December 11, 2010

今のわたしたちに出来ること

今から百年後はどんな世界になっているでしょうか。


この問いに応えるのは容易ではありません。科学者ならば、ある程度自分の専門分野の将来を見通すことが出来るかも知れませんが、いろいろな分野の進歩がどう作用し、社会全体にどのような影響を及ぼしていくかまで予測するのは困難です。もちろん、変わっていくのは科学技術だけではありません。

社会は今後ますますグローバル化し、科学技術の進歩だけでなく、政治や経済、文化や流行、宗教や思想、天変地異に至るまで、ありとあらゆる事柄に左右され、互いに影響しあいながら変わっていくに違いありません。それらを総合的に予想するのは不可能です。

New York City DOT, www.nyc.govならば、今より社会の変化のスピードが遅かったとは言え、今から百年前の人たちが、百年後を想像出来なかったのも無理はありません。何かの計画を立てるにしても、予測もつかない未来のことまで考慮出来ない以上、その当時に良かれと思って行われたことでも、今となっては間違いだったということもあるはずです。

今から百年前と言うと、ちょうど有名なT型フォードが発売された頃です。この量産型の自家用車の大ヒットが、その後のモータリゼーションのきっかけになったと言われています。アメリカでは第一次大戦後、1920年代ころから本格的なモータリゼーションが始まりました。

クルマが産業から人々の生活まで大きく変え、たくさんの恩恵をもたらした一方で、交通事故死者を急増させ、特に都市部では深刻な環境問題をひき起こしました。クルマそのものの功罪は置くとしても、百年近く前からクルマに合わせてきた都市政策が、果たして正しかったかどうかには疑問の余地があります。

前回、アメリカ中心とも言うべきニューヨークで、クルマ中心の道路政策が変わりつつあると書きました。市内各所で車道をつぶし、歩行者のためのスペースを増やしています。それ以外にも、市民の安全に配慮して道路幅を狭めたり、交差点の形状を見直すなど、歩行者を重視した道路政策がとられ始めています。

Fixing the Great Mistake, www.streetfilms.orgそして、その背景には市民の意識の変化があると書きました。ただ、アメリカは基本的にクルマ社会です。アメリカ人はごく近い所しか歩かず、短い距離でもタクシーに乗るのは当たり前とされています。そんな人たちが、クルマの利便性を阻害するような政策を支持するとは容易に信じられないかも知れません。

もちろん、いろいろな考え方の人がいますし、皆がみな支持しているわけではありません。しかし、クルマ社会のアメリカでさえ、クルマを中心に据えてきた都市計画や交通政策が誤りだったのではないかという疑問、あるいは反省が語られるようになってきているようです。

その根底にあるのは、クルマばかりを優先してきたのが正しかったのか、今までのやり方が人々を幸せにしてきたのだろうかという素朴な問いかけです。こうした市民の意識の変化の一例が“Streetfilms.Org”というサイトの動画で見ることが出来ます。題名は「大きな誤りを修復する;クルマ中心の発展」です。



この動画によれば、パークアベニューはマンハッタンを南北に貫く大きな通りですが、この「公園通り」は、もともと本当の公園だったそうです。1920年代後半から30年代にかけて、公園がクルマ用の道路になってしまったと言うのです。こうした車道建設は、ニューヨーク全体で起こりました。

市民にとっての憩いの場、ニューヨークのリビングルームだった場所、市民が歩き、遊び、交流していた場所は、すべてクルマに奪われてしまったと言います。30年代から40年代には、大々的な道路の拡幅が行われ、それに反対する熱い戦いはあったものの、結局さらに居住地の一部まで奪われることになりました。

これは、ニューヨークがとった間違った方法だったと主張しています。ある程度の道路は必要ですし、昔からの道路を舗装する必要はあったとしても、ニューヨーク市民は、自分たちの持っている公共の場の全てをクルマに引き渡す必要は無かったのだと指摘しています。

New York City DOT, www.nyc.gov今ニューヨークが、それを取り戻そうとしていることや、自転車レーンのネットワークが拡大されていることは、とてもエキサイティングだと語っています。この期に及んでも、クルマ中心の都市計画を続けなければならないと考えている都市計画のプランナーや建築家を捜すことは、相当に困難なはずだと断言しています。

実際問題として、市民はクルマから主役の座を取り戻さなければならないことを理解しなければなりません。そして、そのことは既にもう人々にも浸透しつつあるはずだとしています。ニューヨーク市民はニューヨークを変える必要があり、その行方を世界中の人が見ているのだと呼びかけています。

市民にはそのチャンスがあり、それはクルマ中心の都市開発を先導した国の、世界の他の国々に対する責任でもあると続けます。都市の生活者、居住している人たちがハッピーであるために、適切な移動手段を選択しなければなりません。幸い徒歩や自転車だけでなく、バスや地下鉄など公共交通も揃っています。

この動画では、タイムズスクエアやそのほかの公的な広場の導入や、自転車レーンのネットワークといった政策が、ニューヨークの街や道路の、よりよい方向を示しているとの確信を述べています。そして、そのことに多くの人が、既に気づき始めているとも語っています。



こちらは市民の活動の例です。「クルマのない公園劇場」と銘打った寸劇を多くの人の前で披露することで、クルマ中心の道路政策の不合理さをアピールしています。クルマを模したかぶり物をつけたクルマ中心派は、公園を通り抜けさせろ、さらに近道を使わせろと言います。

私はクルマを買ったんだ、乗りたいんだ、クルマが好きなんだと主張します。これに対して、市民は地下鉄や電車、バスを使うことが出来るし、そうすることができない理由がないと言い返します。ブルックリン地区だけでも総延長2千4百ロを超える道路があるのに、これ以上公園を道路にする必要がないとも答えます。

クルマの弊害や危険性も主張しています。こんな寸劇を通して、これ以上クルマを優先すべきでないと訴えているわけです。そして最後には地元の議員が登場し、この活動に対して感謝と支持を表明しています。彼らは、このキャンペーンを12年続けているそうです。



子供たちも、“Go Green!”と叫んでいます。何百人もの子供と親たちが行進し、クルマ中心の道路政策に異議を唱えています。子供たちの声には、大きな訴求力があります。次世代の子供たちのためにも、持続可能な都市開発を行わなければならないことを訴えているわけです。



都市計画の専門家による、住みよい街と道路の関係についての理論を、サンフランシスコの実際の道路を使って検証した実験についての動画もあります。交通量の違う3本の道路を使って、住民のコミュニティについての実験を行っています。これも同サイトの「大きな誤りを修復する」動画の一つです。

Fixing the Great Mistake, www.streetfilms.orgこれは、20世紀の初期に何がいけなかったのか、都市がいつからクルマの「言いなり」になっていったのか、そして、そうした都市政策が、今日どのように私たちの生活や生命に影響を及ぼし続けているかを明らかにしようとする一連の動画の一つです。

クルマで便利に移動出来れば住みやすいわけではありません。注意すべきは、いかにクルマの移動ニーズを満たすか、ということより、いかに住みやすい街にするために道路はあるべきかという視点に立つべきだということです。道路の整備が、必ずしも住民の住みやすさにつながるとは限りません。

日本でも行われてきた道路偏重の都市政策は、経済合理性に基づいた当時の判断だったわけです。しかし、それが交通事故の増加を招き、人々の命が危険にさらされました。排気ガスや騒音による公害をもたらしたのも否定できません。都市のヒートアイランド現象も助長しています。

クルマが大量に都市に流入し、それが渋滞を呼んで更なる道路が必要となる悪循環も生んでいます。道路によって都市が郊外へ広がり、中心市街地の空洞化、いわゆるドーナツ化現象やシャッター通りなども生みました。交通弱者とされる人たちは買い物難民となって、日々の食料さえ調達できない深刻な事態もおきています。

New York City DOT, www.nyc.govクルマが便利になり、その利用が拡大することで、公共交通の鉄道やバスが維持できなくなるところもあります。それ以前に環境に優しいとされる路面電車は多くの街で廃止に追い込まれました。道路整備が公共交通を駆逐する形となって、交通弱者を生んでいる側面も否定できません。

高齢化社会の進展で、高齢者がクルマを運転することによる弊害も起きています。道路の増加で維持管理費が拡大し、居住地域が広がることで、あらゆる公共サービスのコストも増加しています。このことが自治体の財政の悪化を深刻なものにしています。

クルマは人々の移動をラクにし、物流を促進し、経済成長に寄与してきました。しかし、一方で人々を運動不足にし、生活習慣病を助長したとも言われています。火災の延焼を防ぐなどの防災上の効果がありますが、一方で動画にもあったように、都市の住民コミュニティを分断し、住みやすさを低下させる面もあります。

車道を無くせと言うのではありません。0か100かの議論ではないでしょう。しかし、あまりにクルマ優先の道路政策、都市計画ではなかったでしょうか。100年後に正しいのは何か予測するのは困難ですが、100年前からの政策について、その正しさを疑ってみるべき時期に来ているような気がします。


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COP16が終わりました。15に比べて盛り上がりに欠けましたね。

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この記事へのコメント
産業都市川崎市は一方でまた「車優先都市川崎市」でもあります。
勿論看板である川崎駅周辺は車道並みの幅の歩道もありますが、住宅街になるとひどいもので
青葉区の住宅街など 歩道を歩く内に幅1mくらいのものが30cmくらいまで狭くなりついには消失します。
そのような場所でも車道はきちんと幅が確保され 車は支障なく走行できるようになっています。
また歩道の凸凹もひどく 工場商店住宅に車を乗り入れるため歩道が斜めに削られ 老人は転び車椅子は転倒するかのように設計施工されています。
車利用者でなければ人に在らずと言うような状況です。
国家公務員も地方公務員も「車に奉仕するのが仕事」だと思っているのでしょうか と思えるほどです。
Posted by 隠居@川崎 at December 12, 2010 07:26
こんにちは。

自動車大国の象徴であるアメリカでこのような取り組みがされているのは、非常に興味を持ちました。
先進国で車が十分に普及した後は、色々な過渡期を迎えて自転車・公共交通(市電・市バス)・歩行者中心のまちづくりにシフトしていくんでしょうかね。

一方日本では最近、買い物難民をビジネスターゲットとした"移動販売"が注目されてますね。
今後高齢化が進み、車に乗れない&バスがほとんど無い地域に住むお年寄りにとっては重宝されそうです。
Posted by さすらいのクラ吹き at December 12, 2010 13:48
日本でも、クルマ中心になりすぎたことをはっきりと認識しなければいけませんね。歩道を歩いていたり自歩道を駆けていたら、いつの間にか車道に融合してクルマに怯えることが本当にあります。アリバイ作りのような社会実験でお茶を濁さずに、しっかり過去を反省し十年先を見据えた交通政策を展開して欲しいものです。
Posted by 七九爺 at December 12, 2010 18:57
これらを見ると「もう車の時代は終わったなぁ」と感じますね。
日本の若者たちが車離れしているのも、維持費が高いばかりではなく、車に時代の新しさを感じていないのでしょう。
これからは若い人たちが、世の中のあり方を考えていく番です。車中心の道路行政が、転換されていくでしょう。
その時になっても、元気に自転車に乗れるよう体力を維持していこう。
還暦を過ぎたトンサンでした。
(@^ω^@)
Posted by トンサン at December 13, 2010 12:21
隠居@川崎さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
最近は住宅街の車道にハンプを設けたり、狭めたり、わざと蛇行が必要になるように植栽を配置するなどして、クルマがスピードを上げないようにしているところもあります。
つまり、歩行者に配慮しているわけですが、そんな場所も出てきている一方で、まだ大多数は、旧態依然とした道路整備が行われているのが実態と言えそうですね。
公務員もそうですが、市民もそれが普通のように感じていたり、仕方がないと諦めていたりする部分もあるような気がします。
今まで当たり前のようにクルマ優先だったせいでしょうが、もっと市民、歩行者としての権利意識に目覚める必要があり、それがなければ、なかなか改善も望めないような気がします。
Posted by cycleroad at December 13, 2010 21:54
さすらいのクラ吹きさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
安価なエネルギーだからと、化石燃料を大量に燃やすようなやり方が、環境面などから行き詰まりが見えつつあり、世界中の多くの人々が疑問を持つようになってきているのと同じで、都市のあり方についても、疑問を持つ人が増えてきているということなのではないでしょうか。
紆余曲折はあるかも知れませんが、本来あるべき方向、あるいはもっとよりよい方向へとシフトしていくのでしょう。
国や自治体にも、高齢化社会に向けた街づくりの必要性が認識されつつあるようですが、そんなにすぐ出来る話ではないですから、そのニーズを埋める移動販売は重宝されるでしょうね。
Posted by cycleroad at December 13, 2010 22:36
七九爺さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
流通など、クルマに頼らざるを得ない部分もありますが、少なくとも都市部では、これほどクルマ中心できたのは間違いだったのではと疑ってみてもいいでしょうね。
必要であれば、新しい都市計価や交通政策を立てて、推進していくためにも、どこかで、過去のやり方を総括し、検証する必要があるような気がします。
Posted by cycleroad at December 13, 2010 22:46
トンサンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですね、確実に変わってきていますね。少なくとも、文化や流行の中心にクルマがある、という感じではなくなっていくでしょう。
クルマの登録台数が減少に転じる時代です。若い世代のクルマ離れが進んでいくならば、確実に道路の需要も減っていくのでしょう。
クルマを締め出して、道路をスケートボードなどのスポーツや、ストリートパフォーマンスなどに使うようなニーズも確実に増えていきそうな気がします。結構、ドラスティックに変わっていくかも知れませんね。
Posted by cycleroad at December 13, 2010 22:54
 
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