解散が迫った先週末には、いわゆる麻生降ろしの動きが激しくなり、麻生首相の求心力の低下が如実に現れました。反麻生派と言われる人たちも、自分たちで選んだ総裁にもかかわらず、支持率が低迷していると見るや、選挙で勝てないという理由だけで任期途中に引きずり降ろそうとするのは、国民に理解されるものではないでしょう。
2代続けて政権放り出しという醜態をさらしたのに、また今、総裁選を前倒しするのは、総裁人気だけで選挙を戦おうとする国民不在のご都合主義と言われても仕方ありません。政策を掲げて選挙で国民の信を問うという政党本来の役割を放棄し、ただ政権にしがみつこうとするだけであり、国民のことを考えているとは思えません。

ところが、公開か非公開かでもめた週明けの両院議員懇談会では、麻生首相の辞任まで求めていた反麻生派の主張は腰砕けとなり、首相と握手までしてみせたのには、拍子抜けだった人も多いでしょう。自らの統率力のなさを謝罪する首相も情けないですが、一体、反麻生派の先週の主張は何だったのでしょうか。
総選挙に向けて国民に問うのが、「政権担当能力」と言うのも考えてみれば情けない話です。野党には経験がないと言いたいのでしょうが、今までやってきた経験しかアピールするものがないのでしょうか。選挙の洗礼も受けずに首相が2代続けて政権を放り出し、選挙を引き延ばして政権にしがみついておいて、政権担当能力もないでしょう。
酩酊会見で世界に恥をさらした中川財務相や、その発言を巡り、たった4日で辞任した中山国交相、女性問題の鴻池官房副長官などを見ても、野党には務まらないほどの仕事とは思えません。何より失言連発、ブレまくり、いい大人なのに漢字も読めない麻生首相に、どんな担当能力があるのでしょうか。
更迭された途端、反麻生になった鳩山総務相や、首相退陣を求めたとされる与謝野財務相、石破農水相などの行動を見ても、麻生総理に閣僚を率いる力があるとは思えません。そもそも、日本の政治なんて官僚が出した政策に乗っているだけで、誰が政権を担当しようが大差はないと思っている人も多いはずです。
その前から問題大臣の辞任は相次いでいましたし、その経緯から言っても政権担当能力と威張るほうが、おこがましいくらいです。年金問題などが起きた背景を考えても、自民党にもはや政権担当能力がなくなっていると見ている国民も多いはずです。なのに政権担当能力しかアピール出来るものがないとは淋しい限りです。

民主党の政策も批判しています。子育て支援など、財源の裏付けがなくて無責任だとしています。しかし、国債を増発して政策を実施するなら誰にでも出来ます。もちろん財政出動が必要な部分はあるにしても、緊急と称して安易で効果の薄い政策で赤字を増大させている首相に、財源の裏付けなどと偉そうに言う資格はないでしょう。
農家への所得補償もバラマキと批判しています。確かに、その面はありますが、今まで自民党の農業対策は、農家への支援ではなく、農業土木へのバラマキでした。同じばらまくなら、利権の温床となる農業土木でなく、農家を直接支援したほうが有効という考え方もあります。
「民主党」を連発した異例の所信表明演説もありましたが、もはや自民党が野党であるかのように錯覚します。もちろん野党への批判もあっていいですが、政権与党として国民に将来の展望を示し、まず政策で訴えるのが筋でしょう。それが、野党批判ばかりに明け暮れるようでは、国民が期待できないのも無理はありません。
当然、マニフェストで政策を国民の前に明らかにすべきです。マスコミの関心も、作成が遅れている自民党のマニフェストに向かっています。しかし、前回の自民党のマニフェストが、どれほど実現されたか検証するのが先決でしょう。この検証作業がなければ、マニフェストは、心地いい言葉だけの実行が伴わないものになりかねません。
自民党をぶっ壊すと言って総理になったのが小泉首相でした。本人は引退しましたが、今それが実現しつつあると見るむきもあります。支持率が消費税並みになった森首相もその資質を疑われましたが、本当は、あそこで自民党は終わっていたと言う人もいます。その後の小泉首相登場で延命したが、その命脈も尽きたというわけです。

民主党に一度やらせてみようと考える人も多いと言われています。人々にそう思わせるほど、戦後、ほぼ一貫して続いてきた自民党政治に制度疲労がおきているのは否めません。政権を担当し続けた結果、劣化している部分があるとするなら、一度下野したほうがいいのかも知れません。
健全な政権交代が起きるようにと小選挙区制度が導入されたわけですから、導入から十数年を経て、そろそろ交代が起きてもいいでしょう。なんと言っても、政権交代が起きる可能性があることで政治に緊張感が生まれます。与野党ともに真剣にならざるを得ません。国民の支持を得るため、真に国民のためになる政治が期待出来ます。
私は、必ずしも民主党を支持するわけではありませんが、プレまくる今の麻生政権は、その求心力のなさ、総理大臣の資質、そして政策の中身、どれをとっても支持出来ません。自民党も再生して政権交代が起こりえる2大政党制を確立するためにも、政権に執着することで崩壊に至らないためにも、出直すべきではないかと思います。
ただ、政権交代のためには、前回の郵政選挙で民主党は大敗していますから、倍以上の議席を獲得する躍進が必要です。可能性はあるとしても、高いハードルなのも確かでしょう。現在、自民党に逆風が吹いていると言っても、風が変わったり、民主党有利との予想から揺り戻しが起き、さほど得票できない場合も充分考えられます。
中途半端な結果となって、ねじれ状態が解消されないこともありえます。連立する小党がキャスティングボードを握るかも知れません。どちらも過半数を超えず、政界再編などの混乱状態に陥る可能性も充分にあります。何より、政治空白が長引き、必要な政策が実行されないのも困ります。民主党に期待がかかります。

しかし、仮に民主党が勝ったとしても、それだけで良い政治が実現するわけではありません。官僚主導の打破も期待したいですが、簡単なことではありません。地域のエゴや特定の団体の利害が国政に持ち込まれ、国家の長期的ビジョンに立った政策が実行出来ないなどの弊害も、相変わらず残っていくに違いありません。
「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」と言ったのはイギリスの宰相、ウィンストン・チャーチルですが、現代において、複雑に分かれた国民の利害や意見を調整し、一つの方向へ持っていくのは容易なことではありません。
政官業の癒着や既得権益を持つ人たちにより、悪弊が蓄積し、改革が阻まれ、膨大な無駄が生まれ、そのぶん国民へしわ寄せが行っているのは確かでしょう。縦割り行政や天下りなど、省益が優先され、国益が損なわれているのも長いこと指摘され続けています。いわゆる二重行政の無駄をなくすためにも、地方分権が求められます。
こうした地域や特定団体などの利害調整、あるいは省庁間の権限争いや予算争奪、もしくは官僚の抵抗によって、一向に前に進まない政治があります。それらと切り離して、ビジョンを掲げ、その実現を目指すような国家レベルの政治、長期的視野にたって日本の未来を切り開いていくような政治が実現出来ないものでしょうか。
少なくとも、その為には今のような政治制度では不十分です。行政改革、財政改革と共に、それを推し進めるためにも政治改革が必要です。今のように政治に対する不信が増大し、その結果、政治に無関心な層が増え、それが政治家の質を落とすという悪循環を打ち破らなければなりません。

多くの人が選挙に行かなければ、既得権団体の組織力による選挙でマジョリティが形成されるような政治状況を打破する力も出て来ません。単純に義務投票制を取り入れるのも手かも知れませんが、いずれにせよ、政治に対する失望を取り除き、自分のこととして国民が政治参加するような社会にしていく必要があります。
政治家の世襲の問題もそうです。職業選択の自由を言う前に、政治資金を相続税なしに移転でき、知名度や後援会組織を持つ世襲候補と、一般の候補では公平でないのは明らかです。しかし、後援会組織が、せっかくの発言力を維持したいがために存続を目指し、世襲を望むという面もあります。
こうした後援会や支持母体に縛られることで、自らの信条を貫き、崇高な理想を実現すべく自由な政治活動をする政治家が出てくる余地が限られてしまいます。ある意味、それが民主主義と言えばその通りでしょう。しかし、このままの政治が続くのであれば、日本の将来は暗いと言わざるを得ません。
考えてみれば、ほんの140年前までは封建国家だったわけですし、64年前までは軍国主義でした。日本の政治システムは、まだまだ発展途上であり、少しでもよりよい政治を実現するために制度改革を続けていく必要があります。幸いにも経済を発展させて来ることが出来ましたが、政治のほうの成熟は不十分てす。
身体だけ大きくなってしまった幼児のようなもので、今までは良くても、時代が変わったこれからには対応できない部分が多々出てくるでしょう。世界第2位の経済大国として認められ、先進国の仲間入りが出来ましたが、経済はともかく、政治は三流と揶揄される状態では将来が不安です。

今後、日本は少子高齢化が進み、新興国の台頭によって、経済力も相対的に小さくなっていくはずです。グローバル化で世界との競争を迫られる中、新しい分野への投資や教育など、国家戦略の推進を怠れば、あっという間に日本経済は衰退に向かいかねません。そのためにも政治のリーダーシップが不可欠です。
私たちの身の回り、雇用や年金、医療、介護など直接かかわってくる分野にも政治の役割は大きなものがあります。リストラされたり、年金が消えたり、医療が受けられなかったり、介護に悩むようになってから、政府に対する恨み事を言っても遅いでしょう。多くは自分たちにはねかえってくることであり、政治への無関心はナンセンスです。
交通事故で家族を失ってから政府の道路行政の不備を責めても手遅れですし、犯罪に巻き込まれたり、災害の被害に遭ってから、政治の不作為を嘆いても遅いです。その意味でも、もっと国民は政治に大きな関心を持つべきですし、世論を形成し、参政権を行使して大いにその方向を変えていかなければなりません。
本来なら、政治がビジョンを示し、そこへの道筋に納得できれば、これからの日本にも希望が持てるようになるはずです。昭和の時代に、頑張れば今より豊かになれると信じられたように、日本と自分の将来に期待が持て、国民一人一人の人生も、もっと明るいものになるに違いありません。
道のりは決して短くありませんが、自分たちのため、また子孫のためにも、主権者である私たち国民が政治を変えるべく努力していかなければならないのです。どの政党が何をしてくれるか見極めて、などとマスコミは報じていますが、むしろ我々主権者が、どの政党をどのように変えていくか考えるくらいでなくてはダメでしょう。

そのためにも選挙を通して、意思表示していく必要があります。政権担当能力を失っている自民党にNOを突きつけることも必要かも知れません。自浄能力を失った党に政権を担当させておく余裕はありません。我々の一票一票の積み重ねが高投票率となり、世論となって政党への圧力を増します。どの党に入れるにせよ、投票に行かなければ始まりません。
政治に失望したり、無関心な人は少なくありません。自分の生活とのつながりを実感できなかったりするでしょうし、政治に関心を持たなくていいならラクです。しかし、そうした姿勢が政治を劣化させ、結果的に我々の生活を苦しくさせているのも事実です。政治への無関心が自らの首を絞めているのです。
今度の選挙は歴史的な選挙になる可能性があります。戦後初めて八月ですが、レジャーなどの予定がある人も不在者投票をして、是非選挙に参加すべきです。そして今回の選挙だけでなく、もっとよりよい日本にしていくため、主権者として政治を良くしていくためにも、政治に対する関心を持ち続けることが必要だと思います。


文字どおり真夏の熱い戦いになりそうです。有権者は寝ててくれればいいと言ったのは森元総理でしたが、長い選挙期間をとったのも、有権者が飽きて関心を失わせる作戦なのかも知れません。
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