それは、道路の落書きです。と言っても、よく見る壁面にスプレーで書かれた、わけのわからないアルファベットのような迷惑な落書きではありません。ろう石かチョークのようなもので、路面に描かれた子供の落書きです。道路幅いっぱいに、たくさんの絵が描かれていました。
東京の郊外を自転車で走行中に、たまたま道を間違えて住宅地に迷い込んでしまったのですが、そのうち大きな通りに出られるだろうと、そのまま進んでいました。しかし、当てが外れて、その先には農地が広がる住宅地のはずれに出てしまいました。仕方なく戻ろうとした時、足元の絵が目に飛び込んできました。
比較的最近出来た住宅地のようで、舗装が黒々としてきれいだったので、よけいに鮮やかです。久しぶりに見た落書きに何か懐かしい感じがして、しばらく眺めていました。住人のクルマ以外は、まず通らないであろう住宅地の一番奥まった場所の細い道ですから、子供たちも安心して落書きが出来たのでしょう。
昔は、道路への落書きなど珍しくもありませんでしたが、最近、特に都市部では目にすることが無くなった気がします。もちろん、道路への落書きより面白い遊びが増えたこともあるでしょうが、道路で遊ぶのが危険になっているのは間違いありません。子供を道路で遊ばせないのが当然のようになっているところも多いと思います。
渋滞する幹線道路から外れて、住宅地内の道路にもクルマが入り込んで来るので、住民の安全が脅かされて困っている地域も少なくないようです。なかには狭くて見通しの悪い道路でもスピードを出して乱暴な運転をするドライバーもいます。子供だって、道路でおちおち落書きなんてしていられません。
日本では、道路で遊ぶ子供の姿を見ることが少なくなりましたが、ドイツのフライブルク(Freiburg)市にある、ヴォーバン(Vauban)という地区では違います。道路には、わざわざ子どもが遊んでよいという標識が出ています。歩行者が優先で、道路の端を歩く必要もなく、どこを歩いてもよいことになっています。

この町、実は今、世界から注目を集める「クルマのいらない町」です。生活する上でクルマが不要な町を目指してつくられた町なのです。町に住む全世帯の7割はクルマを所有していません。引っ越してくる住民も大半はクルマを手放して来ます。クルマの所有が出来ないわけではありませんが、自宅にガレージは設けられません。
クルマを所有するには、町の端にある駐車場の区画を400万円ほどで購入しなければならないのです。こうした制度は市民自らの意思で決められていると言います。実際に、町を貫く大通りなど、限られた道路以外にはクルマは見当たりません。市民の足は、もっぱら自転車か徒歩です。そして道路では子供が堂々と遊んでいます。

通勤・通学はもちろん、買い物や子供の送り迎えも当たり前のように自転車か徒歩です。道路では、子供が遊ぶ権利が認められており、クルマのために空けておく必要はありません。実際にクルマは入り込んで来ませんが、やむを得ずクルマが通る場合でも、歩くのと同じ速さ以上は出せません。

町の中に商店やレストラン、銀行、学校など必要な施設が混在しているので、クルマなしで生活できます。町の中には基本的にクルマが走っていないので、むしろ、安心して歩いたり自転車に乗ったり出来るわけです。フライブルク市の郊外に位置する町ですが、市の中心部へ出るには路面電車が整備されているので不便はありません。
レジャーや遠出には、共同購入したクルマやカーシェアリングのクルマを利用する人も多いと言います。ふだんは必要ないので、それで充分なわけです。市の条例で、いわゆる郊外型の大型店は規制されているので、町の中で買い物が出来ます。あるいは路面電車で市の中心部に出れば用は足りてしまい、クルマは不要というわけです。
日本でも、中心部に都市の機能や住宅を集中させたコンパクトシティという考え方が脚光を浴びつつありますが、まさにそれを実現している町です。今後、高齢化社会が進展していく中で、クルマに乗れない人でも不便ではない街、歩いて生活できる町という考え方の意義は、ますます高まっていくのではないでしょうか。

このヴォーバンという町は、クルマが不要なだけではありません。パッシブハウスと呼ばれる高気密・高断熱の家や、太陽光発電などの自然エネルギー、ヒートポンプなどの技術で街全体が省エネルギーでエコロジーな設計になっています。また緑を多く配置して住環境に配慮し、トラム(路面電車)の軌道まで緑化されています。
緑を残すだけでなく、その配置によって風の通り道を確保して街全体を涼しくするなど、他にもいろいろな知恵が詰め込まれています。環境先進国といわれるドイツにあって、とりわけ先進的な都市フライブルクですが、その中でも、この市南端部の小さな地区での試みが、いろいろな面で世界から注目されているのです。

1992年に、フランス軍の基地跡だったヴォーバン地区がドイツに返還され、フライブルク市が国からこの地区を買い受けたのが始まりです。この地区を、いわゆる持続可能な町のモデルにしたいと願う市民が1994年、NPOを設立し、市民参加で開発がすすめられました。クルマ不要、カーフリーも市民の意思なのです。

この地区の広さは約40ヘクタール、人口は5千5百人、町にはおよそ6百人分の雇用が生み出されたと言います。この町に盛り込まれた数々の設計によって、温室効果ガスの排出量は、何もしなかった場合に比べて、およそ6割削減されています。温暖化ガス排出削減の面でも見習うべきことが多い町なのです。
日本では、クルマのおかげで生活が便利になったと考えるのが普通ですし、自宅にガレージを持てるのが当たり前です。クルマが走れない町をつくるなんて、なかなか考えにくいのが現実でしょう。多くの都市では渋滞を解消しようと、もっと道路をつくり、もっと幅を広げようとしています。
ドイツでは、クルマのせいで住宅が郊外に移って不便になり、排気ガスと渋滞で都市は窒息し、事故で命を落とし、実は、ちっともいいところがないではないかと考える人も増えています。考えてみれば当たり前の話で、人間のためにあるはずのクルマが、人間を不幸にしているとしたら本末転倒と言わざるを得ないでしょう。
もちろん、クルマが役に立っていることや、その便利さを認めるにやぶさかではありません。しかし、町の中、ふだんの居住空間の中にまでクルマが入り込む必要はないわけです。今までの、クルマ中心のスタイルの反省から生まれたのが、このクルマ不要の町づくりというわけです。

これは、何もドイツだけに限ったことではありません。ヨーロッパの他の環境に敏感な国々はもちろん、イギリスやアメリカのカリフォルニア州をはじめとする一部の州にも広がっています。クルマ社会の典型であるアメリカですら、こうした動きが見られることに留意すべきでしょう。
大通りまでは無理だとしても、住宅地や商店街などの中の生活道路ではクルマを排除して、徒歩と自転車くらいでも充分ではないかと考える人が、世界では増え始めているようです。将来、もしかしたら日本でも、また子供が道路に落書きをしたり、走りまわったりするような光景が戻ってくるのかも知れません。




先日、久しぶりに落車してしまいました。寒い時期なので、余計に痛いですね。うう、まだ傷が疼く..。
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