燃料など一部の物資が不足し、寒さも加わって避難所生活は厳しいものとなっています。いまだ家族の行方が知れない方も多く、医薬品も足りない中、体調の不安を抱えている人も少なくありません。原発事故も収束しておらず、避難や屋内退避を強いられている方もあります。
集落が孤立していたり、避難所でなく自宅で過ごしている方の中には、救援物資の支給も受けられず、流通網の崩壊で食料を購入することも出来ずに、今日の食料調達さえ困窮している方もあると言います。遠く県外避難を余儀なくされている方も増えています。
まだまだ避難生活の見通しすら立たず、被災地の復興どころではない人が多いのが実情でしょう。そんな状況の中ですが、徐々に復興に向けた動きも出てきています。政府も被災者支援に追われる一方で、「復興庁」の創設といった構想が聞かれ始めています。
復興庁の構想には、関東大震災後に設置された帝都復興院がモデルとしてあるようです。後藤新平が総裁となり、当時の国家予算1年分に匹敵する予算を要求しました。大規模な区画整理と幹線道路を整備し、現在の東京の骨格のほとんどをつくったと言われています。
阪神淡路大震災の教訓をもとに、被災者に希望を与えるためにも、この時期から復興の計画を示していくことが必要と指摘する専門家もいます。時期尚早のようにも思えますが、復興財源の確保も必要ですし、少しでも早く被災者の生活再建を進めるためにも、今のうちから復興計画を検討することが求められるわけです。
民主党の岡田幹事長は記者会見で、「被災して機能しなくなったものを単純に元に戻すだけでなく、もう少し大きな絵を描いて新しい東北地方を創っていく。日本全体の先行モデルになるような地域づくりができればと考えている」と述べています。
岡田幹事長が、どのような考え方からこのような発言をしたのか、具体的なところは明らかではありません。しかし、単に復旧させるだけでなく、新しい東北地方をつくるという考え方の中には、おそらく、高齢化や過疎化への対応といった視点も含まれているのでしょう。
全ての被災地に言えるわけではありませんが、場所によっては、以前のように復旧すると、過疎化や高齢化といった課題も再現されてしまうという問題があります。過疎で買い物をする場所がなくなったり、ガソリンスタンドが無くなったりして、生活の維持が困難になる地域も増えています。
人口が減っているのに居住地域が広範囲だと、行政コストが自治体の財政を圧迫するということもあるでしょう。いわゆるコンパクトシティ化を推進するためにも、今の集落をそのまま再現せず、新たな居住地域を設定し、人口を集中させることで集落としての機能を向上させ、過疎や高齢化に対応するという考え方もあります。
もちろん、こうした考え方には反発も多いはずです。長年住み慣れた集落への愛着は強いでしょうし、ふるさとの景色を取り戻すことを夢見て頑張っている人も多いに違いありません。地域のコミュニティもあるでしょうし、先祖代々受けがれてきた土地から離れることへの拒否反応もあると思います。
おそらく多くの人が、復興とは元の生活、元の景色を取り戻すことだと考えていると思います。被災者の希望や心情もわかりますし、そうしたものを無視して復興を進めていいとは思いません。しかし、少なくとも考えてみる価値はあると思います。
高齢化や過疎化への対応ということは別にしても、こうした災害の場合、元の町並みを取り戻すことが復興の目標であっていいのだろうかという疑問があります。復興は災害に強い町をつくるチャンスでもあります。経営コンサルタントで経済評論家の大前研一氏が次のような提言をしています。
大前研一氏 日本の漁民は高台の安全住居から港に通勤すべし
「最強国家ニッポン」を造り上げる設計図を提唱してきた大前研一氏が、いまこそ「前を向いて新しい国を造ろう」と力強いメッセージを送る。
まず、東北をいかに再建するか。これは、あえて厳しい話からさせてもらう。今回の教訓を一言でいうならば、「日本は強い」という安易な自信を捨てることだ。三陸の多くの町は、チリ地震の津波で反省し、対策を取り、これで大丈夫だと思ってきた。
しかし、実は自然の脅威の前に無力だとわかってしまった。ならば、これを「元通りに復旧する」のではいけない。特に、経済的にも困窮するであろう被災者、民間に任せて知らん顔をするようでは、戦後復興で闇市が乱立し、今も東京に消防車さえ入れない街並みがたくさん残ってしまった失敗の二の舞になる。
これは国が責任を持ってやる仕事だ。
陸地と海の間に高い壁を築くという考えは捨て、低い土地には緑地、公園、運動場などを造り、その内側に高台を築いて、人はそこに住むという考え方に転換するべきだろう。近くに丘陵があれば住居はそちらに新たに造り出す。
崩壊した港も、そのまま再建してはいけない。日本には2950もの漁港があるが、これは多すぎる。だから機能も防災も不十分になってしまうのだ。漁民には申し訳ないが、いくつかの漁港を廃止し、そのかわり再建する港は津波防止の開閉式の水門を含めてピカピカの高機能なものにする。
現在、日本中の漁民は職住近接、通勤はなし、魚市場も町ごとにある。都市のサラリーマン同様、少しの通勤は我慢してもらうかわりに、高台に設けた安全な住居と最高の設備を持った魚市場と船着き場で働く環境を作る。
悲しむべきことに、町ごと壊滅してしまった今だからこそ、ゼロから造り直すことができる。恐らく多くの被災者は再び津波が来るかもしれない危険なところに住みたくないと考えているはずで、今ならば賛同してくれる可能性が高い。(2011.03.23 週刊ポスト2011年4月1日号)
津波の被災地は、元通りに復旧してはいけないと言っています。被災した人たちにとっては、非常に酷な提言のようにも聞こえます。しかし、このことは大前氏だけが指摘していることではありません。誰よりも被災地の先祖たちが、そのことを言っているのです。
明治29年の津波で2万人もの命が奪われ、昭和8年の津波でも3千人の命が奪われています。残念なことに、失敗は繰り返されているわけです。被災の教訓を後世に伝えようと、先祖が石碑をたて、これより下に住んではいけないと警告してきたにも関わらず、それが活かされなかったという事実があります。
動画の中で畑村洋太郎教授が指摘するように、被災から時間が経つと、やがてその教訓も失われ、また低い土地に住民が住み始めてしまうに違いありません。先祖の警告する石碑の下に住宅が建てられるという繰り返しを断つためには、国や行政が規制をするなどして、それを防ぐ必要があります。
一旦、集落を元に戻す復旧が始まってしまえば、被災の教訓を生かした町づくりは困難になるでしょう。大前氏が言うように、今ならば賛同してくれる可能性が高いというのもあります。復旧が始まる前に、そして痛みが薄れないうちに、災害の教訓を生かした復興プランを策定する必要があるのではないでしょうか。
もちろん、三陸地方で津波の惨禍が繰り返されているという事実を、一概に責めることは出来ません。今回のような大災害があるたびに、その教訓を生かした災害への備えの重要性が指摘されます。しかし、そうした教訓を充分生かし、備えは万全と言える地域が、果たして日本にどれだけあるでしょうか。
大地震が起きるたびに、地震に備えようと考えますが、その衝撃が薄れるにつれ、いつの間にか疎かになってしまうことは多いはずです。結果として、なかなか過去の教訓が生かせず、残念なことに失敗が繰り返されるということも多いのではないでしょうか。
災害が起きるたびに言われることですが、いかにその教訓を生かせるかが重要です。しかし、被災した地域だけにその責を負わせるわけにはいきません。被災した人への救援を進めながらも、教訓を生かした復興プランを立案し、今回のことを生かす手助けをしていく必要があると思います。
復興プランは被災地の人たち自ら選ぶ必要があります。国から一方的に押し付けられたものでは、住民の不満も残りますし、うまくいかないでしょう。でも今なら、多少の不便を我慢しても、「児孫に和楽な高き住居」を選択できるかも知れません。
被災した人たちの今回の選択によって、子々孫々の命を救える可能性があります。それが何年後のことになるかはわかりませんが、この選択によって多くの命が左右されるのは間違いないでしょう。そして、救われるのは子孫の命ばかりとは限りません。過去には、巨大地震が再び3ヶ月後に襲った例もあります。
いったん動き出してしまうと、その後の変更は困難です。日頃、自転車レーンがどうのという話題を書いていますが、一度出来あがってしまったインフラをつくり直すというのも、容易なことではないと思います。防災や、過疎化、高齢化への対応以外にも、今のうちに考えておくべきことは多いはずです。
こういう言い方は、被災地の方の辛い気持ちを考えると心苦しいのですが、「悲しむべきことに、町ごと壊滅してしまった今だからこそ、ゼロから造り直すことができる。」という大前氏の指摘も事実でしょう。今だから出来ること、今しか出来ないことも多いはずです。貴重なタイミングを逃すべきではないと思います。
義援金やボランティア、世界からの支援も広がっています。多くの国民の気持ちは、被災した方々と共にあると思います。被災した方には、ぜひ希望を持っていただきたいものです。