今からXX年後、20XX年のこと..。
つくづく未来を予測するのは難しいと思う。今からわずかXX年前、地球温暖化の問題が、こんな形で解決するなんて、誰が予想しえただろうか。事実、20XX年の今日、地球温暖化ガスの排出問題は、誰も危機的かつ主要な問題とは考えていない。思えば、その激変の予兆は2007年前後に起きていた。
まだ当時、さほど深刻な問題として捉えられていなかったが、徐々に穀物価格が上昇し始めたのが、この頃だろう。小麦や大豆の価格の上昇は、主食となる穀物だけでなく、さまざまな食品の値上げに波及した。家畜の飼料の値上がりが肉類や畜産品などの価格にも影響した。
しかし、当時の価格上昇はわずかであったし、必ずしも価格に転嫁されなかったことから、あまり深刻に捉えられていなかった。オーストラリアの大干ばつなど自然災害もあり、誰もが一時的な現象だと思っていた。もちろん、バイオ燃料生産の拡大も報じられていたが、そのインパクトが実感されたのは、もっと後のことである。
その大きな価格差ゆえに、小麦や大豆を栽培していた農家がバイオエタノール生産に使われるトウモロコシへ雪崩を打って転換し始めて、ようやくその危機が実態となって現れ始めた。世界中の穀物価格は急騰し、世界規模のインフレの猛威が家計を直撃したのである。
非農業国での食糧不足は深刻で、食糧を求める人々による暴動が頻発した。食料を供給できない政府が転覆される事態まで起こり、世界の首脳たちは、空腹を満たすか、エコカーに乗るか、二者択一を迫られたのである。当然、世界各国でバイオエタノールの生産は禁止され、穀物市場の安定を目指すしかなかった。
そのころ、ガソリンやディーゼル燃料との混合が確実に進んでいたバイオエタノールが突然消えるという事態に、世界中の投機資金はいっせいに原油市場へと流れ込んだ。1バレルが300ドルを突破するに至って、各国政府は原油を統制下に置かざるを得なくなったが、それでも問題は解決しなかった。
なにしろ中国、インド、ロシア、ブラジルをはじめとする巨大な人口を抱える途上国の急激な経済発展で飛躍的に拡大し続けた原油需要が、供給のひっ迫を恒常化させていたのである。更に、徐々に中東産油国などの既存の大規模油田の生産能力が落ち、次第にコストのかかる海底油田やオイルサンド、オイルシェールの精製に移行していた。
事ここに至って、各国政府は全面的な石油使用の制限に追い込まれた。石油化学製品や燃料、エネルギーと幅広い原油需要の中で、最初に制限されたのはガソリンと軽油、つまりクルマの燃料である。まずマイカーが制限され、鉄道やLRT(路面電車などの軽量軌道交通)の新規建設が急ピッチで進められた。
原子力発電の燃料であるウランも高値を更新していたが、世界的に発電は原子力へと大幅にシフトした。物流はモーダルシフトが進み、鉄道プラス電気トラックに転換した。マイカー制限によって、ガソリンスタンドの経営は破綻し、全国から、あっという間に姿を消した。
こうなると、燃料補給の出来ない化石燃料を使った陸上交通は存在しえなくなった。代替の進まない航空機と船舶を除けば、交通は鉄道と電気自動車に一変したのである。夜間電力による充電は、出力制御の難しい原子力発電による電力の有効利用につながったものの、全ての陸上交通のエネルギー賄うまでには至らなかった。
バッテリーは進化していたが、以前としてレアメタルが不足し、重金属・希土類や化学物質などを多量に消費するため、そのリサイクルの難しさなどから、トラックやバスなど産業用に集中せざるを得ない。一時期期待されていた燃料電池車は、水素の供給や貯蔵の難しさから未だ普及していない。
水素エンジンや燃料電池は、ガソリンなどの代わりに水素を供給する必要があるが、結局水素を取り出すのは、化石燃料からでないとコスト的に見合わない。空気を汚さない利点はあったが、原油や天然ガスの需給ひっ迫に対する有効な手段とならないわけだ。
結局、人々の移動には自転車が多用されるようになった。平地であれば、案外使えるものである。起伏が激しい場所では、電動アシスト自転車が使われた。冷暖房や生活の中での電力消費は減らせない。産業用や石油化学製品も必須であるなら、マイカーを諦めざるを得ないことに、最終的に誰も異存はなかった。
ただ自転車は雨に弱い。そこで屋根をつけられるように4輪にした自転車も普及した。ヒューマンカーとか、人力自動車と呼ばれる、「人力」カーである。人の力によるクルマ、つまり人力車である。いにしえの人力車とは違うが、人の力で動くことには変わりがない。古くて新しい乗り物である。
電気自動車は、速度や航続距離、積載量といった要求される性能を充たすために、出力を大きくせざるを得ない。必然的にバッテリーも大きく、重くなる。するとその分また出力が必要になる悪循環である。もちろん、それに見合う発電所の建設もすぐには追い付かない。
ならば、軽量化の方向へ向かうのは必然であった。冷暖房もオーディオも先進の安全装置もなくし、軽量化の末に行き着いたのは、自転車を4輪にしたかのようなヒューマンカーであった。消費電力の少ない回生装置付き電動アシスト機構が搭載され、言ってみれば人力と電気のハイブリッドである。
車体が軽くなれば、人の力でも十分なスピードが出るものだ。ガソリン車で渋滞していた頃より速いくらいだ。空気もきれいになったし気持ちがいい。もちろん遠くへ行くなら鉄道を使えばいいことだ。そして、多くの人の運動不足が解消され、健康になった。
移動しながら運動も出来て一石二鳥、これが本当の「スポーツ」カーである。英語では「マッスル(筋肉)カー」と表現されるが、本当の意味でのマッスルカーとも言える。昔の人が見たら、ひどく原始的に見えるだろうが、何の不足もない。森を切り開いてつくった高速道路を時速100キロで疾走するほうが異常だったのだ。
都市では渋滞し、平均時速は自転車以下であった。人々は急いでいるようで、決して速くなかったことに気づいた。原始的なようだが、自分で出せる力の範囲で移動するのは自然なことだ。膨大なエネルギーを使って渋滞に並んで、何をやっていたのだろうと思う。充分な速さだし、疲れた時は鉄道や電気バスなどを使えばいい。事故も減った。
一番利用すべきエネルギー、余っていてもったいないエネルギー、そして必要十分なエネルギーは、実は人々のお腹まわりに存在していたのである。つまり脂肪だ。今、移動は脂肪を燃焼する有酸素運動でもある。もちろん、障害があったり、高齢で利用できない人に限りフルバッテリーのクルマの利用も認められている。電気バスもある。
考えてみれば、モータリゼーションが始まる前、移動でカロリーを消費するのは当たり前だった。みな歩いたり、馬に乗るくらいしかなかった。そして、2頭立ての馬車ならまさしく2馬力だったわけだ。クルマに乗るようになり、装備や車体も豪華になって、誰もが何百馬力という、言ってみれば必要以上のパワーを手にしてきたわけだ。
ヒト1人移動するのに、何トンもの車体を動かす不合理を疑わず、どんどんエスカレートさせてきた。そのおかげで死亡事故が増え、空気を汚し、自分たちが住む地球環境を傷つけてきたというのは、今にしてみれば狂気の沙汰だったと言うほかはない。そして気候変動を招き、世界中が破滅へ突っ走っていた。
手近な原油を掘り尽くし、採掘しにくくなったことで、結果として温暖化ガスの排出が激減したことは、広い意味で自然の摂理が働いたと言う人もいる。あるいは神の救いと考える人もいる。いずれにせよ、今こうして膨大な数が存在した化石燃料車がゼロとなり、地球温暖化が制御可能な問題になってきたのは事実である。
かくして、当時と比べれば、格段に地球の未来が明るくなっている。もちろん課題は依然としてたくさんあるが、地球が壊れる原因の一つは、偶然なのか必然なのか解消された。このことが人類に新たな自信と教訓と展望を与えたことも確かである。
このような地球的規模の激変の予兆が現れ始めたのが2007年前後なら、HumanCarが一部で注目されはじめたのも同じころだった気がする。その当時は、こんなものを真剣に開発する意味を正確に理解していた人間は、ごくわずかだったはずだ。未来を予測するのは実に難しい...。