年初に発表された昨年の全国の交通事故死者数は4千6百人あまり、11年連続での減少となったそうです。しかし、減っているとは言え、いまだ70万件弱の事故が起きており、85万2千人もの負傷者が出ています。相変わらず多くの人が、突然の悲劇に巻き込まれているわけです。
減っているのは喜ばしい傾向ですが、その要因には、救急救命体制の充実や医療技術の進歩なども寄与していると言われています。交通事故死者数は、事故発生から24時間以内に死亡した人数なので、実際にはさらに多くの人が亡くなっていることになります。
クルマの安全性能も向上しているので、即死が減っているという見方も出来るわけです。もちろん負傷者の中には、重傷者や重篤な後遺症が残る人も含まれているはずです。長いリハビリや社会復帰が困難になるなど、事故後の生活や人生設計が大きく変わってしまった人も多いに違いありません。
さらに事故は被害者だけでなく、加害者も不幸にします。多額の賠償責任を負ったり、刑事責任を問われて服役する人もあります。事故の社会的な責任を問われ、失職するなどの代償を払うことになって、やはり大きく生活が変わってしまう人もあるはずです。
家族や関係者を含めれば、さらに多くの人に影響は及びます。そして、ほとんど誰にでも起こりえることでもあります。そもそも、これだけ多くの突然の悲劇が、日常的に起きていることが問題であり、交通事故死者が減っているからと言って、手放しで喜ぶわけにはいきません。
悲劇は、家の近所や職場の近く、ごく身近なところで起きています。いつ何時、自分の身にふりかかるかわかりません。街は人間のためにつくられたもの、人間が住み、生活し、働くための場であるはずなのに、人間の命を奪い、不幸に陥れる場所にもなっています。
しばしば交通事故が起きることが当たり前のようになっており、皆そのことをおかしいと思わなくなっていますが、それでいいのでしょうか。いつの間にか、多くの人が交通事故に遭って死傷するようになってしまいましたが、果たしてそれは仕方がないことなのでしょうか。
そんな疑問を感じている人たちが、クルマ社会と言われるアメリカにもいます。アメリカは誰もが当たり前のようにクルマを運転する国です。日本のようには鉄道網が発達していませんし、国土も広く、多くの場所でクルマ無しでは暮らしていけないと言われる国であるにもかかわらず、です。
ちなみにアメリカは、世界の石油の4分の1、ガソリンに限るとさらに多く、世界の消費量の約4割を占める国です。これは、中国や日本、ロシア、カナダ、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、メキシコ、オーストラリア、ブラジル、インド、インドネシア、サウジアラビアなど、米国以外の上位20カ国の合計を上回る量です。
そんなアメリカでも、クルマ文明に対する疑問を感じている人たちがいます。街の中でまでクルマを使わなくてもいいのではないか、人間の居住や日常生活の空間にまでクルマが入り込んでいるのが、そもそも事故をひきおこす原因ではないかと考えている人たちがいるのです。
もちろん、アメリカはクルマ社会です。移動や流通にクルマは必要不可欠です。しかし、居住空間、生活空間からはクルマを排除し、クルマに依存しない街を構想しています。それが、“
Bicycle City”です。その名の通り、自転車での移動を前提にした街です。
この街では、クルマの通行が許可されません。街の外まではクルマが利用できますが、街の中にはクルマが走っていないので、街の中ではクルマによる事故は起こりません。普通の街でクルマが通る場所に通るのは自転車だけです。現実の自転車天国、自転車のユートピアでもあります。
クルマが使われないことで、不慮の事故だけでなく大気汚染や騒音もありません。誰でも安心して街を歩くことができます。ガソリンに依存せず、人々には健康的な生活を提供します。さらに、太陽光や風力などを利用したクリーンエネルギーが導入され、緑豊かで自然のあふれる街になる予定と言います。
1990年代に構想された、
Bicycle City プロジェクトは、この構想に賛同する人に出資を募り、2006年に設立された、Bicycle City LLC によって推進されます。2010年から工事がスタートし、街のインフラ整備が進められています。近く最初のブロックが売り出される予定だそうです。
場所は、サウスカロライナ州コロンビアの郊外、ガストンが選ばれました。一年中温暖でサイクリングに最適な気候です。海と山の中間にあって、湖も近いのでレクリエーションにも事欠きません。ハイウェイだけでなく、空港やアムトラック(鉄道)の駅へのアクセスも容易な便利な場所にあります。
よくある不動産開発会社による宅地分譲、新興住宅地ではありません。歩いて職場に行ける街、自転車で買い物に行ける街を目指しています。もちろん、他の都市へ出かけるなど、クルマが必要な人は、街の外周部に設置されるパーキングを利用出来ます。クルマが不要であれば、街の中心部に住むことも出来ます。
そして、このコンセプトに賛同する人、健康で安全な、徒歩と自転車だけの街という考え方を共有する人たちを集め、新たなコミュニティを作っていこうとしているのです。普通のニュータウン開発とは違い、時間もかかり、試行錯誤もあるだろうと思いますが、夢のあるプロジェクトと言えるでしょう。
移民が流入し、今なお人口の増え続けるアメリカとは違い、人口が減少していく日本では、なかなか新しい街を、一からつくるのは現実的ではないかも知れません。新しい街が必要になるどころか、過疎で人口が減って成り立たなくなる、いわゆる限界集落も増えています。
ただ、過疎化と住民の高齢化に悩む自治体では、コンパクトシティを目指す動きもあります。街の再開発を考える中で、この自転車の街という考え方は検討に値するのではないでしょうか。街をダウンサイジングする中で、街の中からクルマを排除してしまう選択肢もあると思います。
税収が減っていく中、なるべく集まって住む、街をコンパクトにすることで、インフラにせよ、住民サービスにせよ、コストの削減が見込めます。集まって住む区画の中からクルマ用の道路を排除しても、コンパクトであれば、徒歩と自転車でもこと足りる可能性は充分あります。
高齢化して、運転しなくなっても住める街、クルマが運転出来ないことで、買い物難民にならないような街というのも重要な要素でしょう。この際、思い切って自転車シティにしてしまおうという市町村が出てきてもよさそうなものです。むしろ、日本の市町村でこそ、自転車シティが増えても不思議ではありません。
クルマを全く使わないわけにはいきませんが、大都市であっても、街路でブロックを区切り、そのブロックの中からはクルマを排除するという考え方は出来ると思います。渋滞を迂回しようと生活道路に入り込み、スピードを出して危険なクルマが各地で問題となっています。その解決策にもなるかもしれません。
もちろん、既存の街からクルマを排除するのは簡単なことではないと思います。自転車の街にしてしまうと、不便も出てくるでしょう。当然反対も予想されます。しかし、どんな場所でも、一律にドア・ツー・ドアでクルマが使えるようにする、そんな考え方からは、そろそろ脱却してもいいような気がします。
クルマの否定ではありません。当然ながらクルマにもメリットとデメリットがあります。何より交通事故の悲劇を減らすことを考えるなら、今の街と道路の関係には改善の余地があると思います。日本でもカーフリー、クルマを使わない区域を設定するという選択肢を、もっと考えてみてもいいのではないでしょうか。
クルマや歩行者と自転車が混在して危険だけど、自転車レーンを設置する余地がない道路は多いと思いますが、思い切ってクルマのほうを制限してしまうという手も、あると思うんですけどね..。