いわゆるレストランウェディングだったので、式はホテルに設えられたチャペルではなく、市中の教会でした。ふだん、なかなか教会へ行く機会はないので、久しぶりにその厳かな雰囲気に触れた気がします。新郎新婦もクリスチャンではありませんが、どうしてもその教会で式を挙げたかったと言います。
ホテルのチャペルもきれいですが、本物の教会の建物の醸し出す荘厳な雰囲気は出せないでしょう。聞けば、前もって二人で何ヶ月か通う必要があるなど、その教会で式を挙げるのは、そう簡単なことではないらしいのですが、信者ならずとも、そんな権威と歴史と雰囲気のある場所で式を挙げたくなるのは理解できます。
キリスト教信者でない多くの日本人にとって、教会はあまり身近な存在とは言えません。せいぜい結婚式の時にお世話になるくらいかも知れません。クリスマスやバレンタインデーなど、すっかり年中行事として定着していますが、きわめて日本的なものであり、キリスト教とは離れてしまっています。
特に信仰している宗教がない多くの日本人にとって、宗教自体、ふだんあまり意識することはありません。しかし、当然のことながら欧米人などのクリスチャンにとっては、いろいろな意味で教会は密接な存在です。ヨーロッパ史もキリスト教抜きでは正しく理解できませんし、現代の欧米社会にも色濃く反映しているのは確かです。
アメリカで選挙のたびに、なぜ妊娠中絶や同性愛が争点となるのか、キリスト教が人々の考え方のベースにあることを意識しないと理解に苦しみます。21世紀にもなって、学校で進化論を教えることに真剣に反対している人が少なくないことに唖然とさせられます。ある意味、アメリカはキリスト教原理主義的な国と言えるでしょう。
ヨーロッパの場合は少し違いますが、今もキリスト教が生活の中に深く根ざしていることには変わりありません。ふだんはあまり感じませんが、何かの折りに、やはり欧州人の行動や考え方のベースに信仰があることに気づかされます。日本との文化の違いや社会の成り立ちの違いを感じざるを得ません。
日本では最近、公共の場でのモラルの低下が目立ち、耳を疑うような事例もよく報じられます。日本は「恥の文化」と言われ、周囲の目を意識して、恥ずかしいと感じることで公共のモラルが成り立ってきました。今は、自由や権利ばかりを主張し、人の目など気にせず、恥ずかしいとも思わなくなっているのでしょう。
欧米各国もいろいろな要素があるので、必ずしもモラルが低下していないとは言いませんが、宗教が底流にあることで、日本とは違った市民の良識や道徳心の存在、またその堅固さを感じます。そうした市民の意識の象徴として、教会や礼拝を見ることも出来るでしょう。
ただ教会も、宗派の違いや国民性の違いなどを反映して、随分とその雰囲気は違うものです。私もあちこちの国の教会へ出かけたことがありますが、その違いも興味深い部分です。もちろん、同じ国の同じ宗派でも、教会ごとにいろいろな特色を持つ場合もあります。
ヨーロッパのロードレースに興味がある人はご存じだと思いますが、イタリアには有名な「自転車教会」があります。(自転車「協会」ではありません。)イタリアの北部、コモ湖に近いギザッロ峠にあるマドンナ・デル・ギザッロ教会(Madonna del Ghisallo)がそれです。
単に呼ばれているだけではありません。祀られている聖母ギザッロは、1949年に当時のローマ法王ピウス12世から「サイクリストの守護聖人」という名を与えられ、正式に自転車教会として認定されているのです。観光客目当てに勝手に作り上げられたような施設とは違います。
このあたりに、イタリアにおける自転車文化の成熟度が感じられます。この教会の前の峠道はジロ・デ・イタリアなどのロードレースのコースにもなっていますし、教会内には歴代チャンピオンの自転車やジャージが献納され飾られているなど、まさにサイクリストの聖地となっています。
この教会、建物はこじんまりとしていますが、各地から連日多くのサイクリストが自転車に乗って訪れるそうです。まさに巡礼です。最近は自転車の博物館も併設されるなど、サイクリストや自転車好きのクリスチャンなら、一度は訪れたい場所となっています。
フランスにも自転車教会があります。フランスの南西部ボルドー地方にあるノートルダム・デ・シクリスト(Notre-Dame de Cycliste)という教会です。ここは10世紀に建てられたという由緒ある教会ですが、マドンナ・デル・ギザッロ教会にならって、1959年、正式に自転車教会として公認されました。他にスペインにもあるそうです。
ヨーロッパのサイクリストにとって、文字通りの「聖地」があるわけです。遠くに住むサイクリストも、いつか休みをとって、自分の足で「巡礼」の旅をすることを考えていたりするのでしょう。宗教的な意味あいは別として、ちょっとうらやましい気がしないでもありません。
日本に自転車教会はないと思いますが、自転車神社ならあります。京都にある「高神社」です。ただ、サイトを見ても特に名乗っているわけではなく、ましてや神社本庁に認定されているわけではありません。宮司さんが自転車好きなので、一部の人からそう呼ばれているということのようです。
ただ、春に自転車交通安全祈願祭を催したり、「自転車交通安全お守りステッカー」があったりするそうです。お近くの方はともかく、果たして遠方から「巡礼」する場所としてどうかと言われれば、私も行ったことはありませんので、何とも言えません。
自転車寺も聞いたことはありません。しかし、考えてみれば、日本は「八百万(やおよろず)の神」の国なわけですし、多くの寺社があるわけですから、探せば所縁のある神社、もしくは寺院があるかも知れません。特に関連がなくても、ツーリングの目的地として寺社を選んでみるのも悪くありません。
昔から、日本人も巡礼の旅を続けてきました。有名なのは四国霊場八十八ヶ所巡り、いわゆるお遍路でしょう。しかし、他にも多くの巡礼があります。弘法大師霊場八十八箇所も、実は四国だけではなく、関東や北海道など各地にあります。そして弘法大師霊場だけではありません。
調べてみると、観音菩薩霊場三十三箇所巡りとか、円光大師霊場二十五箇所巡り、薬師如来霊場四十九箇所巡り、不動明王三十六箇所巡りなどがあり、またそれぞれが各地にあります。もっと身近なところでは、七福神、場所によっては八福神めぐりなんかもあります。善光寺参り、お伊勢参り、熊野詣でや金毘羅詣なども有名です。
キリスト教やイスラム教の聖地巡礼は聖地一箇所だけへ、まっすぐに向かうのに対し、東洋では何箇所も順番に巡ることが多いという違いも面白いですが、一箇所であれ複数であれ、寺社仏閣を目的地、あるいは経由地にしたにしたツーリング計画を立ててみるのも面白いかも知れません。
寺社めぐりと言うと、何か年寄りくさいと感じる人もあるでしょうが、多くの寺社は林に囲まれていたり、境内が周囲の喧騒から離れて静かだったり、静謐な雰囲気があったり、ツーリングの途中に一息つくのに好適で、落ち着ける場所も多いと思います。その寺社の由来や地域の歴史をひも解いてみるのも一興です。
もちろん、信仰にこだわらない多くの日本人ならば、寺社仏閣や教会ではなく、景勝地でもグルメでも何でもいいわけですが、何か、ツーリングにテーマを加えると、ルートを決める計画段階から楽しくなるものです。スタンプラリー的な楽しみも加わります。自分だけの巡礼ツーリング・プランを組んでみてはいかがでしょうか。
四国のお遍路道は1400キロにもなりますから、本来の徒歩で廻ったら、一日10時間くらい歩き続けても最低40日くらいはかかるそうです。一日10時間歩くというのは、かなり大変です。自転車でまわるのは邪道なんでしょうけど、スピード的にも身体的にも相当ラクになるでしょう。一度まわってみたいものです。
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四国八十八ヶ所巡りを、自転車の駅伝形式でつなぐイベントもある。
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ツーリングの計画を立てるときには、高低差も考慮するべきだろう。
ただ通り過ぎるだけではなく
ツーリングの目的地や休憩に、意外な施設が使えるかも知れない。