栃木県の県庁所在地で人口50万の中核市である宇都宮の、任期満了に伴う今回の市長選は、LRTの導入の是非が最大の争点となりました。導入に前向きな現職が次点に4万票近くの大差をつけて再選を果たしたものの、LRTの導入に反対した他の3人の候補の総得票との差は、わずか5百票余りと微妙な結果となりました。
このLRTとは、軽量軌道交通、Light Rail Transitの頭文字です。わかりやすく言うと、次世代型の路面電車です。日本では、モータリゼーションの進展に従い廃れてしまった路面電車ですが、欧米の都市では環境にやさしい交通手段として導入され始めています。
日本でも、2006年に開業した富山市の「富山ライトレール」が予想を上回る乗客を集めて好調に推移したこともあり、LRTが全国から脚光を浴びるきっかけになりました。この富山ライトレールは、市の都市計画にも組み込まれた新しい都市交通システムとして、実質的な日本のLRTの第一号と言われています。

日本の都市の多くではクルマがあふれ、渋滞や交通事故が常態化しています。考えてみれば、クルマの利便性を優先するがために、人がクルマの動きにビクビクしながら移動することを強いられたり、事故で多くの人命が失われ怪我を負うのは理不尽です。医療の進歩もあって死者は減少傾向ですが、依然として事故は多発しています。
すぐに被害が現れないので見過ごしがちですが、排気ガスによる大気汚染によって、人々の健康も蝕まれています。昔と比べれば、排気ガスもきれいになったとは言え、依然として窒素酸化物などの有害物質をまき散らしていることには変わりありません。ふだん自転車に乗っていると、それを実感することも多いのではないでしょうか。
渋滞によって、大きな経済損失が発生し、都市の中心部の高価な土地がクルマに占有されることで無駄になっています。もちろん、物流などの恩恵も受けますが、個人の不要不急のクルマによって公共交通の円滑な運行が阻まれるという事態にもなっています。地球温暖化ガスを排出し、ヒートアイランド現象なども助長します。
本来、人間を中心に考えるならば、人の集まる都市の中心部へはクルマの乗り入れを規制し、クルマに脅かされることなく安心して歩行し、理不尽にも命や健康が失われないようにしてもいいはずです。渋滞により、貴重な公共空間が長時間占有される損失も実はバカになりません。

そう考えると、ふだん日本の多くの都市で当たり前のようになっていることが、おかしく見えてきます。実際、そのように考えてヨーロッパなどの都市では、都市の中心部へのクルマの進入を制限、あるいは時間などで規制するところも増えています。街など人の集まる場所では、人間が優先という考え方です。
その場合、言うまでもなく自転車は有効な移動手段です。クルマに比べて道路投影占有面積が圧倒的に小さく、クルマのような渋滞を招くこともなく、有害物質や温暖化ガスをまき散らしません。ただ、いつでも、すべての人に自転車での移動を強要するわけにもいきません。誰でも利用できる公共交通が必要になります。
そこでLRTが導入されているわけです。電力で動きますので、発電による温暖化ガスの排出は別として、少なくとも排気ガスをまき散らしたりすることはありません。輸送力や定時運行性、イニシャルコストの低さ、次世代型は低床式などアクセシビリティにも優れています。サイクルトレインで、自転車を乗せるのも容易です。
ヨーロッパなどでは、地球温暖化防止の観点からも、脱クルマが進みつつあります。LRTは環境負荷の小さな次世代の公共交通として、クルマに代わる人々の便利な足として整備されているのです。ちなみに中心部への物流は、時間で区切って深夜などに行われることが多いようです。
昼間にクルマを遮断するなら、片側2車線以上ある道路の1車線はLRTの軌道を敷設し、もう1車線は自転車道にするなんてことも出来そうです。物流業者にとっても、渋滞の激しい昼間に都市部への配送を要求されることがなくなり、深夜のすいている時間帯に配送を行うことになるので、ラクになる点もあるのではないでしょうか。
日本でもLRTへの注目度が高まっています。宇都宮以外にも、堺や京都をはじめ各地で導入が検討され始めています。ちょうど1年前くらいのニュースですが、(財)鉄道総合技術研究所では、Hi-tramと呼ばれる架線とバッテリーのハイブリッドタイプのLRT用の車両が開発されています。


これは、架線と車両搭載のバッテリのどちらか、または両方の電力で走行することが可能な電車です。省エネ型ですが、何より優れているのは、従来、路面電車が道路中央を走行する場所など道路全体に網のように架線や支持するワイヤーが張られていましたが、その架線を一切張り巡らさなくても済むようになることです。
これは都市の景観上、画期的な進化です。例えば、オーストリアのウィーンなども、路面電車が整備されていて非常に便利なのですが、道路上に張り巡らされた架線で、せっかくの街並みが遮られて残念な気がするのは私だけではないでしょう。これが、すべて撤去出来るなら、非常にすっきりします。
このハイトラムでは、リチウムイオンバッテリーを搭載することで、充電した電力で走行出来ます。最大40秒の充電で3キロほどの走行が可能と言います。つまり、路面電車の停留所、電停に停車して乗客が乗り降りする間に、次の電停までの電力を充電すれば、架線が不要になるわけです。ちょっと目からウロコです。
普通、電停間は3キロもないでしょうから、もっと短い停車でも大丈夫です。言われてみれば簡単なことですが、なるほどこれなら架線は不要になります。電停間の短い間の電力だけ充電できればいいので、バッテリーも小さくて済みます。現在札幌の路面電車で試験運転などを行い、実用化に向けて更に改良が進められています。
電気自動車の場合は、ある程度の航続距離を実現するため、大きなバッテリーを搭載する必要が出てきます。そのぶん重量が増えるので、航続距離が減るという、ある意味悪循環的な部分があります。LRTで、短い充電と走行を繰り返しすならバッテリーの重量もさほど増えません。なるほど、これはうまいやり方です。
ふと思ったのですが、これを電気自動車にも応用したらどうなのでしょう。一般の乗用車は無理としても、タクシーなどなら十分可能ではないでしょうか。駅前のタクシープールや街中のタクシー乗り場で客待ち中に充電するわけです。もちろん長距離の客には対応できませんが、市内の短い距離の走行を繰り返すなら十分です。
LRTの話とは離れますが、バスやタクシーなど公共交通を、ひと足先に電気自動車にする手もあるでしょう。都市部では電気タクシーとして、周辺部で郊外への長距離用の普通のタクシーと乗り換える手も考えられます。バスの電気化は、排ガスを吸わされる自転車利用者にとっても嬉しいことです。
脱クルマ社会を目指す上でLRTは有効な選択肢となります。ただ、今回の宇都宮の例を見ると、都市交通や、都市のあり方をどうしていくかという点については、住民の間にもさまざまな意見があり、そう簡単にLRTの導入が進められるものではないようです。
なかには、だいぶ誤解している人もあるようですが、住んでいる地域や恩恵を受ける度合によって意見が違ってくるのも当然なのでしょう。かえって迷惑と考える人、赤字となって市の財政が圧迫されることを心配する人、もっと違うことに予算を使ってほしい人、道路やハコモノ中心の公共事業に批判的な人などいろいろです。
また投票率から言っても、市民の関心度は必ずしも高いとは言えません。LRT構想が持ち上がった、そもそものきっかけは、同市東部の工業団地への通勤車両が引き起こす大渋滞だったと言いますが、LRTのもたらす効果についても見方が分かれています。
地下鉄などの建設と比べると、はるかに低い費用で導入できるLRTですが、利用者が増えずに赤字に陥るリスクも当然あります。結局は税金として市民が負担するわけですし、赤字ローカル線やバス路線が次々に廃止される中で、その採算を心配する声が出るのも当然でしょう。
LRT導入の是非については、地域によって事情もいろいろ違うので一概には言えません。もちろん宇都宮の場合についても私には判断がつきかねますし、当事者でもないですから、とやかく言うつもりはありません。ただ、LRT導入について、そう簡単にコンセンサスが得られるものではないとの印象を持ちました。
1路線開通したからと言って、必ずしも大きな効果があるとは限りません。都市の交通システム全体を考えなければ、排ガスや事故が減るなど、本当の意味で市民生活に資することにならないでしょう。また、来るべき少子高齢化社会を見据え、将来の都市のあり方や、人々のライフスタイルの変化も考える必要もあります。
多くの都市では、実現するとしても、まだまだ時間がかかりそうです。しかし、検討を始める自治体や電鉄会社なども増えています。少しずつ市民の認知度も高まり、今回の宇都宮のように選挙の争点となったり、市民レベルでの議論も進んでいくでしょう。少しずつでも確実に進み始めているのは間違いなさそうです。
Hi-tramは、1年前くらいにニュースになり、自転車とも親和性の高いLRTと合わせて取り上げたいと思っていて忘れていました。偶然、別の話から思い出したので今回記事にしてみました。
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未来において、果たしてLRTは普及していくことになるだろうか。