August 08, 2008

色や数にこだわるのではなく

いよいよ北京オリンピックが始まりました。


アテネオリンピックが、ついこの前のような気もしますが、もう4年も経ったわけです。もちろん、オリンピックを目指して日々励んできた選手やアテネの雪辱を誓う人などにとっては長い道のりだったのでしょう。この4年に1度というのは絶妙な間合いにも思えますが、実は古代オリンピックに倣ったものだそうです。

近代オリンピックの生みの親と言えばクーベルタン男爵ですが、当時ギリシャのオリンピアで遺跡が発掘され、一部で古代オリンピックに対する関心が高まっていたにせよ、よくぞ、それを現代に復活させようなどと考えたものです。今でこそ当たり前のようになっていますが、優れた構想だったと言えるでしょう。

近代オリンピックが出来なければ、各競技のワールドカップや世界選手権がそれぞれの世界大会として個別に行われるだけだったに違いありません。しかし、今やオリンピックは、世界の200以上の国と地域が参加する、文字通り世界最高峰のスポーツの祭典となっています。

北京五輪開幕日本でも早くから北京オリンピックの特集が組まれ、報道も一部過熱気味と言えるほどでしたが、ようやく熱戦の火ぶたが切られるわけです。出場する選手に対する期待も否が応にも高まっているわけですが、マスコミは二言目には「メダル、メダル。」と、その色と数に言及するのが、個人的には、ちょっと余計な感じがします。

世界各国の選手が、国の威信をかけて激突するわけですから、応援する側としても熱が入るのはわかります。人々のナショナリズムが刺激され、メダルの数を競いたくなるのも日本だけのことではないでしょう。しかし、このメダルの数の報道は、マスコミが勝手にやっていることです。

もちろん、国民の関心事には間違いありません。しかし、オリンピックは個人または団体での選手間の競争であり、国家間の競争でないことはオリンピック憲章に明記されています。IOC、国際オリンピック委員会は、いかなるものであれ、国別の世界ランキング表を作成してはならないと規定されています。

もちろん私だって、日本人が活躍すれば嬉しいですし、日本選手や日本チームを応援する気持ちはあります。しかし、その気持ちが高じて、メダルの数がどうのとか、前回アテネ大会と比べてどうのということばかりに執着するのも、如何なものかという気がします。最近、特にその傾向が強くなっているような気もします。

LR着用でタイムが向上200を超える国や地域の中には、過去に1個もメダルを獲得したことのない国だってたくさんあります。選手団と言っても僅か数名という小国も少なくありません。オリンピックの競泳に出場する選手の練習プールがたった16メートルの長さしかないという国だってあるのです。

戦争や内乱などで過酷な状況にある国だってあります。日本では、ほとんどどんな国か知られていないような国も出場します。せっかくの機会ですから、そうした国のことをもっと知るとともに、ただ日本だけを応援するのではなく、国籍にこだわらず、真剣に競技する選手一人ひとりの姿にも注目したいと思います。

クーベルタン男爵が倣ったのは、オリンピアードと呼ばれる4年という開催間隔だけではありません。古代五輪は、古代ギリシアの王が、「争いをやめ、競技会を復活させよ」という神からの啓示を受けたことで始まったと言われています。その為、古代ギリシャでは戦争状態にあってもオリンピック期間中は戦争を中断していたと言います。

すなわち、近代オリンピックにおいては、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピックの理念そのものも古代オリンピックに由来しているのです。

最下位ではメダルがもらえないオリンピックがスポーツの祭典であると共に、平和の祭典と言われる所以です。オリンピックは、スポーツを通じて世界平和を目指す運動でもあるのです。このオリンピックのあるべき姿、オリンピズムは、近代オリンピック誕生当時、欧米列強が覇権を争う帝国主義の時代だったことを考えると、きわめて画期的なことだったと感心します。

有名な、「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉は、クーベルタン男爵がイギリスの聖職者の言葉を引用し、「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」という趣旨のスピーチをしたことで、オリンピックの理想を表す名文句として広まったと言います。

オリンピックに出場するために、選手が切磋琢磨し、努力を重ねて人間として成長することの尊さを指しているわけですが、それだけではないと思います。オリンピックに参加することが、世界の人々と理解しあい、世界の平和を目指すことになるという意義をも示しているのではないでしょうか。

そうした平和の祭典だからこそ、過去にも戦争による中断やボイコットなど国際政治の影響を免れることは出来ませんでした。今回の北京も、ダルフール紛争やチベット問題などに対する抗議が世界中で巻き起こっています。人権を抑圧し、民主国家とは言えない中国がオリンピックを開催する資格があるのかと言う人もいます。

五輪自転車代表確かにそうかも知れません。しかし、そうした問題を世界にさらけ出したのも事実です。中国は100年の悲願であるオリンピックを開催し、また成功させて世界に対する影響力を拡大しようと、国民の不満を封じ込め、公害を抑え込み、食品の安全を強調し、無理をすればするほど、その特異性が世界に明らかになるに違いありません。

IOCのサマランチ前会長が、経済的が急成長し、世界最大の人口を抱える中国での開催に強くこだわったという事実を指摘する人もいます。おそらく、そうした裏側の部分もあるのでしょう。オリンピックの商業主義が加速したことを批判する人もいます。確かに世界的なスポンサー企業の意向が色濃く反映することもあるはずです。

今回の北京で、有力種目の決勝が異例の午前中に設定されているのも、時差のあるアメリカのテレビ局の意向なのは明白です。他にもいろいろな問題、批判、考え方の違いはあります。テロ警戒のため厳戒態勢が必要なのも残念ですが、それでもオリンピックが開かれ、過去最多の国と地域が参加することに意味があるのだと思います。

クーベルタン男爵の時代には、テレビなんて影も形もなかったわけですが、今は全世界に中継され、世界中の多くの人が観戦、応援という形で『参加』出来るようになりました。このことによって、オリンピックの平和の祭典としての可能性も飛躍的に拡大したと言えるでしょう。

五輪開幕オリンピックに参加している選手たちだけでなく、オリンピックの観戦している多くの人もオリンピックの理念を共有することが出来ます。ふだん、世界で何が起きているか興味のない人が多いと言われる日本人も、この機会に、世界の人々を見て、ちょっと世界のことを考えてみるのも無駄ではないでしょう。

グローバル化の時代、世界の人々のことを知るのはオリンピックの時だけではありませんが、やはり欧米をはじめとする主要国のことが中心なのは間違いありません。ふだんは気にもかけないような遠い国、関係の薄い国、日本人には馴染みの薄い宗教とか、考え方の国も参加しています。

オリンピックの見方、楽しみ方は人それぞれです。高いレベルの競技を堪能したり、ナショナリズムを大いに刺激されて「ニッポン!」と叫んで熱狂するのもいいと思います。今回も、選手たちの生む熱いドラマが私たちを惹きつけ、感動を生む勝負が繰り広げられるに違いありません。

私も、日本人選手の活躍に一喜一憂したいと思います。ただ、同時にちょっと冷静になって、自分とは生まれも育った環境も、信じる宗教も、考え方も大いに違う人々にも注目してみたいと思います。せっかくの平和の祭典です。日本人が、ふだん意識することの無い平和について考えてみるのも悪くないと思います。



個人的には自転車競技がもう少し注目されれば、自転車に対するイメージや理解も変わるかなと思うところはあります。近代オリンピック開始時から正式競技として採用されている自転車ロードレースやトラック競技、アトランタから追加されたMTB、今回からのBMXと多彩な種目があるのに、日本での注目は今一つなのは否めません。選手の活躍を期待したいですが、そもそも日本では人気種目とは言えないところが背景としてあるのでしょうね。

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この記事へのコメント
同感です。
恐縮ながら付け加えるとしたら、続いて行われるパラリンピックにも注目し応援したいということです。
特にハンドサイクルは今回から正式種目ですし。
ただパラリンピック自体をマスコミがあまり取り上げないということが残念です。
オリンピックが終わると急速に熱が冷めてしまいほとんど注目されないからでしょうか?
個人的にはオリンピックより先にパラリンピックを行った方が注目されていいのではないかと思っていたりします・・
Posted by 蹴球芯 at August 11, 2008 12:52
蹴球芯さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かにそうですね。ソウル大会から、オリンピックと同一の開催地になり、以前より注目されるようになったとは言うものの、まだまだ注目度は低いですね。デフリンピックや、スペシャルオリンピックスとなると、さらに知名度が低いですが..。
いい悪いは別として、日本の場合、JOCは文部科学省管轄でスポーツ機関なのに対し、JPCは厚生労働省の管轄です。パラリンピックは、オリンピックのようなスポーツと言うより、リハビリの延長にある医療か福祉の大会と見られてきた経緯があるのは否めないのでしょうね。マスコミがあまり取り上げないのも、やはり世間一般の関心の低さが反映していると言えそうです。
世界的には、パラリンピックをオリンピックに統合しようという動きもあるようですし、今後は競技として見られるようになっていくのではないでしようか。
Posted by cycleroad at August 12, 2008 00:50
 
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