アメリカ・ニューヨークのロングアイランドシティを拠点として活動する、
Benard Klevickas さんは、主に金属を素材とした造形のアーティストです。ふだんは前衛的な現代アートを手がけるKlevickas さんですが、それらの作品とは別に、一連のプロジェクトとしての作品も制作しています。
その素材として使うのは自転車、それも路地に放置されていたり、壊れて捨てられている自転車のパーツです。もはやそれだけでは用を成さない自転車の部品、言い換えれば粗大ごみですが、それを集めて来て再び一台の自転車のように組み合わせ、作品をつくります。
作品を展示する場所は、ニューヨークの街中です。街灯や信号機を支える支柱などに飾ります。それも勝手に、ゲリラ的に設置してしまうのです。自転車のフレームを曲げるようにしてポールに絡ませ、必ず花が活けてあります。そう、作品は花を飾るプランターでもあるのです。


作品またはプロジェクトの呼び名は“
Twisted Bicycle Planter”、ねじられた自転車のプランター、そのままです。捨てられた自転車を街に花を飾るプランターとして蘇らせているわけです。自転車がプランター向きとは思えませんし、わざわざ自転車を使う必要はない気がしますが、自転車にこだわっているのです。
一度、勝手に取り付けていたため、50ドルの罰金をとられたこともあるようですが、自転車の形をしているとは言え、プランターです。近所の住人が、勝手に道端に植木鉢を並べて花を植えているのと大きくは違いません。このプランターというところがミソなのかも知れません。
捨てられた自転車を、ただ信号の支柱に巻きつけているだけに見えますが、そんな簡単なものではないようです。巻きつけると言っても自転車のフレームは金属ですから、そんなに簡単には曲がりません。普通は曲げようとすれば破断してしまうでしょう。簡単なやっつけ仕事ではないのです。

実際、自転車のフレームを曲げて支柱などに巻きつけるには、細かく計算して設計・加工する必要があり、ただ曲げたのでは、うまく固定されず、巻きつけることも出来ません。とても手間のかかる作業です。しかも、わざわざタイヤやホイールまで曲げてあります。部品として再度盗まれることもないわけです。
プランターだけにすればいいようなものですが、それではプロジェクトとしての意味がありません。店の前の歩道にプランターを置いて、花の世話をするだけなら誰でもすることであり、アート作品になりません。自転車であることに意味があります。
ただし、アート作品ですから、自転車である理由や、その目的が具体的に語られているわけではありません。アートは説明するものではないのです。アート作品はその制作意図を聞いて理解するものではなく、見て感じるものです。当然ながら、見る人によって、感じ方も違うでしょう。

実際、Klevickas さんも、そのあたりのことを語っているわけではありません。ただ、彼はガーデニングが好きで、自転車も好きということだけです。自転車に対して、健康で無公害な乗り物として素晴らしいと感じているのは間違いありませんが、それだけです。
これまでも、プランターやガーデニングに関連する作品をつくってきましたし、古い自転車のフレームを使って自転車ラックなども制作してきました。その延長にあるようにも見えますが、大きな違いは、この自転車プランターが街中の目立つ場所に、ゲリラ的に設置されるという点です。
このツイスト自転車プランターが設置された街角で、道行く人を観察していると興味深いと言います。どこにでもある信号や街灯の支柱に、どこでも見る自転車です。街の景色に溶け込んでいるので全く目に入らない人、違和感を感じずに通り過ぎる人も多いですが、はっと気づいて振り返る人があります。

そして、もう一度よく見て、それが打ち捨てられた自転車ではなく、意図して設置されたものであることに気づき、また花が飾られているのに気づいて、決まって少し口元が緩むのだそうです。花を見て和むのは普通としても、このモニュメントを見て、それぞれ何か感じることがあるのでしょう。
ちなみに、ニューヨークには日本のような、いわゆる放置自転車はほとんどありません。当然日本とは街の景色も違うので、彼の地を訪れても、そのことに気づかない人は多いです。でも注意してみると、これほどの大都市で、自転車に乗る人も多いのに、街角にとめられている自転車が非常に少ないことに気づくでしょう。
この背景には、いろいろ日本との違いがあります。日本では、例えば都内に住んでいても、駅までの交通手段として自転車を使います。しかしニューヨークでは、駅までしか自転車を使わないという人はきわめて少数です。一番大きなグランドセントラル駅の周囲ですら、ほとんど自転車はとめられていません。

つまり、自転車アンド電車という使い方をしないわけです。市内の地下鉄の駅のまわりにも、ごく僅かな台数がとめられているだけです。つまり、自転車に乗る人は駅まで行くのではなく、直接目的地まで行くのです。これは自然なことで、その意味では、むしろ日本のほうが例外でしょう。
私も自転車でニューヨークを走り回ったことがありますが、地下鉄を使うより、そのまま自転車で行ったほうが、よっぽど速いですし、便利です。それに、ビルの中などは、信じられないほど強く冷房を効かすアメリカなのに、地下鉄の駅は暑いのです。自転車のままのほうが涼しく快適というのもあるかも知れません。
本来の自転車の能力からすれば、ニューヨーク市内を移動するのに、ドアツードアで使うのが当たり前、便利で速いのです。日本の場合は、重くてスピードが出ないママチャリ、しかも歩道を通るので、駅まで行くのがやっとになってしまい、駅前に自転車が集中してしまうというわけです。

また、盗難が多いので、自転車を道端にとめて置かず、建物内に持って入る人が多いというのも大きな違いでしょう。日本で道路に無造作に多くの自転車が置かれていることに来日したアメリカ人は驚きます。そもそも自転車自体、格安のママチャリが多いという点も大きな違いだと思います。
このあたりに、日本の放置自転車問題の構造的な原因や、根本的な解決策が隠されているようにも思えます。いずれにせよ、もし、この作品の発表の場が、日本の街中だったら、多くの放置自転車にまぎれて埋没してしまい、サエないものになるであろうことは、想像に難くありません。
“Twisted Bicycle Planter”の設置場所が、日本の都市のように自転車が放置されていないニューヨークだったのは幸いですが、それでもゴミとして古い自転車やそのパーツを路地裏などに捨てる人はいます。盗難が多いので、パーツなどを盗まれて使えなくなり、結果として放置されている残骸もあります。

最近、ニューヨークでも自転車に乗る人が大幅に増えたこともあって、こうした都市でのゴミ問題に対する啓発と感じる人もあるでしょう。市長のリーダーシップもあって、自転車レーンなどのインフラ整備が進む一方で、街中に放置される自転車が増えることを心配する人もいます。
自転車やパーツの盗難には気をつけようと、あらためて用心するサイクリストもあるはずです。重要なパーツが盗まれると自転車としては機能しなくなり、結果的にゴミとして街の景観も損なうので、その点からも防犯対策は重要だと再認識するかも知れません。
歪んだ自転車のフレームから、事故を連想する人もありそうです。交通事故で亡くなったサイクリストの供養のための花とか、交通安全に対する啓蒙と受け取る人もあるに違いありません。クルマは自転車に注意をし、サイクリストにも無謀な走行を戒めるためのシンボルと受け止める人もあることでしょう。

なんでも捨てずにリサイクルしようというメッセージと捉える人もあれば、無機的な街の景色に対する反発と受け取る人もあるかも知れません。自分たちの街に、もっと緑を取り戻すべきと考えた人もいれば、街中での憩い、癒しに感じて、心に潤いが減っていたことに気づいた人もあったはずです。
どう捉えたか、どう感じたか、そしてその影響の大小も含め、人それぞれだと思います。ただ、この作品を見た人の中には、街、交通、自転車、マナーなどについて、あるいは、それが何であるかにかかわらず、忘れていたもの、見えなくなっていたものに気づいた人もあったのではないでしょうか。
この“Twisted Bicycle Planter”、直訳すれば、ねじられた自転車のプランターです。イギリスやアメリカでは、日本人がイメージするプランター、箱型の容器だけでなく、花瓶や植木鉢もプランターと呼びますが、プランターにはもう一つ、種をまく人という意味もあります。
Klevickas さんの作品を純粋に楽しむだけでなく、何かを考えるヒントや啓発と感じた人もいたはずです。そう考えると、Klevickas さん自身、アーティストであると同時に“Twisted Bicycle Planter”、少しヒネリを加えた自転車に関する問題意識のタネをまく人なのかも知れません。
台風の被害が次々と明らかになりつつあります。いまだ孤立している場所もありますが、あらためて、日本が地震だけでなく災害王国だということを思い知らされます。