まだあまりポピュラーでない言葉ですが、アプロプリエイトテクノロジー(appropriate technology)という考え方があります。
「適正技術」と直訳しただけでは何のことかよくわかりませんが、アプロプリエイトテクノロジーとは、地球や限りある資源に最も負荷をかけない方法で、人類のニーズに応える方法、提供されるテクノロジーのことと説明されています。それは単にエネルギー効率ということではありません。
時と場合によって、人間はほとんど同じ結果を得るためなのに、よりエネルギーを多く使う方法へ改善しようとする場合があります。それは、少しでも時間を短縮するためであったり、少しでも付加価値をつけて高く売るためだったり、少しでも力を使わなくて済むためだったりします。
市場経済のもとでは、それは正当で合理的なことなのかも知れません。あるいは進歩と呼べるのでしょう。しかし、『なるべく環境に負荷をかけないのがベスト』という指標で考えるなら、それは悪化の方向、改悪へ向かっている場合も往々にしてあります。
もちろん、何も技術を取り入れず、全て人の力だけでやるのでは、極端に言えば石器時代と変わらないことになってしまいます。アプロプリエイトテクノロジーは、なるべく環境に負荷をかけないで済む、その場に相応しい技術という考え方なのです。
そして、それは総合的に判断されます。例えば効率的な技術でも、遠くから輸送される材料によるなら、輸送のためのエネルギーのぶん地球に対する負荷が高くなります。多少効率が悪くても、より近くで得られる材料を使った技術のほうが環境負荷が低いと判断される場合もあるでしょう。
イニシャルコストばかりでなく、もちろん少ないエネルギーで維持出来るかも重要です。また、その技術を稼動させるために、難しいトレーニングが長期間必要であれば、それも環境に対する負荷になります。簡単に修理できることも大きな要素ですし、耐久性、寿命も考慮されます。
国や場所によって、労働生産性や市場の規模、成熟度などによっても、アプロプリエイトテクノロジーは変わってきます。文化的、社会的、あるいは歴史的背景も影響するでしょう。そうした全ての面で最も適切な技術ということになります。
ですから、太陽電池とか、バイオマスといった特定のアイテムではありません。時間と共に変わってくることもありうるでしょう。テクノロジーやテクノロジーのもたらす社会的、経済的、環境的影響について評価する方法でもあります。ちょっと漠然とした概念に感じるかもしれませんが、今後重要になってくる考え方だと思われます。
仮に、1キロメートル離れたコンビニへ買い物に行くとします。バスかタクシーを使うでしょうか。場所によっては、舟かもしれませんし、牛の背に乗っていくかもしれません。でも一般的な日本なら、徒歩か自転車を使うくらいが適正と思えるでしょう。
徒歩は技術とは言いにくいので、ここでは外すとしても、世の中便利になる一方です。実際には、大排気量の自家用車を使ったり、動く歩道が設置されているかもしれません。いつの間にか適正でない過剰な技術が使われ、過剰なエネルギーが消費され、環境に余計な負荷をかけていないでしょうか。
必ずしもクルマを使うのが悪いというのではありません。個人のライフスタイルの話とは別です。しかし、一人ひとりの行動が積み重なって社会に影響を与えているのも間違いありません。いわゆる持続可能な社会について考えるべき時代になって来ているということです。
appropriate technologyについて、アメリカはカリフォルニア州北部にあるハンボルト(フンボルト)州立大学(Humboldt State University)のCCATという組織では、ソーラーパワーや燃料電池、バイオマスといった数々の選択肢と共にペダルパワーにも注目しています。ペダルパワー、すなわち人間が足でペダルを漕ぐ力です。
先日は、
自転車発電装置を取り上げましたが、同じ考え方です。写真を見ていただけば単純明快でしょう。楽しそうに見えますが、決してジョークではありません。面白いノリだな、という話ではないのです。冒頭の写真もカリフォルニアですので確かに陽気な感じもしますが、真面目にペダルパワーの利用を考えているのです。
よくあるママチャリのライトのように、自転車のタイヤやリムに密着させるのでは摩擦によるロスも大きくなります。同じペダリング運動でも、ベルトによって直接ジェネレーターを回し、はずみ車を利用して回転を安定させ、インバーターやバッテリーを組み合わせて、より実用性を増しています。
大勢で汎用電源の発電装置をこげば、屋外のイベント用の電源も作れるわけです。環境問題に取り組むイベントだったら、ガソリンの発電機を唸らせるより、よっぽどイメージアップにもなります。家庭用のジューサーくらいなら一台でも動かすことが出来ます。何も使わないときはバッテリーを充電させておけばいいでしょう。
ミシンだってOKですが、ミシンと言えば、そもそも昔は足踏み式でした。私は電動ミシンすら、ほとんど使った事がないので、よく知りませんが、頻繁かつ長時間使わないなら足踏み式でも充分かもしれません。この考え方は重要で、そもそも一度発電して電動ミシンを使うのでは、当然エネルギーのロスも大きくなるわけです。
つまり機械的に直接ペダルで動かせる方がベターです。グラインダーやドリルは電動でなくても使えますし、メンテナンスも楽です。漕ぐ力も少なくて済みます。難点としては、あちこちにペダリングマシンがある状態になってしまうことでしょうか。どうしても場所をとるので、一台の発電装置に家電をつなげる形も排除はしません。
歴史的に見ると、人類はテクノロジーを発明するごとに楽になってきました。力を使わなくて済むように、蒸気機関やエンジン、そして電気を使ってきました。大規模な発電所の建設は今も続いています。まとめて効率よく発電して電力を供給したほうが、結果として効率がいいこともあるでしょう。
しかし、消費地に届けるため電線を引く必要もあり、送電ロスも決して小さくありません。ちなみに燃料電池は、実はクルマより家庭に入るとメリットがあると言われています。各家庭に設置することで送電設備が一切不要になり、トータルの発電効率も上がるからです。
現代の社会を支える大出力の発電・送電システムを否定するつもりはありません。しかし、必ずしも人力発電がナンセンスとも言えないのではないでしょうか。電気自動車など、電気と言うとクリーンなイメージもありますが、火力は化石燃料を燃やし、ダムは生態系を破壊し、原子力は放射性廃棄物の問題があることを忘れてはなりません。
もちろん全てを人力で賄うのは無理だとしても、場合によっては、使う分だけ自力で発電するのも悪くはありません。電気に過度に頼りすぎていると、災害や停電になった時、現代人の誰もが困ることになるのも間違いないでしょう。いちいちコンセントにつないだり充電せず、機械式のほうがいいこともあります。
健康面から言っても、身体にエネルギーの素を溜め込むばかりで、使うのに四苦八苦する人も多いわけです。よく深夜のテレビショッピングでダイエット器具が売れているようですが、もしかしたら、セルフ発電の器具もダイエット用と宣伝すれば売れるかもしれません。
テレビを見ながらエアロバイクやフィットネスマシンと呼ばれる器具を漕ぐ人もいるでしょう。人力テレビなら漕がなきゃ映りません。見たい番組さえあれば、ダイエットも続きそうです。人力の洗濯機は、漕がなければ洗濯物が溜まっていくことになります。
たくさん食べてフィットネスクラブで体重を落とすなんて、そもそも矛盾したことをしている現代人も多いわけですが、このフィットネスクラブ自体、人力発電所に出来るかも知れません。会費を払わず、逆に発電代を貰えるようになったら画期的ですが..(笑)。
真面目な話、誰もが必要に応じて、必要な場所でペダルをこぐようになれば、一つ一つのエネルギーは小さいですが、積み重なって全体ではエネルギー需要の緩和につながるはずです。環境への負荷軽減に大きな力となり、国全体では医療費の削減効果も期待できるかも知れません。
アプロプリエイトテクノロジー、「適切で妥当な技術、ふさわしい技術のあるべき姿」を使おうという考え方が多くの人に共有され、例えば、その一つの選択肢であるペダリングパワーも決して侮れないことが広く理解されていけば、その技術開発も進むはずです。
多少面倒だけど電力を使わないで済む道具が復権し、不要な消費電力は省いた家電も開発されるでしょう。ペダル発電も、もっと発電・蓄電効率が上がり、今まで通り電力会社から電気を買ってもいいし、自分が使う分くらいなら、朝晩少し運動すれば賄える、なんて日が来るかも知れません。
今回取り上げたハンボルト州立大学のサイトの情報は、このブログに時々コメントをいただいているritaさんに教えていただきました。フィットネスクラブで汗を流す人のエネルギー、何気にもったいないな、なんて考えることもあり、今回書いた文章も趣旨としては、もともと前から考えていたことなのですが、いい題材とビジュアルを教えていただいたので、今回記事にしてみました。ritaさんありがとうございます。
自転車と適正技術【しなやかな技術研究会】at February 02, 2006 09:16