July 13, 2013

アフリカの大地に輝く自転車

世界を見渡すと、自転車に関連した活動をするNPOは少なくありません。


貧困撲滅を目指すNPOなどで、教育や医療の支援を行うスタッフが自転車を使うというのは比較的わかりやすい話です。途上国の貧しく自転車を持てない人々、子供たちに先進国の中古自転車をリサイクルしてプレゼントするというのも、活動として理解できる話です。

Afribikeしかし、自転車が貧困からの脱出や、経済的な自立の道具として重要な役割を果たすというのは、日本人には実感の沸かない話かも知れません。そのあたりのことを“Afribike”の活動を例に見てみたいと思います。南アフリカを拠点にセネガル、ギニア、ガーナ、レソト、ザンビアといった国々へも展開する自転車NPOの一つです。

最近は経済成長が目立つサハラ砂漠より南に位置するアフリカ諸国ですが、まだまだ貧しい人たちが多いのは言うまでもありません。道路や鉄道などの交通インフラ整備も不十分ですし、当然のことながら、そこ住むアフリカ人の多くは、輸送や交通の手段を持っていません。

たとえ利用できる道路があったとしても、バスなどの公共交通機関は無く、自家用車などの交通手段も無いので、高価な地元のタクシーサービスを使うしかない人が大勢います。もちろんタクシーと言っても日本などでイメージするものとは違います。

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タクシーは高価なので、多くの場合、人々は目的地へ歩いて行くしかありません。その目的地には仕事場も含まれます。貧困から脱出するために働きたくても、例えば鉱山への数十キロの道のりを歩いては通えないのです。収穫した農産物を市場に出荷しようにも、輸送する手立てがありません。

仮に歩けたとしても、多くの場合、収入を生み出したり、技術を習得したり、他の必要を満たすための貴重な時間を奪うことになります。結果として、例え粘り強く有能な資質があっても、ただ交通や輸送の手段がないというだけの理由で、貧困から抜け出せない場合も少なくないのです。

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日常生活においても、水を汲んだり薪を運ぶだけで、大きな労働力、もしくは長い時間をとられます。その距離も日本の感覚では考えられないほど遠かったりします。こうした労働は女性の仕事とされる場合が多いのですが、女性に対する性差別が大きいこともあって、頭の上に荷物を載せて長い距離を歩くしかないのです。

交通コストを負担できないため、職場や学校、市場だけでなく、職業紹介センターや公共医療施設へ行くこともままなりません。交通費を支払える家庭でも、大部分は、その収入の4分の1程度という大きな金額を、どうしても必要な移動に費やさざるを得ないと言います。

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こうした状況の中で、自転車は多くの移動や輸送のために理想的な手段です。自転車なら歩くより何倍も速く移動でき、何倍も多い荷物を運べ、他の手段に比べて格段に安いコストで済みます。自転車を使えることが、いかに重要で効果的な自立のための手段となるかは私達の想像を超える部分があります。

また、自転車を普及させ、継続的に利用していくためには、自転車の供給や維持するための販売網などが必要となってきます。それらは小規模ながら企業を生み、雇用を創出します。現在、自転車の普及率は非常に低く、少なくとも低収入なアフリカ人の居住地域に自転車店は、ほとんど存在しません。

Afribike購買能力の問題もありますが、自転車を供給し、補修し維持する体制が無ければ、自転車の利用が広がっていきません。その体制の整備は自転車の普及に依存する点で「鶏と卵」の関係ですが、多くの人には歩いたり、高いタクシーを使う以外に、自転車を使うという発想すら浮かばない状態なのだと言います。

アフリバイクは、様々な活動を通して自転車の利用を推進することで、アフリカにおける貧困の緩和を目指しています。自転車は、アフリカの国々の自然環境を損なうことなく、持続可能な発展を目指せる点も重要です。

多くの日本人にとって自転車は、あれば便利なもの、街に邪魔なほど溢れているもの、もしくは趣味で乗るものでしかないかも知れません。しかし世界には、一台の自転車によって人生、もしかしたら生死すら左右されかねない人たちがいます。そして、そうした貧困に苦しむ人がまだまだ大勢いるのも現実なのです。





自転車以外にも交通手段がたくさんあって、そのありがたみに鈍感になっているのは間違いないでしょうね。

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この記事へのコメント
私たち日本人の多くは子供の時に親から自転車の乗り方を教わりますが、経済的に貧しい国に於いては大人の方にも自転車の乗り方を教えなければならない。しかし、大人になってから自転車を覚えるのはかなり大変だと想像します。たとえば私は一輪車に乗れませんが、子供は学校で教わるものだから乗れる。私にはもう無理です。自転車にも同じことが言えるのではないでしょうか。子供の頃から自転車の乗り方を覚えるのはとても重要です。教育支援として自転車を。余談ですが先日息子が家出をしました。今は帰ってきましたが、自転車が大活躍しておりました。自転車は子供に自由を与えます。親はヒヤヒヤですが。
Posted by タニグチ at July 14, 2013 07:14
タニグチさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
自転車の乗り方を教わるどころか、その存在を知らなかったり、少なくとも自分が利用するということを思いつきもしない状況ですから、自転車に乗る環境としては、いろいろな面で厳しいですね。
息子さんの家出道具になりましたか。たかが自転車ですが、自由に夢に自立、貧困からの脱出など、いろいろなものを与ええる乗り物といえるかも知れませんね。
Posted by cycleroad at July 15, 2013 22:53
なるほど。忘れていましたが、自転車に乗れるようになるまでに私もだいぶ苦労しました。たしかぶっ倒れて骨にヒビが入ったような記憶すらあります。

自転車に乗れば、徒歩よりも時間が短縮できるというのは、つまり距離を短縮できるということなのだと、改めて気づかせて頂きました。

十分に発展している中国に中古自転車を持って行くよりも、アフリカに持っていったほうがより大きな貢献ができそうですね。
Posted by ネットワークカメラ at July 22, 2013 16:03
ネットワークカメラさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
自転車を使うということ自体、思いもよらない状況の中で、自転車を手に入れて乗れるようになるのは、日本人の自転車に乗るまでの苦労とは次元の違う体験でしょうね。
日本の自転車環境が貧弱なんて言ってられないレベルの話です。
自転車の機動力が死活的に重要になるというのは、なかなか日本にいると実感できない感覚だと思いますね。
Posted by cycleroad at July 23, 2013 22:04
 
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