つい1ヶ月ほど前にCEOを退任したばかりでの突然の悲報に世界中が驚きました。多くの人がその死を悼んで、いまなおアップルストアの前にはファンによる追悼の花束が供えられています。まだ56歳という若さ、志半ばで亡くなった、その早すぎる死を惜しむ声が後を絶ちません。
テレビや新聞もこぞって大きく報じ、単なる一企業の経営者という枠を超えたその影響力の大きさを、あらためて知らしめる形となりました。新聞・雑誌やテレピ、ネットでも、たくさんの追悼記事が書かれたり、追悼特集が組まれたりしています。
時価総額世界一になった会社の卓抜したビジョナリーであり、時代の偉大なイノベーターであり、IT業界のリーダーの一人として、カリスマ的な存在であったのは疑う余地がありません。優れた製品を生み出すことで世界を変えていこうという情熱を燃やし続けていただけに、早世が残念でなりません。
偉大なる足跡を残した人であることは否定のしようがありませんが、この1週間の報道の中には、多少不正確な表現、間違った伝えられ方も見受けられました。その死去を惜しむあまりなのでしょうが、まるでスティーブ・ジョブズを神格化するかのようなものも見られました。
ジョブズがマウスを発明したと伝えたアナウンサーもいましたし、彼が今まで世の中に全く存在しなかった製品を次々と生み出したと言い切ったキャスターもいました。ジョブズという『発明家』の死によって、革新的な製品が生まれなくなるかのような表現をしたものもありました。
もちろん、彼が歴史に残る偉業を成し遂げたことを否定するわけではありません。しかし、これらは事実を間違って伝えるものであり、テクノロジーの歴史を無視するものでもあります。彼の本当の凄さや、真の業績、その思いを見誤らせるものでもあるでしょう。
すべてジョブズが魔法のように生み出したかのように伝えるのは問題です。彼の志を継ぐべき若い世代が、彼に学ぶべきものを見誤ることになりかねません。テクノロジータの今後の発展にも資するものではなく、おそらくそれは本人も望むところではないはずです。
35年前、それまで大型で高価で、およそ個人とは縁の無かったコンピュータを、パソコンとして身近なものにする先駆者だったのは誰もが認めるところです。しかし、彼が生み出したとされるパーソナル・コンピュータも、元はアップルの共同創業者のスティーブ・ウォズニアックが個人で作ったものだったのは有名な話です。
当時は画期的だった、マッキントッシュのグラフィカルなユーザーインターフェースにしても、ポインティングデバイスのマウスも、元をたどれば他社が開発したものです。音楽の聴き方を大きく変えたとされる“iPod”の前にもデジタルの携帯音楽プレーヤーはありました。
“iTunes”より前からネットでの音楽配信はありましたし、スマートフォンは、“iPhone”より“BlackBerry”のほうが先だったのも、少し詳しい人なら知っています。“iPad”よりずっと前からタブレットPCはありましたし、アマゾンの“Kindle”などのほうが、2年以上早く発売されています。
つまり、どれもジョブズが発明したものではありません。“iPod”も“iTunes”も、“iPhone”も“iPad”も、どれも後発であり、携帯音楽プレーヤーも、音楽配信も、スマートフォンも、タブレットPCも、ジョブズが生み出したものではなく、ジョブズが夢のようなアイデアを思いついたから、世に出てきたのではありません。
ただ一方で、各アイテムともその分野に大きな影響を及ぼしたのも事実です。以前からありましたが、著作権などの問題を乗り越え、音楽の流通を変え、その買い方や聴き方、人々のライフスタイルを変えたのはジョブズであり、“iPod”や“iTunes”です。
“iPhone”や“iPad”にしても、それまでに既存のものがあったにもかかわらず、卓越したデザイン力やこだわりによって、それぞれの分野を代表する製品にしました。決して彼のアイディアではなく、後から出したのに、どの分野もジョブズが考え出したかのように思えてしまう部分はあるのかも知れません。
それぞれのデバイスの誕生の背景には、半導体や通信分野の技術革新があり、それらによって初めて実現可能になったものです。最初にアイディアを出したのは他社であり、各分野でもずっと後発であるにも関わらず、発売されるや圧倒的な人気を獲得し、不動の地位を確立してしまうところに凄さがあると思います。
このあたりの経緯を覚えている人も多いことでしょう。当然ながら技術系のメディアなどでは、これまでも指摘されてきていることです。特にこの分野についてに詳しいわけでもない私が、わざわざ言及するまでも無いですが、間違った報道によって有益な示唆が見えなくなるのは残念です。
よく言われるように、デジタル製品は、部品を買ってくれば誰にでも作れるものです。技術的な蓄積の無い新興国のメーカーでも簡単に製造出来てしまいます。後はコストの勝負になってしまい、事実、日本のメーカーの優位性は失われ、シェアを落としています。
人件費の安い途上国へ生産拠点が移り、国内の産業空洞化を招きます。国内の失業率を高め、景気を悪化させるものです。日本人としては、ジョブズが発明したわけでもなく、また誰でも組み立てられるデジタル製品なのに、なぜ圧倒的な人気を得、競争力を保ち、あれだけの業績をあげられるのかに注目すべきでしょう。
もちろん、その理由については、専門家によっていろいろ分析されているところです。ハードウェアだけでなく、ソフトウェアやサービスを統合し、パッケージで提供できることが強みなどと指摘されています。アップルのデザインセンスや設計思想などもあるでしょう。
そこには、当然ながらジョブズの思いが反映されています。アップル・コンピュータは、“iPhone”の発売後に社名からコンピュータを外しました。コンピュータを意識しなくなったとは言え、“iPhone”も“iPad”も“iPod”も含め、広い意味でコンピュータ、あるいはその周辺機器であることには変わりありません。
ジョブズは創業から一貫してコンピュータに関わってきたわけです。そのコンピュータに対して彼は、「コンピュータは、私たちの知性にとって、自転車のようなものだ。」と述べています。ご存知の方も多いと思いますが、後に有名となった発言です。
これは、まだコンピュータを個人で使うのが一般的でなく、その持つ意味や可能性について、一般の人には、その有用性がまだまた理解されていなかった頃の話です。インタビュアーにパーソナルコンピュータとは何かと問われて、次のように答えています。
私たちと他の霊長類を真に区別するものは、私たちがツールビルダーであるということだと思います。私は、この惑星に生息するさまざまな生物種の移動の効率について測定した研究を読んだことがあります。1キロメートル移動するのに、一番少ないエネルギーしか使わなかったのはコンドルでした。
人類は下から3分の1くらいのところにいて、あまりパッとしないものでした。万物の長たるにふさわしいものではなく、あまりいい成績ではありませんでした。しかし、サイエンティフィック・アメリカンという雑誌の誰かが、自転車に乗った人間の移動効率を調べるということを思いつきました。
すると、自転車に乗った人、自転車に乗った人間は、コンドルをも寄せつけないほど、チャートのダントツのトップとなったのです。つまり、それが私にとってのコンピュータです。私にとってのコンピュータは、我々人類が手にした中で一番注目すべき道具であり、いわば人類の知性にとっての自転車のようなものです。
まだアップルの創業間もない時期に、自分たちが目指したパーソナル・コンピュータのことを、「知の自転車(Intellectual Bicycle)」と表現したのです。自転車もコンピュータも、元々人類が持つ能力を飛躍的に向上させる道具というわけです。まさに言いえて妙だと思うのは、私だけではないでしょう。
また彼は冒頭で、我々人類と霊長類との一番の違いは、道具を作ることにあると述べています。一般的には道具を使うこととされる場合も多いですが、彼はツールビルダーであることと言っています。道具を自ら『作り出す』という点を強調するところに、ものづくりに対する熱意があらわれている気がします。
私もこの研究を読んだことがあります。だいぶ前に記事にもしましたが、移動のためのエネルギー効率という点で、自転車というツールは画期的な発明であり、優れた道具なのです。同じ重さを同じ距離移動させるエネルギーで比較すると、コンドルや馬や鮭のほうが人間よりも優れています。
ところが、人間が自転車で移動すると、徒歩より5倍もエネルギー効率がアップし、ダントツとなるのです。動物だけでなく、クルマや旅客機なども含めた、あらゆる移動のための機械と比べても、エネルギー効率が断トツに優れているのです。
人類が今までに発明してきた中で最高の乗り物と言われるのは、このためです。ジョブズがコンピュータを自転車になぞらえたくなるのも納得がいきます。ジョブズは、人間の能力を最大限引き出すツールとして、自転車に例えたということなのですが、私は、個人的にそれだけでないような気がしています。
発言では触れられていませんが、自転車がきわめて個人的でプライベートな乗り物であることも、アップルの製品と共通するものがある気がします。アップル社は、例えばマイクロソフトなどのように、企業向け、仕事用の製品はほとんど作っていないと思います。
“iPhone”や“iPad”が、仕事で使えないわけではありませんが、基本的に個人に向けた製品をラインナップしています。同社の製品を使って、どこでも情報にアクセスしたり、何かを表現したり、考えたり、コミュニケーションしたり、個人の能力の発揮をサポートすることを目指しているように見えます。
このパーソナルという部分が自転車とジョブズの製品に共通している要素だと思います。あくまで自転車であって、バスや電車ではないわけです。バスや電車も現代文明の結晶には違いありません。人類に移動の利便性を提供し、移動ということに関しては人類の能力を補い、大きくサポートするものです。
自転車より速いスピードが出ますし、長い距離も移動できます。大量輸送の点でも自転車に勝ります。確かに便利なのは間違いありませんが、個人の能力を引き出すというのとは、少し違います。利便性を提供することと、人間が持つ能力を高めるということとは違うのです。
もう一つ違うと思うのは、楽しさです。このブログの読者なら同意してもらえると思うのですが、電車やバスの移動と違って、自転車で移動するのは楽しい体験です。その点までジョブズが意識して例えたのかはわかりませんが、この楽しいという点も相通じるものがある気がします。
自転車と同じと考えたかどうかは別として、乗っていて、使っていて楽しく、ワクワクするような製品を生み出すことに力を入れていたのは明らかです。電車でもバスでも移動は出来ますが、ぜひ自転車で移動したいと思わせるような魅力を目指していたのでしょう。それがアップル製品の強みでもあると思います。
そして、他の乗り物と違って、自転車はシンプルで、自由で、身近で、誰でも乗れて、『感じる』乗り物でもあります。アップルの製品のデザインや思想と根底で通じる気がします。ジョブズがこだわった部分であり、またそのこだわりゆえに、ファンに支持されるのではないでしょうか。
自転車のように、教習所に通ったり、説明書を読まなくても「直感的」に操作できることが重要です。自由に使え、それが実感できると共に、シンプルで美しくなければなりません。その点、ジョブズは先駆けとなった他社の製品のデザインや操作性、コンセプトに我慢できないところがあったのかも知れません。
すべて後発のハンデをものともせず、消費者の圧倒的な支持を受けたのは、ジョブズが製品化の段階で、徹底的に「自転車的なもの」にこだわったからというのは、こじつけ過ぎでしょうか。人によっていろいろ感じ方は違うでしょうし、そこまで関係ないだろうと言われそうですが、私はそんな印象を持ちます。
彼のことを預言者などと呼ぶ人がいます。今のコンピュータやインターネットの世界は、彼が切り開いたように言う人もいます。しかし、みな技術的には以前から予想されていたものが実現してきたに過ぎません。むしろ、鍵を握る技術や材料の出現の意味を的確に捉え、適切に組み合わせ、順当に製品化してきた人と言えるでしょう。
これからについても、さまざまな技術革新の見通しがあり、今後実現が予測されているものはたくさんあります。それをジョブズのような情熱とこだわりを持ち、決してあきらめず、妥協しない強い心で、
ハングリーに、
愚直に実現していく人が求められるのでしょう。
彼の実妹の言によれば、トイレの水を流すヒマもないほど忙しい人だったと言います。もちろん、ゆっくり自転車に乗るような時間もなかったと思います。でも、一時アップル社を追われた時期などには、イタリア・トスカーナ地方をめぐる自転車旅行もしていたようです。
スティーブ・ジョブズは亡くなりました。もう彼の生み出すプロダクツを見ることは出来ないと悲しむファンも多いことでしょう。世界が偉大なイノベーターを失ったのは間違いありません。しかし、彼の思いやこだわりを正しく理解し、受け継ぐ人がいる限り、彼の精神は世界中で生き続けるような気がします。
文中、敬称は略させてもらいましたが、あらためてスティーブ・ジョブズ氏のご冥福を心よりお祈りします。
iPhoneよりも先に開発が進んでいたと言われるiPadですが、アップルフェローのアラン・ケイのダイナブック構想(http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/probitas/20100411/20100411173647.gif)の実現なのかと、個人的には思います。当時は夢物語だった、これらのプロダクトを具現化することを目指して技術開発をしてきたAppleのようですが、その結果を世に送り出して他界したジョブズ。ご冥福を祈ります。
ちなみに、Appleも企業向けプロダクトはサーバー関連機器など、少々有ったと記憶していますが、末端は人間が使うことにこだわった商品の一環ですから、そういう意味では、人間が個人の力だけで操作する自転車というものに共通する要素は多いと思います。
Mac初期は、このイラストにはわくわくした物です。
http://ilife.dip.jp/MT/bonyari/img/0702/mac-bicycle.jpg
ジョブズの他界時の報道で、違和感があったのが、「カリスマ経営者」と言う評価です。個人的にはApple ][からのユーザーで、彼らのプロダクトのほとんどをリスペクトしていますが、経営者としてひどい話はいくらでも耳にしましたが、優秀だと思ったことは皆無です。それでも、うまくいっている企業のトップだと、死んだときに、こういう報道をされるのですね。単純です。
Appleがうまくいっていなかった時もそうですが、Apple社や、そのプロダクトの適切な評価は、いつの時代もされていないと感じました。技術的なことをろくに評価せず、経済アナリストが、他社との競争だけ見て、こき下ろして、株価を下げたりと
それは、Microsoft(のプロダクト)についても同様で、コピーとまでは言わないまでも、Mac OSから多大な影響を受けたWindowsですら、Macの方が真似をしたなどと思っている人も世間で多いでしょうし、Mac版のExcelが有ることに驚かれたなんてことはしょっちゅうでした。
まあ、それだけ、業界全体でのパーソナルコンピュータの完成度がまだ低く、過渡期だったと言うことでしょうか。
そんなことも、Appleがコンピュータ専門メーカーでなくなり、ジョブズが他界した今、過去の歴史として笑い話にできる時代が来たと思う部分もあります。
続く。