麻薬組織や左翼ゲリラによる内戦に苦しんできた国で、コーヒーやエメラルドで有名ですが、コカインの産地でもあります。1990年代には殺人事件の発生率が世界最悪となり、世界の誘拐事件の3分の2がコロンピアで起きたと言われるほど、治安の悪い国でした。
しかし、今世紀に入って治安は改善しつつあり、凶悪事件の発生率も減少しています。特に現政権はアメリカの支援を受け、治安維持に力を注いでいます。繰り返される内戦のわりに経済は安定しており、他の南米の国の例に漏れずサッカーが大変盛んで、野球や自転車競技、ローラースケートなども人気があります。
首都はボゴタで、人口700万人を擁する南米第4の大都市です。人口密度は東京23区の1.5倍もあります。市内の交通は鉄道がないのでクルマが中心であり、公共交通も専用道を走るものも含めたバスが中心となっています。当然、渋滞は激しく、ナンバープレートの番号による厳しい走行規制も行われています。
さて、そんなボゴタで毎週日曜日と祝日に行われるのが、“Ciclovia”シクロビア、直訳すると「自転車道」です。大通りを車線規制したり、通行止めにしたりしてクルマを締め出し、自転車などを対象に市民に開放する催しです。日本の歩行者天国に近い感じでしょうか。
なんだ歩行者天国かと言うなかれ、驚くことにボゴタ市民の約30%、200万人以上の人々が楽しむという巨大な歩行者天国です。日本のようにごく一部ではなく、総延長120キロ以上の首都の道路が開放されます。場所によっては、沿道に露店なども並び、毎週お祭りが開かれているかのような賑わいです。
多くの市民が自転車に乗って楽しみます。イメージのために、日本の歩行者天国のような感じと書きましたが、名称はシクロビア、自転車道です。歩行者天国と言うより、「自転車天国」と言うべきでしょう。実際、自転車に乗る人が多数を占めますが、もちろん自転車以外を排除するものではありません。
走る人、スケートをする人、そぞろ歩きを楽しむ人などであふれています。お弁当を持ってピクニック気分で出かける人もいます。広い道路幅が確保されると同時に、沿道の公園や広場では、エアロビクスなどのインストラクターが、青空教室を開いています。すべて無料で、誰でも気軽に参加できます。
日本の歩行者天国は、商店街の道路を開放して買い物をしやすくするものですが、シクロビアは市内の通りを大々的に開放し、自転車をはじめとするスポーツを楽しむ場なのです。老若男女、大勢の市民が思い思いに身体を動かすための催しです。スポーツだけでなく、街を楽しむためのものでもあります。
当局が道路の封鎖やパトロールを行う以外にも、多くのボランティアによるスタッフが、ガイドやプログラムの実施などに協力しています。コロンビアでの自転車の普及率はそれほど高くないので、無料の自転車を貸し出すサービスもあります。スポーツ相談や、さまざまなアクティビティも用意されています。
この“Ciclovia”、日曜祭日に現れる自転車レーンでもあります。市民は自宅からシクロビアを通って自転車で出かけ、エアロビクスなどのプログラムに参加して、またシクロビアで帰ってくることが出来ます。広範囲なシクロビアのおかげで自転車で移動出来るので、近くのアクティビティでなくても参加できます。
時間は朝の7時から午後2時、多くのボゴタ市民は、日曜に早起きします。クルマとは違い、自転車だと途中で友人に行き会えばすぐわかります。止まって、おしゃべりも楽しめますし、一緒に走ったりすることも出来ます。これは楽しいイベントです。200万もの人が参加するのも頷けます。
街の巨大なレクリエーション空間と言うべき自転車天国、シクロビアですが、単にレクリエーションだけのものではありません。市民同士のコミュニケーションを深める機会も提供します。地域のつながりを強め、市民同士の融和や、自分たちの街という連帯感も生みます。このことは治安の改善と無関係ではないはずです。
シクロビアが、家族の絆を深めることに貢献することも指摘されています。市民が積極的に身体を動かすようになることで、健康の増進にも寄与するのは間違いありません。ストレスの解消にもなっているはずです。結果として国民医療費の削減にもつながるでしょう。
市民に憩いの場を提供し、その交流を促進します。日本のように、隣近所が顔見知りでなくなり、一人暮らしのお年寄りが地域やコミュニティとの接点をなくし、孤独になるような不幸な状況を防ぐ効果も期待できます。都市の交通、公共の場でのモラルから環境問題まで、市民の意識改革にもつながることでしょう。
これだけ多くの人が参加をするシクロビアは、出会いの場でもあります。シクロビアがきっかけで恋に落ち、結婚する人もいます。日本でなら少子化対策にもなりそうです。さまざまな面で国民の幸福につながっていることは、シクロビアは最高と話す、動画に出てくる市民を見ていてもわかります。
シクロビアは、コロンビアの市民をより寛容にし、心をあたたかくしているとの指摘もあります。彼らの人生の質を向上させ、よりハッピーにしているのです。動画のレポーターのアメリカ人も、人生で最も感動的な体験の一つだったと語っています。たかが「自転車道」ですが、その持つ力は小さくありません。
このシクロビア、今から35年前、自転車好きの大学生が集まり、市の中心の大通りで、今で言うポタリングをしたことから始まったとされています。当時、都市に市民の憩いの場所が少なかったこと、クルマに道路が占領され、空気が悪かったことなどに対する緩やかな抗議の意味もあったようです。
市当局の配慮で大通りが解放されたことで、多くの市民が自転車やスケートなどで加わるようになりました。当局も市民の好評を受け、またその効果に気づいたことから拡大しはじめます。最初は10キロ程度だった通行止めも、120キロを超える規模にまでなりました。
実は、このシクロビア、日本では全くと言っていいほど知られていませんが、世界では高く評価されています。コロンビア国内の他の都市はもちろん、南米の50ヶ所以上の都市で、このボゴタを手本にしたシクロビアが導入されています。
それだけではありません。南米に留まらず、アメリカやカナダ、フランス、オーストラリア、ニュージーランドなど、広く世界にも広まりつつあります。どちらかというと自転車に関連するムーブメントは、欧米から広がりそうな感じがしますが、この自転車天国、シクロビアはコロンビアが発祥であり、世界最大でもあるのです。
ちなみに、コロンビアでシクロビアと言うと、この日曜祝日の自転車天国のことですが、文字通りの自転車道のことを指す時もあります。両者を区別するため、“Ciclorutas”と呼んだりしますが、近年、ボゴタでは自転車天国ではない、恒久の自転車道の建設にも力を入れており、その距離は300キロ以上に及びます。
ボゴタ市民にとって自転車は、どちらかと言うと日曜のレクリエーションでした。娯楽やスポーツとしては別ですが、自転車を平日に移動手段として使うのは、これまであまり人気がありませんでした。クルマと比べて貧しい人の移動手段、モータリゼーションに逆行する発展途上国の乗り物というイメージが強かったのです。
市長みずから自転車で通勤するなど、市当局は、こうしたイメージの払拭にも努めてきました。そして近年、恒久的で高規格の自転車道が充実してきたことで、交通手段としても注目されるようになってきました。まだ多いとは言えませんが、自転車道を通勤などに使う人も増えています。
ネットワーク化された自転車道を使えば、渋滞するクルマや時間の不規則なバスより速く移動出ます。市当局にとっては、渋滞や大気汚染の緩和対策になります。自転車道も、その便利さが理解されるようになり、平日に使う人も増えました。まだ全体の5%に過ぎませんが、それでも35万人の人が使っています。
当局は、3万ドルのクルマに乗る人だけではなく、30ドルの自転車に乗る人にも平等だという姿勢をアピールすることにもなります。ボゴタでは舗装された道路を通るクルマに対し、歩行者は泥の上を歩くような状態でしたが、近年は歩道の整備も進んでいると言います。
自転車道は、貧困層が多く住む地域も貫いています。このことは、貧困に苦しむ人たちに安価な交通手段を提供し、仕事へのアクセスを助ける貧困対策にもなります。もちろん、一般市民にとっても、ガソリン代や駐車料金などを節約できるというのはメリットです。
クルマを所有していても、ナンバーの末尾によって使えない日があります。専用道を走るバスもありますが、時間が正確ではなく、使い勝手がいいとはいえません。最近のボゴタでの、この高規格自転車道ネットワークへの投資は、さまざまな方面から高く評価されているのです。
最近は治安が向上したとは言うものの、まだ農村部などではゲリラが暗躍し、コロンビアは今も内戦が続く国です。鉄道などのインフラが整わず、慢性的な渋滞に悩む多くの南米の大都市の中でも、もっとも混沌とした都市と言われたボゴタが、こうした都市開発によって、世界からも注目されています。
そして、シクロビアは世界的な評価も高く、世界の都市のお手本となっています。どこの都市でもすぐに市民に支持され、定着するとは限りませんが、都市において「自転車天国」の措置がもたらすものを世界に知らしめました。日本でも、コロンビアからコーヒー豆しか輸入しないのは、もったいない気がします。
高校野球も佳境に入ってきました。ここだけ見ていると、いつもと変わらない夏という感じがしますね。