最初に記事からの引用を掲載しておきます。
1年で直した自転車4000台 下諏訪の松沢さん父子
壊れても捨てずに大切に乗ってほしいと、下諏訪町東鷹野町で自転車店を営む松沢群吉(69)さん平吉さん(33)親子は、どんなに故障した自転車も再生させる。口コミで修理を依頼する人が県内外から訪れ、昨年は約4000台を修理、調整した。
健康増進や環境問題への関心で、自転車を生活に取り入れる人が増えており、松沢さんの店には毎日さまざまな自転車が持ち込まれる。どんなメーカーにもすぐに対応できるよう、店には多種多様な部品類をそろえている。郡吉さんが長年培った技術で、曲がったフレームなど修理が不可能と思われる部分を元通りにする。平吉さんは競技自転車に増えてきたディスクブレーキや、ブレーキのオイルラインなどを担当。自転車シーズンを前にした冬は調整に追われる。
循環型社会への意識の高まりもあり、故障した自転車を直して使う人が増えてきているという。70代の女性客は「思い入れがある自転車に乗り続けたい」と、20―30年前から愛用している古い自転車の修理を依頼。2人は当時の部品を探して修理し、喜ばれた。自転車文化センターによると、1998年から輸入自転車が急増。30万円以上する高級車や折りたたみ式などさまざまな種類が登場し、修理や調整に高い技術と専門的な知識が必要になっているという。平吉さんは新しい技術の習得に努め、自転車メーカーが発行する認定証も取得した。
店の常連客の1人、常井和隆さん(32)=長野市=は「松沢さんなら安心して任せられる」と2台目のロードレース自転車を購入。「細かな調整など自転車のことならなんでも知っていて、相談に乗ってもらえる」と信頼している。「自分の店で売った自転車はすべて面倒見るよ」と群吉さん。平吉さんは「新しい素材や車種がどんどん出てくるので勉強してお客さんの要望に応えたい」と話す。2人は「自分の力でこいだ分だけ進むのが自転車の魅力。自転車のことなら何でも相談して」と口をそろえる。 (2006.1.24 長野日報)
昔は、あちこちにこんな自転車屋さんがあったような気がしますが、今はニュース記事になる時代だということでしょうか。むしろ、こんな自転車屋さんが残っている地域は恵まれている、ということかもしれません。言うまでもなく、ホームセンターやディスカウントショップ、大型のスーパーマーケットでも自転車は手に入る時代です。
もちろん私も含めて、そうした場所では売っていない自転車に乗っている人もいるワケですが、全体から見ればごく一部に過ぎません。数千円のママチャリを使い捨てする時代に、街の自転車屋さんが存続する余地が果たしてあるのでしょうか。
話は違いますが、小さい頃、お父さんへの誕生日にライターをプレゼントしたなんて人もいるかも知れません。しかし今では、かなり身なりの立派な紳士でさえ100円ライターを使い、一部の製品を除けばガス注入式のライターを使っている人など、ほとんど見ないのではないでしょうか。どこでも手に入って便利ですし、失くしても気になりません。私はタバコを吸わないので詳しくありませんが、当然注入式ライターのガスなども、身近かで手に入らなくなっているのではないでしょうか。
悪貨が良貨を駆逐するとは言いませんが、世の中が当たり前のように使い捨ての方向に向かって来たわけです。もちろん便利と言えば便利ですし、モノが安く手に入るということは、それだけ豊かな社会が実現した証であることも間違いありません。

しかし一方で、ライター自体が全てゴミになるわけですし、資源も無駄になります。小さな製品ですが全体としては大きな量のゴミになります。ゴミとして回収されればまだしも、最近問題になっていますが、海岸への漂着ゴミの中に使い捨てライターは、かなり目立つのだそうです(左の写真のリンク先の記事)。
使い捨てライターと比べるのは違う部分もあるでしょうが、結果として自転車を修理したり部品交換しながら使う人が少なくなることにより、修理してくれるお店が無くなっていくのは、同じ帰結のような気がします。
ここで私が、いくら使い捨てでない自転車の良さを強調しても、自転車が単なる「アシ」に過ぎない人にとっては、高級ライターの使い心地を主張する少数派の意見としか見られないのかも知れません。ライターと違って、使えば違いが判るとは思うのですが...。
しかし、冒頭のニュースでも取り上げられているように、循環型社会への時代の流れというものは無視できなくなってきています。企業も環境への取組みを真剣にアピールしなければ、消費者の支持を失う時代です。例えシティサイクルだったとしても、数千円のものを使い捨てにするのではなく、多少値段は高くても、修理しながら長く使える製品へのシフトが起こりつつあるのかも知れません。ニュース記事の中にもあるように、わざわざ県外から修理に訪れる人もいます。
逆に、そうした店があれば、買い換える手間と修理する手間が大きく違うわけではありません。それなら修理しようという意識が消費者にも広がる可能性があります。多少の経済合理性よりも満足感を求めるようなトレンドと言うのは、よく言われ始めていることであり、なにも自転車に限りません。
「ちょっと高いけど、修理して使えるようなシッカリとした製品にしよう。その方が地球環境に貢献していると思えるだけ、ちょっと満足感がある。今どき安いけど使い捨てなんて..。」無意識に、自然にそう感じるような人も増えているのではないでしょうか。
修理するより新車を買わせる傾向があるとしたら、時代に逆行すると、自転車販売業界の姿勢も問われることになるかも知れません。もちろん安い外国製自転車の氾濫をもたらす、量販店の売り切りの販売スタイルに問題はあると思います。
おかげで、存亡の危機にある自転車屋さんも少なくないかも知れません。私はその経営判断について論じる立場にはありませんが、ただ量販店と価格競争するだけでは、その存在意義すら消滅しかねません。ジリ貧となり、結果として淘汰されてしまうようにも思えます。
本来は、EUが実際にやっているように、安い自転車に関税をかけるべきなのかもしれません。しかし、貿易の問題については、多国間にせよ2国間にせよ、他との兼ね合いや包括的な交渉ごとでもあり、自転車だけ保護主義と捉えられかねない関税を課すことは、事実上難しいのが実態でしょう。基本的に自由貿易を標榜するが、安い自転車が出回るのはゴミ問題だという議論は貿易交渉の場では受け入れられない論理でもあります。
冒頭の記事のお店のように、一朝一夕に地元の消費者に支持されるわけではないでしょう。しかし、粗悪な自転車を安売りするようなスタイルとは一線を画すやり方もあるに違いありません。これからの社会の枠組み、時代のトレンドとして考えても、いい自転車に修理や部品交換しながら乗るのが賢明で、合理的で、かつ格好いいという意識が広がっていくように思います。また積極的にそんなスタイル、そんな乗り方も提案していくべきでしょう。
われわれ買うほうの人間としても、街の自転車店を極力利用することによって、そうしたスタイルを支持していくことが出来ます。地球環境への意識の高い人、ゴミ問題を憂慮する人、街の放置自転車を排除したい人も、単なる下駄代わりでない自転車に乗る人、そうした自転車文化を支持する人たちと共に、町の自転車屋さんに頑張ってもらうべく応援したいものです。
個人的には、ようやく新年会の予定を消化できました(笑)。私は冬でも自転車に乗ります。この時期は寒いですけど、身体が暖まるまでのことですし、夏場のように汗だくになることもないですから、防寒対策さえしっかりしておけば、かえって快適な日もありますね。
Posted by cycleroad at 15:00│
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