自らをドジョウに例えた謙虚な姿勢が好感されたのか、新聞各紙の調査では60%前後と高い支持率を得ているようです。前の菅政権で機能不全の状態に陥っていた政治が、一歩でも二歩でも前進することを期待する国民が多いということなのでしょう。
しかし、ただでさえ課題が山積しているのに、国会はねじれ状態、党内も本当に結束するのかという不安があり、その前途は多難と言わざるを得ません。野党も含め、震災復興そっちのけで政争を繰り広げてきた姿勢に、国民は根強い不満を抱いており、このまま国民不在の政治が続くのであれば、支持率も急落するに違いありません。

財政規律を重視する姿勢を評価する向きもありますが、反発も予想されます。重要政策への対応、実行力にも疑問符がつけられています。ねじれ国会を人質にとった野党の攻勢に妥協しても、逆に協力を得られずに国会審議が進まなくても、どちらも批判されるという厳しい道が待っています。
国民のためと政治家は誰もが言いますが、結局は自らや自党の選挙を有利にするための行動でしかないことを多くの国民は見抜いています。政策を通すのも、与党から譲歩を得るのも、選挙のために自らの姿勢をアピールしたり、有利にしようとする手立てにほかなりません。もっと必要な政策があるはずです。
未曾有の震災を受け、国民の気持ちが一つにまとまろうとしているのに、国会では点数稼ぎや揚げ足取り、あるいは相手のご機嫌取りや、重箱の隅をつつくようなことばかりしています。国難を前に、与野党の垣根を超えた結束を期待しているのに、国会は政局でしか動かず、レベルの低い政争ばかり繰り広げています。
確かに、政策を進めるためには法律の制定が必要ですし、そのためにはさまざまな国会対応が必要なのはわかります。しかし、本当に国民のためを思い、その信念を持って取り組んでいる政治家かどうかは、行動や発言からわかってしまいます。国民も馬鹿ではありません。

ところで、日本で民主党の代表戦をめぐって駆け引きが行われていた頃、カナダでは一人の政治家が死去しました。カナダ新民主党の党首、
ジャックレイトン(Jack Layton)氏です。今年5月に行われた同国の総選挙で大躍進し、それまでの自由党に代わって初の野党第一党に躍り出る快挙を成し遂げた人物です。
その後、7月には以前から患っていた前立腺がんの治療に専念することを宣言し、政治活動を休止していましたが、8月22日、トロントの自宅で息を引き取リました。61歳でした。野党の党首にもかかわらず、首相の意向でその葬儀は国葬とされ、多くの政治家や一般市民が参列しました。
政治的な立場や考え方を超えて、多くの国民が悲しみ、その死を悼みました。カナダのマスコミは連日、最大の扱いで報じ、お悔やみの記帳の列も同国で最大の規模だったと言います。政治信条は違っても多くの人が悲しみにくれるほど、人々から尊敬され、愛されていた政治家なのです。

彼が死の数日前に書いたとされる国民への手紙が公開されています。国民に向け、カナダは素晴らしい国であり、もっといい国に出来ると呼びかけています。怒りではなく愛を、恐れでなく希望を、絶望でなく楽観を持ってすれば、我々は世界を変えられるだろうと書き、多くのカナダ国民の心を揺さぶりました。
また、レイトン氏は自転車で通勤し、街でも気さくに市民と話すような政治家だったそうです。最近増えた、トレンドで自転車に乗る人と違い、何十年も前から自転車に乗って街を行く姿がトレードマークのようになっていたと言います。自転車好きで、自転車関連施設の充実にも貢献したと言われています。

そうした人柄や自転車好きということもあって、カナダの多くのサイクリストからも、その死が悼まれています。街は彼への感謝や賛辞、そして供養の品々で溢れました。一部には、ゴーストバイクを置いて、その死を悲しむ姿が見られました。
ゴーストバイクは、クルマにはねられるなどして亡くなったサイクリストへの追悼や、危険な道路と交通に対する社会への警鐘などの意味で、路上に置かれる白く塗られた自転車のことです。レイトン氏は、事故で亡くなったわけではありませんが、深い哀悼の印として道路にゴーストバイクが置かれました。

もちろん、彼を尊敬し、愛していたのはサイクリストだけではないわけですが、こうしたメモリアルの品々だけを見ても、多くの人に好かれ、尊敬を集めた偉大な政治家だったことが偲ばれます。欧米でも、なかなかここまで政治家として尊敬を受ける人物はいないのではないでしょうか。

当然ながら日本では、これほどの尊敬を集める政治家は皆無と言っていいでしょう。彼は野党ですし、その考え方が誰からも支持されたわけではありません。しかし、人格が慕われ、その行動が真に国民のためを願ってのものだと、国民に認められていたからこそ、これだけ敬われてきたのだと思います。

日本では政治不信が極まり、誰が首相をやっても同じと考える人が多数を占めます。政治に対する信頼も期待も地に堕ちています。選挙で落ちて、「失業」するのをひたすら恐れるあまり、地元への利益誘導や、政治資金の獲得など、自分や自分の党のことしか考えないような国会議員を尊敬せよというほうが無理です。
もし、その言葉が信じられるような指導者ならば、例え困難や痛みを強いるような政策であっても、日本の将来のためであることを信じ、国民はついていくでしょう。そんな指導者がいないばかりか、首相選びだけを毎年繰り返しているような政治では、どうしようもありません。
もし一人でも国民から尊敬を集める指導者がいたならば、これほどの政治不信にも陥らなかったのではないでしょうか。国難を抱え、国内外に難問が山積する日本の政治に、何人もとは言いません。一人でいいですから、ビジョンを示し、その実現に身を捨てて行動し、何より国民に信用されるような政治家がほしいものです。
サムライもなでしこも辛勝でしたが、よく勝ちましたね。この先の試合も楽しみです。