March 09, 2013

気持ちに余裕があるかどうか

「忙しい」は現代人の枕詞のようになっています。


「忙しい現代人は、..」と決まり文句のように語られます。会合に出たりすれば、「本日はお忙しい中、お集まりいただき..」が常套句ですし、時間をとって人と会えば、「お忙しいところ、すみません。」と、例えヒマだったとしても言われます。現代人は忙しいのが当たり前のようです。

都市部に限ったことではないでしょう。都会に比べれば、はるかにゆったりとした時間が流れているように思える山間部であっても、例えば近所に何か頼みごとをする時は、「忙しいところ、悪いね。」と話したりします。もちろん、農村部なら農繁期はネコの手も借りたい忙しさでしょう。

メールボックスそれが、例えもう農作業を手伝わない高齢者だったとしても、寄り合いに出かけたり、病院へ行ったり、それぞれ用事がいろいろとあって、忙しいのは変わらなかったりします。現代人は、おしなべて忙しいものというのが前提、共通認識になっているようです。

しかし、本来は現代文明のおかげで、忙しくなくなっていても不思議ではないはずです。郵便や電報がケータイや電子メールになり、連絡は著しく速くなりました。図書館へ行って文献を調べていたのが、今はインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入ります。

ガリ版印刷がパソコンとプリンタやコピー機になったり、汽車が新幹線や飛行機になったおかげで、大幅な時間短縮になったはずです。今は、さらにテレビ電話などを利用すれば、離れていてもリアルタイムでコミュニケーションがとれます。

そろばんコンピュータやネットワーク技術が進歩し、ケータイやスマホが普及し、クルマや鉄道、航空機で自由に移動し、技術革新によって、あらゆる部分で大幅なスピードアップが図られています。本来であれば、それまでと比べて劇的に時間が短縮され、時間は余っていてもいいはずです。

家庭でも、家電が普及し進歩したおかげで、洗濯でも炊事でも掃除でも、はるかにラクになりました。全自動洗濯機のおかげで、洗濯にかかっていた時間は大幅に減り、そのぶん忙しくなくなったはずです。昔と比べれば、家事労働の時間だって大幅に短縮され、余っていてもおかしくありません。

座敷箒しかし、現代人は短縮できた時間を、そのまま余らせておくことはしません。また新たに別のことに充てようとします。昔と比べれば、はるかに時間が余るはずなのに、むしろ時間が足りません。現代人は忙しいと言うより、少しでもやることを増やして忙しくしたい、つまり忙しいのが好きなのかも知れません。

趣味やスポーツとして乗る人は別としても、多くの人が自転車を使う理由は、その速さでしょう。もちろん、歩くよりも自転車のほうがラク、疲れないということもあると思いますが、仮に駅まで徒歩で20分かかっていたのが、自転車を使えば5分で着きます。

そこで15分、時間が短縮出来た計算になるわけですから、自転車を降りてから、その15分を例えばメールのチェックやスマホを使う時間にすればいいはずです。ところが、15分も短縮したのに、さらに自転車に乗りながらメールチェックをして、時間を短縮しようとする人が少なくありません。

急行「天の川」徒歩に比べれば相当に時間が短縮できるわけですから、ゆっくり走行しても良さそうなものですが、更にスピードを上げることで、4分や3分に短縮しようとする人もいます。それが危険な走行や、赤信号無視などの交通ルール違反などを招く素地にもなっているのではないでしょうか。

実際には、自転車を使うことが標準になってしまうと、もはや余剰の時間は無くなってしまうのでしょう。15分速くなるなら、そのぶん遅くまで寝ていたいという人もあるかも知れません。しかし、自転車で走行する時間にしわ寄せがいくと、見えない事故のリスクが増大していることには注意すべきです。

洗濯板さて、現代人は自ら忙しくする傾向があるわけですが、そのことを自覚し、あるいは反省し、変えようと考える人もいます。技術革新で便利になって時間が短縮されたのに、どんどん用事を入れて、自ら忙しくするのはやめようと考える人たちもいます。

渋滞などでイライラし、少しでも速く行きたいと目の色を変えて運転しても、結局のところ到着時間は、あまり変わらないということは、冷静に考えればわかることです。何をするにも焦ったり、急いだりする、何かに追われているかのような生活をしていることに気づき、それを変えようとする人もいます。

例えば、忙しいからと言って、食事を時間のかからないファーストフードで済ましてきたことに、ある日疑問を感じます。時間は短縮できても、そのぶん身体に悪い添加物が多かったり、高カロリーだったりします。食事本来の楽しさを味わうことも忘れています。

ファーストフードへの疑問や危機感から、伝統的な食文化や食材を大切にするのがスローフードですが、そこから派生したスローライフという考え方から、食事もゆっくり時間をかけて楽しむようなスタイルに変えるわけです。時間を短縮するよりも大切なものがある、もっと楽しむことが大事だという考え方もあります。

同じように、自転車に乗るのにスピードを出すのではなく、ゆっくりとしたスピードで楽しむことを提唱している人たちがいます。“The Slow Bicycle Movement”です。もっとゆったり走っていた時代の自転車文化を取り戻そうという主張でもあります。

The Slow Bicycle Movement, www.slowbicyclemovement.orgそこでは、最高でも時速15キロ程度のスピードにして、ゆっくり走るという提案をしています。それでも徒歩の4倍近い速さですが、もっと普段着で自転車に乗ろうと呼びかけます。わざと遠回りをしてもいいと提案します。ゆっくりと、穏やかで、冷静で、礼儀正しい乗り方をしようと訴えています。

周囲のイライラには微笑みを返し、暴力的な走行は差し控えようと呼びかけています。そのくらいのスピードであれば、いつもの街に、何か面白いものを発見できるかもしれません。脇見を推奨するわけではありませんが、スピードを出していたら目に入らないものも見えてくるはずだと言います。

ゆっくり走っていれば、街を行く誰かに声をかけたりすることも出来るでしょう。それが例え知らない人であっても、コミュニケーションがとれるような速度です。何か危ないことがあれば、すぐに止まれます。坂や危険な場所は、押して歩いてもいいはずです。

クルマのドライバーとも、アイコンタクトをとり、微笑んで合図をしたり、先を譲ったりすることが出来ます。大汗をかくことなく、爽やかに走ることになるでしょう。通過する路面電車や川を行くボートに手を振るような余裕も出てくるに違いありません。

信号が変わりそうになったら、余裕を持って止まれます。無理して行くのではなく、むしろ止まるほうを選ぶようになります。信号待ちでは伸びをして、次の青をゆったりと待ちます。ペダルを踏む足を止めたとき、フリーホイールの、クリック音を数えられるほどでなくてはなりません。

The Slow Bicycle Movement, www.slowbicyclemovement.org

速度よりもスタイルを楽しみましょう。移動ではなく、その過程を楽しんでください。リラックスし、交通手段ではなく、レクリエーションとして楽しみましょう。そして、このムーブメントが伝染し、少しずつ周囲へ広がっていくことが期待しましょう。と、そんなスタイルが提案されています。

スローフードならぬ、スローバイシクルの勧めです。なかなか示唆に富んだものがあると思います。もちろん、趣味やスポーツとして乗る人に、時速15キロというのは酷でしょう。しかし、そうした人であっても、時と場合によっては、スロー走行を実践することが理にかなうこともあるはずです。



ルールを無視し、安全確認すら怠るような自転車利用者、突然車道を横切ったり、飛び出してくる歩行者、違法駐車するクルマや急に開くドア、客を見つけて急に車線変更し、急停車するタクシーなど、元々スピードが出せないような場所、スピードを出すリスクの高い場所があります。

歩行者や交通量の多い場所など、スピードを出すリスクが高い場所では、こちらがルールを守っていても、事故に巻き込まれることがあります。そんな場所で、周囲もスピードを出していることもあって、つい知らず知らずにスピードが過剰になっていないでしょうか。

The Slow Bicycle Movement, www.slowbicyclemovement.orgThe Slow Bicycle Movement, www.slowbicyclemovement.org

誰もがゆっくり、余裕をもって走行するようになれば、赤信号を無視したり、一時停止をしなかったり、横断中の歩行者の中をすり抜けようとしなくなるはずです。少なくとも人通りの多い街中ではスローに走るという人が増えれば、今のように事故や自転車利用者のルール違反が目立つ事態も改善されるでしょう。

ちなみに、歩道を走行しようというのとは違います。歩道は歩行者が優先であり、自転車は徐行が義務付けられています。この徐行とは時速4キロとか5キロ、つまり徒歩と同じような速度、すぐ止まれる速度です。さすがに、そんな遅さで走ろうという話ではありません。歩道走行は日本だけの話で世界的には非常識です。

The Slow Bicycle Movement, www.slowbicyclemovement.org

私も普段、特にゆっくり走っているわけではありません。ゆっくり走るのも一つの考え方ですが、スポーツバイクに乗っているような人にとっては、スピードも自転車の魅力です。ママチャリならともかく、ポテンシャルがあって、軽くスピードが出るのに、あえてゆっくり走るのは苦痛だったりもするでしょう。

ただ、無意識に必要以上のスピードを出したり、サイコンの数字が気になって、少しでも速く走ろうとしていないでしょうか。現代人が更に忙しさを作りだすように、充分速いのに、もっと速くと無理はしていないでしょうか。スピードを出すにはリスクが大きすぎる状況はないでしょうか。

時にはポタリングなど、散歩するようにゆったり自転車を楽しむスタイルがあってもいいと思います。場所によっては、あえてスピードを落として、ゆっくりと走行を楽しんでもいいはずです。少なくとも、そんな余裕があるか、自問してみてもいいのかも知れません。





パンスターズ彗星は明日、太陽に最接近ですか。2度と戻ってこない彗星と聞くと、見てみたくなりますね。

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この記事へのコメント
ほんとうにいつも勉強になります
エントリー楽しみにしてます
Posted by ピスト研究中 at March 10, 2013 13:37
50年ほど前の実用車(山口シルバー号女子用)を手に入れてから、自転車観がま
た広がりました。

止まること、降りて押し歩くことがなぜか億劫でないのです。
しなやかなフレーム、重い代わりに空走距離が意外なほど伸びるホイール。
背筋を伸ばして顔を上げてゆっくり走ると不思議と気持ちにゆとりが出て、目が
合った人に微笑んでしまうのはアヤシイヤツと引かれているかもしれないけど。

先日、都内を夕方自動車で通過したのですが、渋滞で、計算したら時速10キロを
切っていました。
ガソリンを燃やさず、イライラすることもなく走れる時速15キロは豊かで十分に
速いと思います。
Posted by ひろにゃんof風琴屋 at March 12, 2013 00:15
ピスト研究中さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
自分が面白いと思ったもの、見つけたものをシェアできればと思っているだけで、勉強になるなんて言われると恐縮しますが、何か参考にしていただける部分があったとしたら幸いです。

Posted by cycleroad at March 12, 2013 23:11
ひろにゃんof風琴屋さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
乗る自転車によっても気持ちの持ちようが変わったり、乗り方、乗る速度が変わったりということはあるでしょうね。
姿勢もアップライトな形で乗る自転車だと、前傾姿勢のものと比べれば、ゆっくり走ることに違和感が少ないと思います。
おっしゃるように、フレームの硬さとか、ホイールなどによっても乗り味が違い、気分が変わってくることもあるかも知れません。
最大でも15キロくらいですから、もっとゆっくりということなのかも知れませんが、それでも渋滞しているクルマより速く、もちろん徒歩より速いわけで、安全なども考えれば、少なくとも都市部では充分な速さと捉えるべきなのでしょう。
Posted by cycleroad at March 12, 2013 23:21
 
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