6割の市民が肥満と言われる同市の肥満のための医療予算は年間推定40億ドルにも上るのです。
道路に直接描くという意表を突いた手法も、ニューヨークのこうした姿勢があるからこそ出来たキャンペーンなのかも知れません。ポスターや看板だけでもいいわけですが、まさに「現場」である道路を使うことで、ニューヨークの道路政策の方向性を効果的に人々にアピールしていると思います。
ニューヨーカーの間でもこの屋外広告は評判になっていますが、日本では、ちょっと考えられません。東京では自転車レーンのラインすら、なかなか引かれません。それどころか、自転車にナンバーをつけろなどと言う人が出てくる始末で、お話になりません。
歴史のあるパリやロンドン、世界の首都とも評されるニューヨーク、世界の大都市はクルマ優先から自転車活用へと大きく舵を切っています。一方で日本の都市では、自転車が歩道を走るという欧米人から見るとクレージーな状態です。彼我の差は小さくありません。
ニューヨークでは近年、交通政策を大きく転換し、道路を整備して自転車の活用へと大きく踏み出しています。長らくクルマ優先できた弊害を改めるべきと見るや、その実行に躊躇はありません。こうしたインパクトのあるキャンペーンも、人々の長年の考え方や意識を変えるきっかけとなる可能性があります。
日本では考えられないようなスマートで大胆な手法ですが、このキャンペーンの手法自体を真似しろと言うつもりはありません。しかし、こうしたニューヨークの大胆に変革を進める姿勢、過ちを改むるに憚らない姿勢というのは、大いに見習うべきではないでしょうか。
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