しかし、昔の自転車に注意を払うことは、あまりありません。たまには自転車の歴史を紐解いてみるのも興味深いものがあるでしょう。
昨日も取り上げましたが、紀元前3500年にシュメール人が車輪を発明してから5300年もの間、誰も人力で車輪のついた乗り物を動かそうと思わなかったとは考えにくいものがあります。今後どこかの古代文明の遺跡から人力の乗り物が発掘されてもおかしくないと思いますが、とりあえず自転車の歴史としては、1817年からということになります。
ドライジーネ(左)と女性用ドライジーネ(右)
上の写真は、足で蹴ってすすむだけの自転車、ドライジーネ型自転車ですが、すでにその頃、女性用のドライジーネがあったというのも面白いところです。左がドライジーネ、右側が女性用ドライジーネです。当時の女性は裾が大きく広がったロングスカートをはいていたので、こういう形になったようです。
以前取り上げた、ルイガノの女性用新型モデルに似ているのも偶然ではないのかもしれません。ルイガノの開発者が意識したのではないでしょうか。このドライジーネが最初か、下のフランスのミショー型を最初とするかの議論もあるようです。
しかし、ドライジーネが発明されなければ、フランス人のミショーの元へドライジーネが修理に持ち込まれることも無かったわけです。すると、ミショーがペダルを思いつくことも無かったでしょうし、ドライジーネが最初でいいような気がします。ミショー型のペタルも、現在ある子供用三輪車と同じで前輪についているだけですが、自転車の発達の大いなる最初の一歩と言えるでしょう。
ミショー型
ミショーは修理に持ち込まれたドライジーネに乗って坂を下っているとき、足の置き場に困って前輪にペダルをつけることを考えついたとされています。権威ある歴史的資料にケチをつけるのもなんですが、これはおかしいような気がします。前輪に直接ついたペダルは、坂では回転してしまうので、やはり足の置場がありません(笑)。子供用の三輪車に改めて乗ってみなくてもわかることです。
足の置場だったら、フレームかフォークにつけるはずです。やはりミショーは、足で蹴らない駆動方法を考えたかったのだと思います。逆に坂を登ることを考えたのかもしれません。いずれにせよ、このミショーの工夫がボーンシェーカー型として世界へ広がる元になり、次に出てくる有名なオーディナリー型の元にもなったわけで、やはり大きな一歩です。
オーディナリー型
オーディナリー型は、昔の自転車と言うと必ず出てくる自転車です。前輪がやたらに大きい自転車です。同じ1回転なら、車輪が大きいほうが距離を稼げるわけで、スピードアップにつながります。単純と言えば単純ですが、なるほど、そう来るかという感じです。
ペダルは相変わらず前輪についていますから、足の長さいっぱいまで半径が大きくなったわけです。この当時だったら足が長いほど速い自転車に乗れたことになります。前輪の大きさによって足の長さが強調されるようでイヤな気もしますが..(笑)。
チェーン駆動と後輪駆動
この後、チェーン駆動が発明され、後輪駆動になり、あっという間に現代の形に近づいていくことになります。そう考えると、19世紀以前にも人力の乗り物はあったかもしれませんが、素材の問題や部品の加工技術、軽量化など、やはり19世紀以降でなければ改良の余地は少なかったでしょう。その意味では19世紀になって初めて自転車の発達が可能になったのも、歴史の必然だったのかもしれません。
余談ですが、現代にこのオーディナリー型を再現した自転車もあります。ペダルの位置が高いですし、当然、サドルの位置も高くなります。見晴らしは良さそうですが、想像すると乗りにくそうに思います。
私も、そんなイメージを持っていました。ところが、偶然見つけたこちらの動画を見て納得がいきました。持って走って、後ろから飛び乗るように走り始めるのです。資料や写真だけではわからない部分があるのも間違いなさそうです。
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こうした歴史をはじめ、自転車に関するいろいろなデータや資料が
自転車文化センターのサイトにあります。実際のセンターは東京竹橋にあって、展示などもあります。私も以前から一度行こう行こうと思いつつ、行けてません(笑)。東京へ出かけられる際、時間があればいかがでしょう。たまには、自転車の歴史などにふれてみるのも面白いかも知れません。
Posted by cycleroad at 09:00│
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