かろうじて決裂は回避したものの、新議定書の採択はおろか、法的な拘束力を持たないコペンハーゲン合意すら、全会一致で可決出来ませんでした。一部の国が反対する中、わずか28カ国の同意で、合意に留意するという文書を採択しただけです。具体的な数字も盛り込まれず、事実上、ほとんどを先送りしたものと言えるでしょう。
残念な結果に終わったCOP15ですが、今回デンマークに集まったのは、各国首脳や政府の代表団だけではありません。NPOや研究者など多くの民間の人たちが参加し、数々のテーマについての会議なども開かれました。そんな中で、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームも新しいツールを発表しています。
その名も
コペンハーゲンホイール(Copenhagen Wheel) 、多くの機能を持つ自転車用ホイールです。まず、手持ちの自転車のホイールと交換して装着することで、その自転車を電動アシスト自転車にすることが出来ます。後付け出来るハイブリッド装置というわけです。
家庭用電源で充電するのではなく、いわゆる回生ブレーキを使った装置です。ブレーキをかけた時に、普通は摩擦熱として失われるエネルギーを回収して電気エネルギーに変え、蓄電します。上り坂などで、アシストが必要になった時に、今度はモーターを回してアシストします。
このシステムを採用することで、ハブの中にモーターやバッテリーまで収納しています。特別なフレームに大型バッテリーを載せる必要もなく、コード類の配線も不要になるのでスッキリします。スイッチは、ペダルを逆回しして行うので、ハンドル回りにまでコードを伸ばす必要もありません。
それだけではありません。このハブには、各種センサーが内蔵されています。速度や方角、走行距離、緯度経度がわかるGPS、トルクセンサーをはじめ、走行中の大気の温度や湿度、一酸化炭素や窒素酸化物など大気汚染物質の濃度、騒音レベルまで検出できるようになっています。走る公害センサー、環境監視装置というわけです。
さらに、Bluetoothによる通信機能を持ち、ハンドルに取り付けた“iPhone”などのスマートフォンで制御したり、データをやり取りすることが出来ます。またホイールから携帯電話網に直接接続し、騒音センサーでモニターしたクルマの渋滞状況などをリアルタイムに送信したりすることも可能です。
走行データや交通状況、大気汚染の状況などを、数多くの自転車から刻々と収集、蓄積し、都市の環境対策や公害防止、あるいは自転車関連設備の充実などに利用することも可能になるわけです。前回も街角の自転車カウンターを取り上げましたが、それでは収集出来ないルート選択の情報なども明らかにすることが出来ます。
公害や渋滞などのデータを取得し、都市の環境改善に貢献できるだけではありません。場合によっては個人にもその恩恵は還元されます。例えば、こうして得られたデータに個人がアクセスして公害の少ない健康的な走行ルートを検討したり、移動距離に応じて、航空会社のマイレージのようなポイントを付与することも出来るわけです。
盗難防止装置として活用することも可能です。盗まれた時には回生ブレーキのレベルを最大にして、ペダルを重くしたり、現在位置を持ち主に送信することも出来ます。自転車泥棒を捕まえる頃には、電動アシストのバッテリーもたっぷり充電されているという寸法です(笑)。
自転車に通信機能を持たせることで、識別信号を発信することも出来ます。直接他の自転車の信号を受信することは出来ませんが、インターネット経由で通信することで、例えば近くを友人が走行中とか、駐輪中といった情報をリアルタイムに知ることも出来るわけです。
まさに、機能満載のホイールですが、なぜコペンハーゲンホイールかと言うと、デンマークのコペンハーゲン市がこのMITの研究チーム“SENSEable City Lab”のプロジェクトのスポンサーになっているのです。他にイタリア環境省も協力し、イタリアのオートバイメーカー、Ducati の関連会社が参加しています。
コペンハーゲンの環境への取り組みは前回も取り上げましたが、こんな自転車ホイールの開発にまで地方自治体が出資しているのです。その本気ぶりが伝わってきます。コペンハーゲンは、2025年までに世界初のカーボンニュートラルな首都、つまり温暖化ガス排出がプラスマイナスゼロの都市を目指しているのです。
もちろん電動アシストなんか不要という人も多いでしょうが、高齢者などに、もっとラクに自転車に乗ってもらうことも自転車利用促進には必要な要素でしょう。このコペンハーゲンホイール、まだ試作機の段階ですが、2010年末にも生産を開始することが予定されていると言います。
価格は、5百〜1千ドル程度になる見込みです。コペンハーゲン市は、既に市の職員用に発注済みです。これが大規模に普及し、ネットワークとして運用されるようになれば、コペンハーゲンは、単なる自転車都市ではなく、自転車未来都市と呼ばれるようになるかも知れません。
一時期流行ったWeb2.0ではありませんが、Bike2.0、(自転車2.0)とでも呼べそうな話です。いよいよ自転車が電子化され、e−Bike(e自転車)の時代に突入ということになるかも知れません。場合によっては、電子自転車もあっと言う間に普及することにならないとも限りません。
COP15の期間中のコペンハーゲンで、しかも“Copenhagen Wheel”という、いかにも話題になりそうなネーミングで発表したのは、上手いやり方と言えるでしょう。環境関係のニュースとしてだけでなく、IT関係のメディアなどでも報じられています。目にされた方もあると思います。
環境を監視する新しいスマートな自転車、インテリジェントな21世紀の自転車、あるいは画期的なネットワーク時代の自転車ということになるのでしょう。未来の自転車の一つの可能性を予見させるものであることは間違いないと思います。ただ、個人的には疑問な部分もないではありません。
まず、このホイール、幅もあるのでスプロケット、すなわち後輪のギヤは取り付けられないと思われます。スイッチや動作の関係から言ってもピスト、シングルの固定ギヤの自転車でないと意味がありません。つまり、普通の自転車に装着した場合は、ペダルを空転させられる通常のフリーホイールの自転車ではなくなります。
このハブには内装3段のギヤも内蔵しているので、シングルの固定ギアで、普通のブレーキではなくペダルで後輪を逆回転させて止まる、ヨーロッパに昔からあるダッチバイクへの装着を想定しているのでしょう。しかし、最近はギヤのついたシティサイクルも多いので、必ずしも汎用性が高いとは言えません。
回生ブレーキによって位置エネルギーを少ないロスで電気エネルギーに変換出来れば理想的ですが、現在の技術では、その効率は高くありません。バッテリーの大きさから言っても、大きなアシスト力は期待出来ないと思われます。タイヤの重さ、いわゆるバネ下重量が増加することになるので、走行性の点でもデメリットは小さくなさそうです。
新しくて画期的な発想のようにも思えますが、回生ブレーキというアイディアは、既に一部の日本の電動アシスト自転車にも採用され、目新しいものではありません。ホイール単体でハイブリッドにするという製品も既にあります。限られた筺体で十分なパワーを出すため、こちらは現実的な選択肢としてガソリンエンジンを採用しています。
実は、MITの研究チームは既に“
GreenWheel ”という名の電動アシストホイールを開発しています。今回発表された“Copenhagen Wheel”は、そのグリーンホイールにセンサー類と携帯電話接続機能や、Bluetoothを搭載しただけと見ることも出来ます。以前の作品に、既存の技術を加えただけで、必ずしも新しくはないわけです。
別にケチをつけたいわけではありませんが、電動アシストホイールと、そのほかの部分を分けたほうが、より現実的な気がします。センサーや通信機能は、わざわざハブに搭載しなくてもいいでしょう。センサーや通信機能だけなら小さくしてフレームなどに装着できるでしょうし、そのほうがメンテナンス的にもラクになるはずです。
電動アシスト部と分けることで、装着出来る自転車は飛躍的に広がります。小径車や変速できる(スプロケットのついた)スポーツバイクでも装着可能です。既存の電動アシスト自転車にすら、装着できることになります。より汎用性が増すというわけです。
センサーや通信機能なら、携帯電話用くらいのバッテリーでも駆動します。と言うより、携帯電話そのものか、モバイルコンピュータに、多少いくつかのセンサーキットを接続するくらいで実現できそうです。それでは目新しさが全くないので、グリーンホイールと組み合わせたというのが、実際のところなのかも知れません。
バッテリーの容量などから考えて、その電動アシスト能力が予想される範囲内であるとするなら、特に驚くに当たらない技術ということになります。だとすると、その他の点は既存のツールの寄せ集めでしかなく、MITのラボと言うわりには拍子抜けな気がするのは私だけでしょうか。
ただ、各種のセンサーを載せて、環境をモニターするというのは面白いと思います。クルマの渋滞を自転車がモニターする必要があるのか、窒素酸化物の濃度を、わざわざ細かい地点ごとリアルタイムに把握することに、一体どれだけの意味があるのか、などの議論はあると思いますが、少なくとも問題提起にはなります。
個々の自転車をネットワークに接続するのも面白いと思います。この発想自体は珍しくなく、以前から多くの人が構想していますが、実際に運用が始まるならば、コペンハーゲンのような都市は相応しいと言えます。なにしろ自転車の利用率が高く、多くの人が自転車で行動しています。
コペンハーゲンならば、自転車によるコミュニケーション機能が有効に機能する場面も多いはずです。多くの人が自転車を使うだけでなく、都市の規模なども関係するのかも知れませんが、現在でも自転車は一種のコミュニケーションツールになっていると言います。
自転車は生活の一部で、友人の誰がどんな自転車に乗っているも承知しており、街角で見かけてそれと見分けがつくことも多いのだそうです。例えば街角に止められた友人の自転車にメモをはさみ、後で会う約束を交わしたりするわけです。自転車は駐めてあるけど、どの店にいるかわからず、探すのも面倒という時、便利な方法です。
コペンハーゲン市民は、今でも実際に、こうした方法でコミュニケーションをとることがあると言います。ネットワークで自転車をつなげることで、更に便利な利用法や、新しいコミュニティが生まれたりもするかも知れません。匿名同士のまま情報交換というのも考えられます。いろいろと可能性は広がりそうです。
しかし、考えてみれば日本でも、既に自転車をネットワーク化する下地は整っています。ガラパゴスとは言われるものの、他の国だったらスマートフォンに分類されるような高機能なケータイを持つ人の割合が断トツに高い、世界に例を見ない市場と言われています。世界では、まだまだ通話が主という人も多いでしょう。
おかげで、自転車に乗りながらケータイメールを読んだり打ったりする、あるいはネットに接続して、サイトを見ながら走行するという困った状況が生まれているわけです。こうした危険な状況をなくすツールに出てきてほしいところですが、一方で、これは自転車のネットワーク化が既に進行しつつあると見ることも出来ます。
いずれにせよ、手紙がeメールになったように自転車が電子化する、自転車がe自転車になる時代も近いのかも知れません。自転車の走行性能や素材の進歩、あるいは電動アシスト自転車の普及といった部分のほかにも、未来の自転車は、ネットワーク化する方向にも進化していくことになりそうです。
忘年会にクリスマスパーティー、飲む機会も増える時期ですね。飲みすぎには注意しましょう(自戒をこめて..笑)。
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