ずっと変わらないものの価値
なんと、タイヤが円形でない自転車が発明されました。
と、言うのはウソです。せっかくのエイプリルフールなので、ジョークから入ってみました(笑)。よく見れば明らかですが、さすがにこれでは走らないでしょう。一部特殊な自転車がないこともないですが、普通は楕円にするメリットはありません。自転車は誕生以来このかた、丸いタイヤと決まっています。
誕生と言えば、先ごろ世界最古の自転車発祥の地として、埼玉県本庄市が名乗りを上げました。武州児玉の農民、庄田門弥の陸船車が世界で最も古い自転車だったとしていますが、やはりタイヤは円形で足で動かすものには変わらなかったようです。最古だったかも知れませんが、残念ながら、それが独自に進化して今に至ることはありませんでした。
現在に至る自転車の始まりは、1817年にドイツのカール・フォン・ドライス男爵が発明したドライジーネとされています。ただし、これは足で蹴って進むものでペダルはなく、1860年フランス人のミショーによってペダル式の自転車が考案されました。
自転車の歴史をひもとくと、ほとんどその誕生と同時に、自転車に動力を搭載しようとする試みも始まっています。モーターサイクル、つまりオートバイの始まりです。最初のオートバイと言えるのは、蒸気ベロシペードと呼ばれるもので、その名の通り蒸気機関で動くものでした。言わば蒸気自転車です。
最近、原油価格の高騰で薪ストーブなどが見直されているといいます。カーボンオフセット、つまり植物は成長時に光合成で二酸化炭素を吸収するため、植物を燃やした際に二酸化炭素を排出しても、大気中の二酸化炭素の濃度は、長期的には変化しないという考え方から、一部の蒸気機関がまた見直されたりしています。
しかし、さすがにオートバイでは積める薪の量も限られますし、とても二輪に蒸気機関が適しているとは言えません。1880年代後半にガソリンなどの内燃機関が登場した後も、1910年代くらいまでは蒸気オートバイが粘って製作されていたようですが、時代はガソリンエンジンへと移っていきました。
その後の、いわゆるオートバイとして進化はめざましいものがあります。足でこいでいた自転車の頃と比べれば、機械としての格段の進歩は疑いようがありません。今後も、さまざまに進化していくことでしょう。しかし考えてみると、それでも一方の自転車がそのまま残っているという事実には興味深いものがあります。
もちろん、誕生の頃からすれば、チェーンによる駆動という方法が考え出されたり、フリーホイールが発明されるなどの進化もありました。素材や加工技術などが飛躍的に向上し、乗り心地にしろスピードにしろ、また重さや強度といったスペックにせよ、大きく進化していることは言うまでもありません。
しかし、人力によってタイヤを転がして移動する乗り物という基本的な部分はずっと同じスタイルで、自転車の誕生以来変化していないことになります。かたや、クルマでも洗濯機でも冷蔵庫でも何でもいいですが、その原型となったものは、ほとんど今では使われていないでしょう。
自転車にさまざまな動力を乗せたり改良したりという試みは多々ありました。オートバイをはじめ、派生したものもあります。それでも、元になった自転車は依然としてそのままで、相変わらず今でも世界で一番使われています。おそらく、これからもそのままでしょう。
高々200年ほど前に生まれたものなのに、なにか普遍的なものを感じるのは私だけでしょうか。時々、いろいろな試みはあるにしても、原子力発電や水素燃料、あるいはもっと未来のエネルギーが開発されてもなお、自転車は人力で、あいかわらず車輪を転がしていることでしょう。
カーボンオフセットもいいですが、わざわざカーボンを燃やさなくても、人々の健康の敵でもある脂肪を燃やした方が、ずっと効果的です。オフセットではプラスマイナスゼロですが、自転車で人力を使えば、そのぶん排出を抑制できるメリットもあります。そして、それは距離とエネルギーで考えても決して小さい数字ではありません。
自転車の発明以後今まで、さまざまなエネルギーが開発されてきたことが無駄だなんて言うつもりは毛頭ありません。石炭や石油が発見されていなければ、なんていうのもナンセンスでしょう。しかし、もしそうだった場合と比べ、地球にかけた負担が決して少なくないのが明らかになりつつあります。
今世界は、化石燃料に依存しすぎた間違いを正そうとしています。しかし、クルマやオートバイをやめて自転車に乗るなんて思いもよらない人が、まだまだ多いのも事実です。確かに昔に戻るのかも知れませんが、ずっと不変の価値に戻るのも悪くはありません。
そして、昔の自転車と姿かたちは変わりませんが、おそらく乗り心地も、速さも、楽しさも、ずっと良くなってきていると思います。ここのところ、そのことに気づく人も大勢出始めてきています。自転車なんてと相手にしていない人も、とにかくもう一度、乗ってみるべきではないでしょうか。
ガソリンの暫定税率が下がる一方で、4月はいろいろ値上げされます。サブプライムにチベット問題、国の内外でもいろいろ慌ただしい感じになりそうです。そして京都議定書の約束期間が始まりるのも忘れてはいけませんね。
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Posted by cycleroad at 23:30│
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こんばんは。いやー、タイトルの写真、「ええ?ついに出たか!?」と、コロッと信じてしまいました。。自転車の歴史はこのようになっていたのですね。記事を拝読して、もっと色々知るべく自転車博物館等へ出かけてみたくなりました。
しかし、自転車と自動二輪車は誕生時には兄弟のようなものでありながら、現在の乗り手はそうでもありませんね。自転車(ロード)は割と大人な人が多いですしマナーも守る人が大半ですが、原付含め機械二輪は…。今日も、猛スピードでスレスレのところを抜かれて冷や汗をかきました。所詮は相容れぬ世界でしょうか。
自転車もここまでジョークが言えるのかぁ〜と感心しました。
自転車の歴史も長いけれど、やっぱり環境と健康にに貢献するという点では、未来の主流の乗り物に取って変わって欲しいですね。
自分も出来るだけ、徒歩・自転車・電車を使っての移動を心がけています。
そのためにも、土木工学専門の立場から言わせてもらうと、自転車道路の整備が必須ですね。
noriさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
ひっかかりましたか(笑)。自転車博物館は東京にもありますが、私も行こう行こうと思いつつ、まだ行ったことはありません。まあ、歴史ですから、そうそう展示が変わるものでもないでしょうし、そのうち機会があったらと思っています。
オートバイのライダーにもマナーのいい人は大勢いると思いますが、特に原付などには、かなり交通マナーの良くない人、交通法規を守らないような危険な人を見ることも確かですね。
結局は乗る人によるので、一概には言えないと思いますが、相容れないと言うか、例えばロードはスポーツであるのに対し、原付は単なるアシという位置づけであるなど、姿勢の違いがあって同列には論じられない感じですね。
SNOWさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
いやー、それほどでは..。しょうもないウソで恐縮です(笑)。
そうですね、昔の乗り物ではなく、むしろこれからの乗り物として捉えるべきだと私も思います。環境や健康の面からも、歩けるところは歩く、自転車で済むなら自転車と考える人も増えている気がします。
土木工学がご専門ですか。自転車道が足りないのはおっしゃる通りだと思います。現状では自転車道も場所によってバラバラなので、走りやすさや設置しやすさなどから、統一した基準やモデルも必要な気がしますね。
こんにちは。風邪をひいて自宅で休んでいる私です。どうやら花見で身体を冷やしてしまったようです。
なるほど、ロードはスポーツ、バイクは移動手段、ですか。さすがはサイクルロードさん、思慮深いですね。そうすると、やはり自転車「専用」道路を全国にガッチリ作ってもらいたいところですね(しかし、ロードもオートバイも両方大好きという人は周囲には見掛けたことがありませんね。居ないのでしょうかね)。
それと、東京にも自転車博物館があったんですね。出張の際は是非訪れてみようと思います。
noriさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私も先日の花見は、花冷えの上に雨まで降られてしまいました。季節の変わり目でもあり、体調を崩しやすい時期ですね。お大事に。
いえいえ、なんとなくそんな気がしただけです。オートバイはモータースポーツですから、当然スポーツとして捉えている人もあるでしょうが、原付バイクはあまりスポーツとは言わないような気がしただけで..。
確かにロードとオートバイは相反するのか、どちらかになるようですね。
私も堺と両方行ってみたいとは思っているのですが、なかなか行く機会がありません。一度は見ておきたい気がしますよね。
陸船車が独自に進化をとげなかったと書かれている文は改めてもらわないと困る。知りもしないのにこういう事を書かれると地元の人間としては困ります。
sanさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
これは失礼いたしました。意図としては、陸船車が独自に進化して、日本発祥の乗り物として普及したり、あるいは現在まで残ることはなかったと言いたかったのです。
「進化しなかった」ではなく、「進化して残ることはなかった」とすべきでした。
知りもしないのにと言われればそうですか、一応調べた上で書いていますので、その後の経緯も多少は知っていましたが、もう少し正確に表現すべきでした。
地元の方の誇りを傷つけるような表現になってしまったとすれば申し訳ありません。ご指摘、ありがとうございました。
この場を借りて語らせてもらうのは失礼かもしれませんが、陸船車で最も理解してほしいのは、なぜ普及する事がなかったのかと言う当時の時代背景です。その歴史を振り返り、今に教訓としなければ、いくら先進的な発明をしても同じあやまちを繰り返すだけです。歴史的価値を考えずに今だけ見ようとするのなら進歩はしません。ロマンのない人と言うのはすぐに批判したがりますが、今に至るまでの先人の知恵と言うのを素直に触れてみるべきだと思います。抑圧された結果、優れた発明品や技術力を有していても保護されなかった江戸期(近世)の社会体質。そして近代になって抑圧から解放された事で民間の技術力が一気に開花した事実。もし陸船車がどこかの大名に保護されていたのなら、そのまま改良発展を続けて二輪自転車も発明されていたかもしれない。そう言ったロマンに浸るのも悪くない事だと思います。
ちなみに[一時七里進んだ」と言う記述は門弥の陸船車について久平次が書き残したもので、新製陸舟車についての記述ではありません。今現在の本庄は道路の整備状態が悪く、交通事故も非常に多いので自転車が車道を走るのは命がけです。
sanさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
革新的な思想にしても、技術にしても、文化や芸術にしても、時代に先んじていたために、その時代に理解されず、結果として不遇な立場だったり、普及しなかったり、埋もれてしまうというのは、ままあることなのでしょう。陸船車の場合も、結果として普及しなかった背景には、いろいろあるのでしょうけど、時代の必然というものも働いているのだろうと思います。
つまり、せっかくの発明を活かせなかったのは、鎖国で、日本の伝統的な工芸品以外のものが評価されたり、育まれたりする土壌もなく、一方で社会のニーズも生まれなかったということなのでしょう。詳しくは知りませんが、インフラのこともあれば、牛馬などとのコスト差も理由だったかも知れません。
江戸時代の幕藩体制から何を教訓とするかはともかく、技術とその歴史をひも解くだけでも興味深そうですね。
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