ウォールストリートジャーナルと言えば、ご存知のとおり世界的な影響力を持つ経済紙です。
そのウォールストリートジャーナルに、少し前ですが“
Building a Better Bike Lane”(より良い自転車レーンをつくること)という記事が載りました。それによれば、ヨーロッパの自転車に優しい先進的な都市では、クルマ文化に対する新たな攻勢を強め始めていると言うのです。
ここで例にとっているのは、オランダとデンマークです。両国とも温暖な気候と平坦な国土に恵まれた、昔からの自転車天国です。オランダの首都アムステルダムでは、実に4割の人が自転車通勤しています。デンマークの首都コペンハーゲンでも、3分の1以上の人のオフィスまでの交通手段は自転車です。
そんな両市ですら、地球温暖化の懸念を強めるEU諸国の例に漏れず、更に規制を強化する方向にあります。それは、自転車の利用を促進すると同時に、クルマの利用を抑制するためのものであり、20世紀に人類が築き上げてきたクルマ文化に対する新たな挑戦と言えるでしょう。
自転車通勤する人の増加をより加速させる手段には、1万台収容クラスの自転車の駐輪施設整備の推進や、自転車泥棒に対する刑罰の引き上げといったものも含まれます。自転車盗の厳罰化と言うと、ちょっと不思議な気もしますが、自転車通勤者にとって、自転車の盗難は切実な問題です。
確かに、帰ろうとしたら自転車が無いのでは話になりません。私もアムステルダムへ行ったことがありますが、日本の感覚からすると、失礼ながら、こんな自転車を誰が盗むのか、と言いたいくらいの古い自転車でも鎖や大きな南京錠を使って厳重に施錠しています。盗まれたら帰るのに困るのです。
つまり、そのくらい自転車盗が多いわけですが、厳罰化によって自転車盗が減少することは、自転車通勤をする上で大きな利便性の向上になります。金銭的損失を被る確率を減らし、あるいは厳重な保管や施錠の手間を軽減し、心理的にも追い風になるわけです。
ちなみに、オランダの犯罪発生率は驚くことに日本のおよそ4倍もあります。アムステルダムも、自転車盗だけでなく、スリや窃盗など犯罪率全般が高い街です。実は、私も警戒していたにもかかわらず、見事にスラれたことがあって、いい街なんですが、油断出来ないとの印象があります。
アムステルダムでは意欲的な駅前駐輪場プランなども進行中であり、更に自転車を使うための利便性を高めようとしています。同時に、都市部でのクルマの駐車料金を上げる予定になっており、違法駐車の罰金も厳しくして、人々になるべく不要不急のクルマの運転を思いとどまらせようとしています。
また、自転車を使う文化や習慣のない移民の人々によるクルマ利用の増加を危惧し、その子供たちを対象に自転車の乗り方を教えるプログラムを進めるなど、教育にも力を入れています。地道ですが、きめ細かい政策を推進しているのです。
こうした努力によって、オランダ国内の7.5キロメートル未満の短かい距離の移動が全て自転車に置き換われば、年間240万トンのCO2が減らせるだろうと試算しています。これは京都議定書におけるオランダの目標値と実際の排出量見通しの差の実に8分の1にあたる量です。繰り返しますが、自転車関連政策だけで8分の1です。
他の国や都市も、自転車利用の進む両市に学ぼうとしています。ノルウェーでは、2015年までに全ての移動のうち8%を自転車によるものにすることを目指しています。これは現在の倍のレベルです。スウェーデンは、2010年までに12%から16%へ増やそうとしています。
コペンハーゲンでも、今後3年間の自転車レーン基盤整備の支出を倍増させ、デンマークは2千キロに及ぶバイクレーン整備計画を立てています。また、以前私も記事にしましたが、パリでは大規模なレンタル自転車システムの稼働も始まっています。
こうした国々では、場合によっては自転車に乗ることがポルシェを運転するより、しばしば尊敬されることがあります。世界的企業のCEOも、国会議員も、首相も、市長も、オランダ王室の皇太子までもが、時として自転車に乗っているのを普通に目撃されます。
もちろん市民も、通勤通学だけでなく、子供の送り迎えや買い物から、あらゆる場面で自転車を使い、生活の一部になっています。記事では、こうしたヨーロッパの自転車にフレンドリーで先進的な都市における、人々のクルマを使わない生活を紹介し、温暖化対策の推進のために、都市に自転車レーンを敷設することの意義を解説しています。
もちろんアメリカでも、マイケルブルームバーグ・ニューヨーク市長が、クルマに対して渋滞課金、いわゆるロードプライシング制度を導入する構想を発表するなど、注目すべき動きはあります。同市長は市内の自転車レーンを大幅に増設する意向も表明しています。
また、一定規模の商業ビルに屋内の駐輪施設の設置を義務付けるなど、自転車通勤者に配慮することで、市内の渋滞緩和を目指しています。しかしながら記事では、クルマ社会・アメリカは、自転車通勤者にとって、現状では恵まれているとは言えない部分が多々あって、まだまだ不十分であることも指摘しています。
ウォールストリートジャーナルと言えば、典型的な保守の新聞ですし、経済的には市場原理主義志向であるのはよく知られています。自由な市場に任せ、規制には反対するのが基本的スタンスです。そのジャーナルが、温暖化対策のためにクルマを規制し、自転車レーンの整備をするべきとしているのです。
そもそもアメリカは従来から経済へ及ぼす影響を懸念し、温暖化対策には消極的だったわけですが、この記事では、ヨーロッパの自転車先進都市に、果たしてアメリカは追いつくことができるだろうか、との危機感が述べられています。アメリカの意識の変化が読み取れます。
ブッシュ大統領は2001年3月に京都議定書からの離脱を宣言しましたが、今年1月の一般教書演説で温暖化を深刻な問題と認め、ガソリン消費を今後10年間で20%削減することを発表しました。ちょうど昨日からは、ワシントンでポスト京都の枠組みを協議する主要排出国による国際会議も開幕しています。
ブッシュ大統領が、アメリカ経済に影響を与えるような規制を本当に行うとは思えないという見方はおそらく正しいでしょう。ただ温暖化ガス削減は別としても、この原油高の折、安全保障面からもガソリンの消費を減らしたいのは間違いありません。ならば、渋滞で無駄に消費されるだけの都市部でのクルマの規制は合理的かつ現実的です。
翻って、日本ではどうでしょう。確かにハイブリッド車など優れた省エネ技術があることは間違いありません。環境省はクルマの利用に際して、アイドリングストップや急加速・急減速をやめることを呼びかけています。でも渋滞でノロノロ運転が慢性的なら、簡単にその努力も吹き飛びます。
5%省エネ型のエコカーに買い換えるより、5%クルマに乗るのを減らすほうが、よっぽど合理的でしょう。少なくとも新しくクルマを製造したり、その流通などで発生する温暖化ガスは抑えられます。急加速禁止もいいですが、都市部に限ってはクルマの利用を抑制し、自転車や公共交通の利用を促すほうが、ずっと直接的かつ現実的です。
都市での慢性的な渋滞で、自転車の方がよっぽど速いのも事実ですから、クルマを抑制して、温暖化対策のために自転車レーン敷設を考えてもいいはずです。少なくとも欧州ではそうした都市が増えていますし、アメリカでも真剣に考え、取り組み始めています。ウォールストリートジャーナルにまで取り上げてられているのです。
日本でも新聞に自転車の記事が載ることが増えていますが、ほとんどが趣味やくらし面、社会面、あるいは地域面です。もっと政治や経済面に載るような政策が進むことが望まれます。また国際面に、もっと欧州の趨勢や米国の変化が紹介され、日本での自転車交通に対する意識の低さや誤解が解消されることも期待したいところです。
「アベする」や「アサヒる」が大騒ぎになっているようです。確かに流行語になっても良さそうなくらいなインパクトはありましたが、こういう形で騒ぎになるとは面白いものですね。
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