と聞いてピンとくる人は、かなり少ないのではないかと思いますが、実はこれ、新しいタイプの歩行者用信号のことです。今までの歩行者用信号が、青や赤地に白抜きのヒト型だったのに対し、新しい信号機は、黒の背景に青や赤のヒト型に並んだLEDが点灯します。言われてみれば確かに青人間、赤人間です(笑)。
LEDは、もちろんクルマ用の信号機にも使われ始めています。徐々に増えつつあるので目にしたことのある方も多いと思います。ただ、都道府県によってバラツキが大きく、例えば東京ではクルマ用の4割がLEDに置き換わっているのに対し、歩行者用はまだ1.5%ほどです。全国平均では、それぞれ12.8%と5.3%がLEDです。
このLED信号機、横から見ると、従来よりかなり薄型になっています。視認性も良く、西日が当たるような場所でもクッキリと見えます。なんと言っても、電球式に比べて寿命が長くなった上に、消費電力は6分の1とコストパフォーマンスに優れています。コストばかりか温暖化ガスの排出削減にも貢献するわけです。
歩行者用信号機は、今も設置が要望されている箇所が多いと言いますので、LEDに置き換わるだけでなく総数も増えていくのでしょう。交通量の増加や住民の高齢化などに伴って、安心して道路を渡るため、横断歩道だけでなく歩行者用信号も設置してほしいという希望が増えているようです。
交差点なら、信号が変わるのを待てば渡れますが、交差点でなく、道路の途中にあるような横断歩道では、交通量によってはクルマが途切れず、なかなか渡れない場合もあるでしょう。押しボタン式の歩行者用信号を設置してもらえれば、クルマを止めて、ゆっくり安全に横断することが出来ます。
そう考えると、「歩行者用信号」が必要と言うより、クルマに止まってもらうための信号機が必要なわけです。本当は、道路交通法の定めるところによって、信号機のない横断歩道で歩行者が横断しようとしていたら、クルマはその前で停止する義務があったはずです。
今どき、ただの横断歩道に立った時、どれくらいのクルマが止まってくれるでしょうか。減速もせずに通り過ぎるクルマも多いに違いありません。いつの間にかクルマ優先のようになっています。本来の歩行者優先で横断できるなら、横断歩道だけで歩行者用信号機など不要なはずです。
歩行者優先、または交通弱者優先の原則と言いながら、その実、道路は車道中心に整備され、クルマ優先になっています。歩道とは分離し、信号で歩行者を止まらせ、全てクルマが走りやすいようになっています。クルマにとって邪魔な自転車は歩道を走れ、という交通行政が長年にわたって行われてきたのも厳然たる事実です。
結果として、クルマはラクに運転出来るようになりました。脇見運転やケータイを使いながら運転する人もいるほどです。歩行者のほうが気をつけてくれるので、当然注意力も散漫になります。また、歩行者や自転車がよけてくれることで、クルマが優先、一番エライかのように勘違いする人も出てきます。
横断歩道に人が立っていないか、クルマが注意して通行するどころか、歩行者が注意して横断しなければ命を失いかねません。信号でこそ停止しますが、クルマの優先を邪魔するような歩行者があれば、蹴散らさんばかりに走行するドライバーもいます。交通弱者優先どころではありません。
交差点で青信号で渡っている歩行者が、強引に右左折してきたクルマの犠牲になるような事故も、相変わらず少なくありません。クルマが細心の注意を払うべきなのに、歩行者がヒヤリとするような状況も多く、自転車で横断していても、遅いと見るのか、止まると思うのか、強引に右左折するようなドライバーも少なくありません。
信号があってもこの状態ですから、無ければどうなることかと思ってしまいます。周辺住民の要望で歩行者用信号機が増えていくのも仕方ありません。信号機や標識、その他の構造物などによってクルマの走行を制御しなければ、歩行者の安全なんてとても確保できません。
ところが、この常識的な考え方を疑った人がいます。オランダの道路交通エンジニア、Hans Monderman(ハンス・モンデルマン)さんです。むしろ、信号や標識によって、クルマが走りやすくなっていることこそが、人々を危険にしているのではないかと考えたわけです。逆転の発想です。
彼は、この考え方に沿って、道路から信号機、交通標識、縁石やガードレール、道路に描かれた標識、センターラインや車線、サインなどまで一切取り払ってしまいました。歩行者との境界さえ明示されていない単なる空間で、ドライバーや歩行者の譲り合いや注意だけを頼りにするという手法です。
ドライバーは何も頼りになるものがないので、慎重に運転せざるを得ません。信号など無いのですから、人をはねても青信号だったなどと言い訳できません。自らの責任で、最大限に注意を払いながら通行せざるを得ないというわけです。このオランダで行われた最初の実験は成功しました。
日本でも、例えば古都や城下町などの古い街並み、山あいの集落などを走行することを思えば、なんとなく想像がつきます。道幅が充分でなく、曲がりくねって見通しが悪く、当然道路標識や信号、歩道などもない道路、いつ住人が飛び出してくるかわからないとなれば、言われなくてもスピードを落とし慎重に運転するはずです。
この考え方は、クルマや歩行者、自転車など道路を利用するすべての人が、道路という空間を共有して利用しようということで、“
Shared Space”(Share Space)と呼ばれています。EUの支援もあって、今やオランダだけでなく、ドイツやスウェーデン、イギリスなどにも広がりつつあります。
今までの道路整備の全く逆を行く手法ですが、交通事故がほとんどゼロになったばかりか、交通の流れがスムースになって渋滞まで解消するという効果が上がっている街もあります。通行するクルマの平均速度が大幅に下がった結果、住民の居住環境も改善されました。街の景観の向上にも役立っています。
例えば、イギリス南東部の“
Ashford”という街でも昨年、中心部を取り巻く環状道路にこの手法を導入し、大改造を行っています。歩行者が危険な状態になっていたからです。一方通行をわざわざ対面通行に変え、信号機から横断歩道、歩道の縁石、交通標識など全て取り去りました。
せっかくのアスファルトの舗装をはがして、レンガまで敷いたのですから徹底しています。クルマの走行速度は大幅に下がり、歩行者は、クルマのドライバーと視線を合わせ、アイコンタクトを取って道路を横断します。きわめて人間的な通行状況が実現しているわけです。
行政としても、なかなか思い切りのいる判断だと思いますが、なんとロンドンでも、一部ケンジントンなどで信号機やガードレール、路面表示などを取り去るところが出てきました。ドイツのボームテ市なども有名です。もちろん危険だと批判する意見もありますが、ヨーロッパでは静かに広がりつつあるのも事実なのです。
空間を共有するという考えに立てば、クルマだけが優先されないのは当然です。果たして日本でも受け入れられるかわかりませんが、もし実現すれば、人々はもっと謙虚な気持ちで運転することになるでしょう。交通弱者優先の初心にかえって、歩行者に道を譲るのも当然になると思います。
ヨーロッパにおいて、今後もこの方式が普及していくのかは予断を許しません。しかし、ここでもクルマ社会への疑問が背景にあります。地球温暖化や渋滞などの都市の課題だけでなく、交通安全の観点からも、人々の考え方がシフトしつつあるような気がします。
“Shared Space”、空間共有の考え方からすれば、もしかしたら、日本では無駄に信号機を増やしてきたのかも知れません。信号機がLEDになるのは、省エネや温暖化ガス排出削減の観点から望ましいと思っていましたが、無くせるのであれば、もっと効果があります。
青人間と赤人間がペアになった信号機を増やしてクルマに止まってもらうのではなく、歩行者優とドライバーが視線を合わせて譲り合うような交通のほうが、より人間的です。全ての場所にとは言いませんが、日本でも一度、信号機が増える一方だった、これまでの常識を疑ってみてもいいのかも知れません。
この“Shared Space”については、読者の方からもいろいろと情報をいただきました。ありがとうございます。この件に限らず、自転車に関連する情報で何か興味深いものがありましたら、ぜひお教え下さい。
関連記事
無駄どころか無いほうがマシ
実はこの話題、2年前にも取り上げたが、当時より理解が進んだ。
広がりつつある気づきの記号
空間共有とは違うが、道路を共有するという考え方もいろいろある。
フライングスタートは危ない
左折巻き込み事故の防止に歩車分離式信号等も導入されている。
電子メールと自転車の使い方
青や赤人間ではなく白い自転車で道路の共有を訴えるものもある。
驚きました。こんな奇抜な解決法があるんですね。数年前にリカンベントを買って以来自転車が好きになり、このサイトにつきまし。ツーリングは好きですが、車と同じ道を走るのはやはりおっかないです。こんな街に行ってみたいな。