May 23, 2009

日本の味覚の未来は大丈夫か

少し前のことですが、友人宅で夕食をご馳走になる機会がありました。


日曜の夕方だったのですが、どうしてもその日のうちに、ある品物を受け取る必要が出来て、友人宅まで行くことになりました。友人宅まで直線距離だと20キロもないと思うのですが、電車だと遠回りになるので時間がかかりますし、クルマだと渋滞も予想されます。当然のように自転車で出かけました。

図ったわけではないのですが(笑)、ちょうど夕飯時になってしまいました。友人も自転車で来るとは思わなかったらしく、腹も減っただろうから、飯を食っていけと誘います。確かに空腹感はありましたし、奥さんも熱心に言ってくれるので、その言葉に甘えることにしました。

突然だったので、特別な料理ではなく普通の献立でしたが、とても美味しくいただきました。でも、味を褒めると奥さんは、「いや、私の作ったのはニセモノだから。」と言います。もちろん日本人なので謙遜はすると思いますが、それにしても『ニセモノ』という言葉がひっかかります。

日本の「食」を守れ実は、その友人の奥さんも私は昔からよく知っているので、その真意を聞いてみました。あまり意識せずに出た言葉だったようですが、外で食べたり買ってきたりする料理が本物で、家庭で手作りする料理は、それにかなわないということのようです。工夫はするものの、どうしても本物の味は出せないというわけです。

そりゃプロの料理人にはかなわないでしょう。しかし、彼女の言う本物の味は、一流料亭の味ではありません。例えば、家族内で人気の、大手食品メーカーの冷凍ギョウザが本物の味で、彼女が具と皮から作る手作りの餃子は、その味に似せようとは思っても、どうしても差があって、ニセモノだと家族に言われてしまうのです。

行列の出来る店の餃子ならともかく、冷凍食品より手作りの餃子のほうがよっぽどいいと思うのですが、彼女の夫や子供は出来あいのギョウザが口に合うようです。やっぱりお母さんの作る餃子はイマイチだと言うわけです。確かに、最近の冷凍食品の味は進歩していると思いますが、それにしてもニセモノとの非難はないでしょう。

そのほかの料理も、スーパーのお惣菜が本物だったり、ファミレスのメニューが本物だったりします。あるいは、大手食品メーカーの製品、何々の素といった簡単調理用のレトルト製品で作る味が本物ということのようです。唐揚げは某ファーストフードチェーンの味が本物、フライドポテトは某ハンバーガーチェーンの味が本物です。

カレーやシチューも出来あいのルーの味、パスタソースは電子レンジで温めるだけ、中華料理も何とかの素で覚えた味が標準です。確かに、最近のレトルト食品やファーストフードも美味しくなっているとは思いますが、いつの間に「本物」に昇格したのでしょうか。

彼女の名誉のために断っておきますが、決してその手料理がまずいわけではありません。私はとても美味しくいただきました。ただ本人も、例え冷凍食品であってもプロの作る味にはかなわないと感じているのです。後日、別の機会に他の複数の女性にも聞いてみたのですが、今どき、わりと普通の感覚のようです。

家族の食卓昔、例えば私の母親くらいの世代だったら、自分の作る料理がニセモノだとは考えなかったと思います。事実、私の母親などは、自分の作る料理に自信を持っていました。買ってきたお惣菜のほうが美味しい気がすることもないではなかったですが、そんな批判は受け付けませんでした(笑)。

当時のレトルト食品の味は、今より劣っていたのも確かでしょうが、うまいと感じる人は感じていたはずです。しかし、私の母親などは、そんな保存料や合成着色料が使われ、化学調味料で濃い味付けにされた食品など、売らんがためのニセモノに過ぎないと断じていました。

自分の作る料理こそ家庭の味であり、見栄えは悪いかもしれないが栄養は満点、自然の素材を使っていて身体に悪い合成された物質は入っておらず、これこそ本物の料理だと言うわけです。塩分が多かったり、人工添加物ばかり多く使われている料理は旨く感じられても、身体には悪いと信じて疑わなかったと思います。

いわゆるファーストフードは脂っこくで、カロリーも高く健康的でないと考えている人は世界的にみても少なくないと思いますが、今の子供たちにとっては、生まれた時からファーストフードに慣れ親しんでおり、抵抗がないどころか、大好物だったりします。子供の肥満が飛躍的に増えている要因とも目されています。

しかし、昔ながらの「おふくろの味」で育った世代ですら、最近は、ファーストフードやレトルト食品の味に慣れ、家庭の素朴な味付けでは物足りない人が増えてきているのは深刻な事態のような気がします。最近問題となっている「メタボ」や生活習慣病の増加とも無縁ではないでしょう。

料理の基本を現代の家庭は、言うまでもなく核家族化し、共働きの世帯も増え、お母さんも忙しくなっています。簡単手軽で時間のかからないレトルト食品や、何とかの素といった製品が売れるのは時代の必然なのでしょう。コンビニの弁当やお総菜が売れるのもわかります。ファミレスやファーストフードで食事を済ませる機会も増えているはずです。

結果、昔ながらの食生活で育った世代ですら、気がつぬうちに濃い味付けに慣らされているようです。そして急激に日本人の味覚が変化している可能性があります。このままだと、おふくろの味とか、ふるさとの味、郷土料理の素朴な味、微妙な旨味、繊細な味は、全国展開する大手食品メーカーの味に駆逐されてしまうかも知れません。

そんなことはないだろうと思うでしょうが、アメリカ料理の例があります。アメリカ人には悪いですが、正直に言って、日本人には信じられないような「まずさ」です。アメリカを旅行するとわかりますが、ボリュームはあるものの大味で、塩からいか甘いだけで、すぐ飽きます。到底日本人の口には合わないと言うのが一般的な評価です。

ニューヨークなどの大都市や西海岸には美味しいレストランもありますが、そのほかでは散々な目に合います。私はニューヨークやロサンジェルス、サンフランシスコであっても、アメリカ的なメニューの店は避け、他の国の料理を出すレストランを利用します。日本人とは舌が違うとしか思えません。

ところが、以前何かの本で読んだことがあるのですが、19世紀の中頃までのアメリカ料理は美味しかったのだそうです。証拠として、当時のヨーロッパ人の書いた文献も残っています。しかし、それ以降のアメリカでは、レストランの味が変わるほどの変化が起きました。

食の祭典「食博覧会」缶詰や冷凍食品が登場し、アメリカの食卓が変わったのです。国土か広く、移動距離の長いアメリカでは、保存がきき、多少味が落ちても便利な食事が受け入れられました。その後テレビが普及し、そこで紹介された電子レンジで解凍する冷凍食品も大ヒットしました。

共働きの家庭が増え、社会がスピードアップする中で、合理的で効率を追求するアメリカ社会では、それなりにおいしければ、簡単に済ませられる食事がいいとする風潮が広がりました。子供の頃から、こうした食品に慣れた人々は大人になっても抵抗はありません。いつしか国民全体の味覚が変わっていったのだと言います。

かくして、20世紀の中ごろまでの百年間で米国の食卓が変わり、米国人の味覚が変わり、当然レストランの味も変わってしまいました。まさに日本の未来を暗示しているように感じるのは私だけではないでしょう。日本人の繊細な味覚だけは失われないとするのは、根拠に乏しく説得力に欠けます。

最近、不況や食品偽装などの影響で、家庭で料理をする人が増えていると言います。しかし、これは一時的な現象であり、ファーストフードやお弁当、お惣菜などのいわゆる中食も、より一層の低価格化を進めて巻き返しに躍起となっています。一時的には回帰したとしても、便利さ手軽さに惹かれる部分は小さくないはずです。

利便性を選択することを、一概に非難するつもりはありません。ただ、それら簡易食をニセモノだと意識するどころか、そうした味付けこそ本物であり、お母さんが一生懸命手作りした料理をニセモノだとする風潮には愕然とします。日本の味の将来に悲観的にならざるを得ません。

母親、あるいは妻として、家族の健康を考え、素材を選び、カロリーを気にし、味付けを考え、栄養満点の料理を作っているのに、「何とかの素」のほうが美味しいと言われれば、手間をかける気もしなくなるでしょう。手作りの苦労が全く評価されないなら、買ってきたほうがましです。

料理研究家も、家庭の味がニセモノ、あるいは劣る味だと考える人が増え、日本人の味覚が変わりつつある事実を指摘しています。そう聞くと驚きますが、なるほどこの状況なら味覚が変わっても不思議ではありません。日本がアメリカの後を追うことになる可能性は残念ながら低くないのでしょう。もはや不可避なのかも知れません。

アメリカでは、その失われた味覚を取り返すべく、苦闘している人々もいます。ローカルフードを見直し、食べ物の多様性を取り戻そうとしています。ファーストフードに対するスローフードの考え方も一部で理解されつつありますが、忙しい現代社会の中で、一度失われたものを取り戻すのは、なかなか困難なようです。

今さら、レトルト食品や全国展開するスーパーやコンビニを否定することは不可能でしょう。忙しい現代人へ料理に手間をかけろと言うのも難しい部分があります。しかし、このままだと、日本でも味の多様性が失われていく憂慮すべき状況であることは確かなようです。

今から食い止められるのかわかりませんが、日本の母親たちには、自分たちの手作りの味にもっと自信を持ってほしいものです。レトルトの味こそ本物と思わされれば、健康ばかりか、日本人の味覚の危機につながります。せめて、私たちは日本の食が画一化していく危機に立っていることに気づく必要があるのではないでしょうか。



それにしてもマスクが手に入らないなと思っていましたが、新型インフルエンザの患者数、新規発症は減少と報じられています。なんとか、このまま終息に向かって欲しいですね。

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この記事へのコメント
自分は外食大好きですが、外食は味が濃すぎるんで食べ終わる頃には「もういいや」って感じになります。

それに比べて家のご飯は飽きが来ないんで家ご飯が一番です
Posted by 職人気取り at May 26, 2009 18:24
初めまして。

家庭料理がニセモノなどという感覚が存在するとは信じられません。
インスタントやレトルトの方がニセモノでしょう。

十数年前、日本に出張していた40代のアメリカ人は、特製コンテナに滞在期間中をカバーする缶詰スープとスナック菓子を持って来ていました。
彼にとっては、その缶スープがおふくろの味だったようです。
驚きあきれましたが、今や日本もそうなりつつあるのでしょうか?
Posted by ひろにゃんof風琴屋 at May 26, 2009 23:28
職人気取りさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かにそういう面はありますね。私も一食ではなりませんが、連日外食が続いたりすると、濃い味付けに食傷気味になることはあります。
やはり、慣れ親しんだ自分の家の味付け、ということになりますね。
Posted by cycleroad at May 27, 2009 23:43
ひろにゃんof風琴屋さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私も信じられない思いでしたが、今どき、わりと普通に聞くセリフ、感覚のようです。周囲がなんと言おうと、レトルト食品の味に慣れてしまうと、その味が一番ということのようです。
そのアメリカ人のように出張にまで持っていくかは別として、例え缶詰であっても、やはり慣れ親しんだ味ということなのでしょう。今なら日本食は人気がありますから、そんなことはしないのでしょうけど..。
ただ、十数年前なら、海苔や梅干しなどを持って海外旅行に行く日本人もいましたから(笑)、同じことかも知れませんね。
Posted by cycleroad at May 27, 2009 23:57
関東の方にこういう話題は難しいでしょうね。
彼らは醤油という味の基幹さえ統一しましたからね。
Posted by 末席 at June 28, 2011 13:44
末席さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
関東と関西の味付けの違い、食文化の違いという話ではありません。
関東だけでレトルト食品が売れているわけではないでしょう。関西は味にうるさいから、家庭の味が失われていないかと言えば、そんなことはないと思います。
レトルト食品は、関東と関西、あるいはもっと細かく味付けを変えている商品もあるらしいですが、関西であっても、関西向きの味のレトルト食品が浸透し、気づけば本来の伝統の味ではなくなっている家庭も少なくないのではないでしょうか。
Posted by cycleroad at June 28, 2011 23:21
cycleroad様
1 私は関西人ではありません。九州人です。
2 関東でスーパーを覗いてみましたが、
  取り扱いのある醤油は、ほぼキッコーマンのみです。
3 醤油は凡そ味の基幹です。
4 九州全域で醤油が一社寡占という状況は在り得ません。
  各社各様で味の微妙な違いが醤油の選択肢を
  増やしています。
5 レトルト以前の問題で基幹を寡占状態にしている
  関東の皆さんが味を語るのは、私は疑問です。
Posted by 末席 at June 29, 2011 12:12
末席さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
九州の方でしたか。どこかなと思ったのですが、一応よく対比される関東と関西の例を出してみました。
ディスカウントスーパーでは、種類を絞っているところもあります。しかし、多くのスーパーでは1種類ということはないでしょう。実際、ヤマサやヒゲタなど、他の醤油もよく見ます。
関東では、価格志向の全国チェーンの流通大手ばかりではなく、独自色を打ち出し、品揃えを充実させたスーパーや小売店も少なくありません。キッコーマンのシェアは4分の1ほどだそうですし、一部の店を覗いただけで、キッコーマンのみと判断するのは性急でしょう。
東京は日本全国から物産が集まりますので、各地の醤油が手に入ります。関東以外の出身の人も多いので、慣れ親しんだ故郷の醤油を使っている人もいます。
また、関東と言っても、地域ごとに違いがありますし、野田や銚子、埼玉など、地元の醤油もあります。
確かに醤油の味は和食の重要な部分でしょうが、ここでは醤油の味についてだけ述べているわけではありません。ご存知のように、東京は世界各国の料理が味わえることでは、世界一とも言われています。和食の店、郷土料理の店も無数にあります。いろいろな味があって、それがわかる人がいるからこそ、これだけ多様な味の店があるのでしょう。でなければ、皆同じようなチェーン店ばかりになってもおかしくありません。
関東の人と言っても、すごい人数がいるわけですし、すべて一緒にして、味を語る資格がないかのように言うのは、ちょっと乱暴な話ではないでしょうか。
関東にも九州にも、いろいろな人がいるわけで、そもそも地域によって、こうだと言うことに無理があるような気がします。
Posted by cycleroad at June 29, 2011 23:59
 
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