考えさせることに意味がある
スポーツの秋、食欲の秋です。
この2つは身近ですが、個人的にはあまり馴染みのないのが芸術の秋です。たまには美術館に出かけて、芸術を鑑賞することもありますが、作品を見ても、なかなかその芸術性が理解できないこともあります。オーソドックスな絵画や彫刻ならいいですが、いわゆる現代アートには、素人には難解なものも少なくありません。
このほどアメリカ・カリフォルニア州、サンタローザに出来た造形物も、その類と言えるかも知れません。見た目は単純です。古代エジプトの神殿などに建てられた「オベリスク」の形をしています。でも、その素材は石ではなく、なんと自転車です。
高さはおよそ20メートル、使われなくなった340台分の自転車で出来ています。重さは約4千5百キロ、サンタローザの街の、とある交差点に建てられています。カリフォルニア在住のアーティスト、Mark Grieve さんと、Ilana Spector さんによる自転車で出来たモニュメント、アート作品です。
本物のオベリスクは、世界に30ほど残っていて、その半分近くはローマにあります。古代ローマ帝国の時代から戦利品として略奪し、持ち帰ったものだからです。残りのうち約半分も、やはり戦利品として、他の欧米の国に飾られています。そんなオベリスクを自転車で作ることに、一体どんな意味があるのでしょうか。
このオベリスク、自転車で出来ているので“Cyclisk”と呼ばれていますが、偶然なのか意図的なのか、それはクルマメーカー各社のディーラーが数多く軒を並べる地区に建てられています。オベリスクの形をしているということは、クルマディーラーにとっての戦利品、勝利の印を意味しているかのようです。
しかもこのアート、“
NISSAN PUBLIC ART PROJECT ”というプロジェクトで、資金を拠出しているのは日本のクルマメーカー、日産なのです。日産が、日頃から目障りな自転車を一掃したいという願望なのか、自転車は、より便利なクルマに取って代わられるという象徴なのか、などと穿った見方も出来なくはありません。
いや、さすがに日産も、そんなケチな了見を示したがっているとは思えません。日産は、この公共の場へアートを展示するプロジェクトに資金は提供したものの、つくったのはアーティストです。アーティストが、何かしらの意図を持って、この自転車のモニュメントを製作したのでしょう。
今どきであれば、環境のためにも、なるべくクルマより自転車に乗ろうと言うのが、むしろトレンドです。クルマのスクラップでオベリスクを製作したほうがいいように思えます。しかし、それではあまりにあからさまです。むしろ、逆説的に自転車のスクラップによって、自転車の活用を訴えようとしたのでしょうか。
日産以外も含めて、クルマの販売店がひしめく地区にアートを依頼されたアーティストが、あえて自転車を素材にしたもので、各社の販売店は、苦々しい思いで見つめているのかも知れません。作品自体の芸術性は、正直よくわかりませんが、いろいろ関係者の思惑を考えると面白い作品と言えるでしょう。
このサイクリスク、日本にあったとしたら、駅前の放置自転車を撤去して廃棄するぞという警告、もしくは自転車をスクラップにした「見せしめ」のモニュメントに見えてしまう人も多いかも知れません。あるいは、自転車を使い捨てにすることへの反省や、資源の大切さを訴える、文字通り「広告塔」に見えるでしょうか。
さすがにディーラー街にクルマのスクラップではシャレにならなかったのでしょう。この“Cyclisk”、使われなくなった自転車を集めて作られたと言いますが、壊れた自転車でも、分解すればパーツとして十分使えるものが多いはずです。その意味では、資源の再利用として上手い方法とは言えません。
自転車のオベリスクという意表を突く作品にいろいろ考えてしまいますが、芸術作品に社会的な意味を考えるのが、そもそもナンセンスなのかも知れません。ただ、作者は人によっていろいろ感じ方があるはずで、自由に感じてもらうことに意味があると話しています。いろいろな見解をひき起こすことを意図しているのです。
サンタローザには、主要な建設工事の費用の1%を、“1% for art”として、公共の場へのアートに拠出してもらう制度があるそうです。この作品の材料は、地元からの寄付で集められたものですが、日産がディーラーを建設した費用、370万ドルの1%、3万7千ドルが作品の製作費や設置工事費などに充てられています。
この“Santa Rosa Art in Public Places Program”は、予算やその他の条件を示して公募されます。応募の中から、今回は、Mark Grieve さんと Ilana Spector さんのチームが、最も条件を満たしているということで、製作が依頼されたというわけです。
実は、
Mark Grieve さんは、以前から自転車を使った作品をつくっています。自転車によるアーチやモニュメント、建物の入り口に取り付ける装飾など、さまざまな作品を製作し、サンラファエルやサンタバーバラ、サンフランシスコなど、州内の他の場所にも作品があるのです。
他の作品も見てみると、自転車のパーツもアート作品の材料として面白いなと思えてきます。ご覧になっている方の中には、自宅に余って使っていないパーツがたくさんころがっている人も多いと思いますが、なるほど自転車のパーツも並べようによっては面白そうだと、触発された人もあるかも知れません。
マークさんの作品、今回はたまたま、場所が場所でしたが、ディーラー街でなくても自転車を使った作品を製作しているわけです。そう聞いてしまうと興ざめの部分もありますが、現地を通りかがった人たちは、このサイクリスクを見上げて、その意図や芸術性に首をひねり、いろいろな見解を述べあっていると言います。
街角にあっても、いったん設置されてしまうと、妙に周囲に溶け込んでしまい、その存在さえ忘れてしまうような無難な作品もあるでしょう。このサイクリスク、芸術性は別としても、人々にいろいろ考えさせたり、解釈させたり、見解を述べたくなるようなインパクトある作品に仕上がっているのは間違いなさそうです。
郊外の電車ではあまり便利でないところにも、探すと結構美術館があります。自転車で美術館に出かけるというのもいいですね。
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Posted by cycleroad at 23:30│
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いろいろなところから世界中の話題をバラエティ豊かに紹介してくださるので 読むのが楽しみです。
また商業マスコミに無いジャーナリスティックな視点も新鮮に感じられます。
オベリスクはパリでも見ましたが アレは自分たちの祖先が泥棒だと証明している歴史的証拠でもありますね(笑)。
自分には壁に展示された自転車群がデザイン的にとても惹かれました。自転車ディーラーのショウルームみたいにも思えます。
こんにちは。また興味深い話題提供ありがとうございます。
サイクリスクの素材はどうやら廃自転車ではなく、まだ使えた正当派自転車のように見えて、意味を知らずとも、とても虚しい気持ちになりました。他の作品がもっぱら楽しさを醸し出していることとの対比が強烈です。
「オベリスク」の生まれを知って、敵対関係がまた気になりました。自転車を戦利品にとる立場とは、自動車族かもしれませんし、景観保護団体か、駅前商業組合か、純粋な歩行者かもしれません。ひょっとすると某国(従前の)道路交通行政族と無法ママチャリ族が手を組んでいるのかも。逆説であって欲しいですね。
隠居@川崎さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
別に欧米諸国の肩を持つつもりはありませんが、勝手に持ち出した美術品とか、盗掘された宝物などを入手し、博物館などに展示しているのとは違って、戦利品という位置づけですので、泥棒というのとは、ちょっと違うかも知れませんね。むしろ、輝かしい歴史の記憶であり、民族の誇りということなのかも知れません。
戦争の倫理的な問題とか、戦勝国の横暴といった話もあるでしょうが、それが歴史でもあります。
現代でも、戦争に負けて領土をとられた国からみれば泥棒ですが、戦勝国はそうは思っていません。返そうものなら不当な行為と認めてしまうことにもなるので返さないでしょう。良い悪いは別として、それが国際的な慣行でもあります。
壁の展示は素敵ですね。さすが、アートという感じです。おそらく私のガラクタを並べても、こうはならないでしょう(笑)。
楽しみにしていただいて光栄です。いつもご覧いただき、ありがとうございます。
七九爺さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かに、パーツとしてまだ立派に使えるものは多いでしょうね。
ただ、どうなんでしょう。これが錆びて使い物にならないパーツとか、明らかに使いようのない廃品ばかりだったら、単に粗大ゴミの山になってしまうのではないでしょうか。
もったいない気もしますが、作品として見る者を惹きつけたり、何らかのメッセージを持たせるためにも必要だったのでしょう。自転車でなくても、新しい材料を使って作品を製作するのは、もったいないということになってしまいます。
他の作品との対比は、この作品にこめられた意図の違いかも知れませんね。
明らかに楽しげな雰囲気を出すのではなく、場所のことや、なぜオベリスク型なのかも含めて、強烈なインパクトで、何かメッセージを込めたかったのではないでしょうか。そんな気がします。
あまり自転車の趣味そのものには関係のない話題ですが、興味をもっていただけたなら嬉しいです。
cycleroadさんこんばんは。
色々な見方 ...
穿った見方 ...
仰るように、人それぞれの思い、表現はあるかと思います。
もったいない 等々...
しかし、(金属)部品の美しさ、 それらを組み合わせた
機械 や 装置 の美しさ、造形美 とでもいうのでしょうか
それに魅せられる人は多いと思います。
贅沢な事かも知れませんが、
うつくしい とか すごい とか ...
芸術として人を魅了するのであれば、
それが作者の意図するところ なのではないでしょうか。
もし仮に、そのように思わない人がいたとしても、
発表してしまったものは既に作者の手を離れているわけで、
どのように思われても、それは見る側の自由です。
それはそれで良いのでしょうね。
私は単純に 美しい と思いました。
fischerさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですね、幾何学的な美しさというか、造形としての美しさはありますね。
もちろん、アートですから理屈を並べるべきものではないのでしょう。本来はその芸術性を感じたままに受け止めればいいのだと思います。
ただ、他の作品については、アートとしての魅力も感じますが、サイクリスクは、インパクトも強いですね。
もったいないとは思いませんが、私などは、どうしても、その背景とか作者の意図とかを考えてしまいます。
壁に飾られたものなどは、芸術性を感じますが、サイクリスクのほうは、創作ではなく、あえてオベリスクの形にしたところに、何かメッセージ性を感じてしまいます。
それも含めて作者の意図するところなのでしょうね。
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