単なる経路としてでない道路
ふだん、私たちは何気なく道路を使っています。
自転車か、徒歩かクルマかはともかく、道路を使って目的地へ移動します。そのため、その道路がどこへ向かうのか、どこを曲がるべきか、どこを通ったほうが近いかなど、地理的な、経路としての面が重要になります。それが道路の役割ですから当然のことではありますが、道路には歴史的な面もあります。
太古の昔から、道はありました。人類が最初に使ったのは、おそらく「けもの道」の類でしょう。あるいは、獣と出くわさないために、道なき道を歩いていたのかも知れません。定住するようになると、よく通る場所が自然と道になった、いわゆる「踏み分け道」を使っていたであろうことは、容易に想像できます。
では、舗装道路が出来たのはいつ頃かといえば、これが意外に古く、紀元前4千年頃だと言われています。古代エジプト人が重いピラミッドの石を運ぼうにも、石などで舗装された道路がなくては、運ぶ石が砂にうずまってしまって運べなかったに違いありません。
やがて人類は馬や牛を使い、車輪のついた荷車のような運搬手段を使い始めました。ぬかるんだ道で家畜の足や車輪をとられないためには道路を舗装する必要が生じたはずです。古代中国や、インカ、マヤ文明などにも古くから舗装道路が見られました。
古代ローマ時代には、軍用の道路として本格的な石畳の舗装道路、ローマ街道が整備されました。幹線だけでも75本、8万5千キロ以上、支線を加えると15万キロはあったと言われています。今から2千年以上も前の時代に、地球4周にも迫る規模です。「全ての道はローマに通じる。」と言われるのも道理です。
ローマの支配地域が広がるにつれ、軍隊が素早く移動できる道路が必要となりました。そのため、出来る限り直線につくられ、平坦になるよう川や谷にも橋がかけられました。しかも、なんと歩車分離のため、歩道まで設けられていました。馬や馬車が通る部分に一般の人が歩いていては、高速に移動ができないからです。
雨水を浸透させるために砂や石を4層に重ね、表面から排水する為わずかに勾配をつけるなど、非常に高規格な道路だったと言います。しかも、木の根による侵食を防ぐため、道路の両側から樹木を排除して植樹を禁止するなど、維持管理にも配慮されていました。
沿道には、1ローママイルごとにマイルストーンが立てられ、距離がわかるようになっていました。アッピウス・クラウディウスの立案によって、紀元前312年に建設が始まった最初のローマ街道、アッピア街道は、全線の完成まで70年かかっています。
驚くべきことに、そのアッピア街道には、現在でも元の状態で保存されている場所があります。なにしろ2千3百年も前の敷石による舗装です。長年の馬車の轍なども残されており、路面状態は必ずしも良好なところばかりではありませんが、今も残るアッピア街道をたどる自転車ツアーは人気だと言います。
レンタルバイクなども用意され、世界各地から観光客が訪れています。あのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)も通った同じ道を、2千年の時を超えて、今でも通ることが出来るなんて、歴史ファンでなくても、歴史のロマンを感じるのではないでしょうか。
日本にも古い道路はあります。熊野古道のような有名なものでなくても、身近にたくさん存在しています。今は普通の舗装道路のようでも、実は古くからあるという道は数多くあります。道を移すのは、いつの時代も簡単ではありません。道幅や周りの風景は時代によって変わっても、そのまま使われている道は多いのです。
近年建設されたバイパスなどは別として、旧道、旧街道として名前が残る道もあります。名前は残っていなくても、例えば沿道の名所、旧跡、古刹などの存在により、古くからあるとわかる道もあります。古い文書や古地図にも記録が残る、長い歴史のある有名無名の旧所名跡は、日本にも数多くあります。
そういった場所を訪れたことがわかっていれば、徳川家康とか源頼朝、宮本武蔵、坂本竜馬といった歴史上の人物が通ったのと同じ道を通ることも可能なわけです。古代ローマのように紀元前とはいかないまでも、数百年、千年といった単位の年月の経過を感じることも出来るでしょう。
わざわざ郷土資料館などを訪ねなくても、今はネットで容易に情報が得られます。江戸時代には、丸一日かかった宿場町間の距離も、自転車ならば1〜2時間です。途中の史跡を巡っても、ラクにたどることが出来ます。たまには歴史を訪ねるサイクリングもいいのではないでしょうか。
歴史好きな人ならば、山の辺の道、竹内街道、長尾街道、太子道といった、歴史ある道をたどってみるのもいいでしょう。最近はサイクリングロードを整備して観光客を呼ぼうという自治体も増えていますが、郷土に残る歴史的な道筋をもっとアピールするのも面白いのではないでしょうか。
国道やバイパスは道幅が広く、まっすぐで走りやすい反面、クルマの交通量が多く、排気ガスなどで環境がいいとは言えません。一方、旧道は道幅が狭くて通りにくかったり、昔の名残なのか曲がりくねっていたり、見通しが悪かったりもしますが、交通量が少なく、かえって走りやすい場合もあります。
趣味で自転車に乗る人は、どうしてもサイコンに表示されるスピードや距離に気をとられてしまいがちだと思います。かく言う私もそうなのですが、たまには道路を単なる経路として見るのではなく、道路そのものの歴史や風情を味わう目的で走行してみるのも一興だと思います。
距離やスピードではなく、昔の人が通った道筋にこだわるのもいいでしょう。古い寺社や史跡などに自転車をとめて、掲示してある案内板を読んでみるのも面白いと思います。表通りを通っていてはわからない発見があるかも知れません。たまには、そんな歴史をひもとくポタリングもいいのではないでしょうか。
しかし、何を考えているのでしょう、鳩山元首相は。この時期に政府や党の要請を振り切ってでもイラン訪問し、いいように利用されるだけとは、憲政史上最低の首相との呼び声が高いのも当然ですね。
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Posted by cycleroad at 23:30│
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cycleroadさん こんにちは。
行ってみたいですね、アッピア街道。
でも、Bikeで走るには、かなりきつそうです。
先日行われた、ロードバイクレース(クラッシック)を思い出しました。
以前から、色々な機材が開発されていたようですが、
TREKではカンチェラーラ選手の為の特別なBikeを開発した事も
話題になっていましたね。
身近なところで、最近よく使うルートに「御成街道」(おなりかいどう)が
あります。正確には「東金御成街道」かもしれません。
ご存知の方も多いと思います。
確かに狭いのですが、Bikeには都合のいい時もありますし、
景観が良いところもあります。
当然、アスファルト舗装になっていますが、
今後も残してもらいたい道路です。
Fischerさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
世界史の教科書に出てくるような歴史上の道が、今も当時の面影を残しているというのがすごいですよね。
なかなか日本では石畳の道を走ることがないですし、レースもないですが、ヨーロッパには古い石畳の道はたくさんあって、街によっては普通の人も当たり前に走っていますから、関心も高いのでしょう。
御成街道、私も走ったことがあります。風情があって、なかなかいい道ですよね。
大きな幹線道路を行くより、時間がかかっても、旧道を行くのが楽しい場合も多いと思います。
バイパスが開通すると、場所によっては旧道が閉鎖されたりします。メンテナンスやいろいろ事情があるのでしょうけれど、なるべくなら残して欲しいものですね。
文章から、「路」の歴史を感じますね〜。
自転車は、それを感じる道具としても最高な乗り物かもしれませんね。
私も、旧道サイクリング大好き派です。
中山道の宿場に生まれ、今や中山道最大の宿場で生活しています。
アッピア街道など、ローマへ続く道(ローマ街道≒ロマンチック街道)は魅力的ですね。いずれは走ってみたいです。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道なども。
欧州の旧道・古道は、石造りで、長く使うことを前提にしっかり作られていますね。建物も、そう簡単建て替える物ではないという前提です。
それに対して、日本の旧道は、石畳は宿場とその周辺ぐらいではないでしょうか? 並木で保護しているのも特徴かと思いますが、良くも悪くも自然を利用していて、持続のスパンは欧州ほどではないと思います。家屋も、紙と木で出来ていて、立て替えが前提ですね。
どちらが良いとかではなく、文化の違いを感じます。
旧道は生活の香りがして、神社仏閣等、緑も多く、山間部ですと、わき水など有り、真夏でも旅人のための、工夫がされていますね。自動車のためのバイパス道路とは、真逆の性格で、同じ自転車による移動でも、全く違う体験になります。
厳密な旧道トレースなどは、謎解きパズルのような楽しみもありますし、歴史的にも興味深い体験が出来ます。これは、歩き旅でも同様ですが。
普通に主要道を走っていても、慣れてくると、事前に調べたりしなくても旧道への入り口が解りますから、ふらっと入ります。小さな集落ですと、ちょっとの区間ですが、一瞬でも、自動車の交通の喧噪から解き放されたオアシスと感じることもあります。
集落という生活の場も、自転車という、うるさくなく、排気ガスも出さない車両なら、受け入れてくれると思いますし、積極的に走りたいです。
行政も、自転車道として整備するレベルではなくても、旧道を推奨自転車ルートとして、積極的に観光開発して欲しいです。
大和大路通(やまとおおじどおり)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E9%80%9A
現場は桜や紅葉の季節に何度も歩いたことのある道路。四条通より南は道幅は狭いが観光地だからタクシーが多い。歩くのも窮屈だし自転車も押して歩くような道。そこから飛び出してきたクルマ。まさに凶器。
祇園で歩行者の列に車=運転者含む8人死亡−別に9人巻き込まれる
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201204/2012041200498&rel=y&g=soc
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120412-00000081-jij-soci
現場の交差点に花を手向けに行かなきゃ!
昔の道
いわゆる旧道は歩行者のスピードに合わせて作られているので
当り前ですが歩きやすく疲れにくい様に感じます
若い時に歩いて旅をしていました
一日に40〜60km歩いていますと
自動車の為に作られた道路(バイパス)は歩行者にとって実に歩きにくい道です
排気ガスが多くて直線が多いため歩いていても
なかなか進んだように思えず達成感があまり味わえません
ところが昔の道は人間の歩くスピードに合わせて作られているので休憩ポイントが作られ人間の感覚に合ったように曲がって作られているので
実に歩いていて疲れにくいです
歩いていると塚、常夜灯、お寺、神社が
良いリズムで現れるので面白いです
日本もそろそろ自動車のスピードからもっとゆったりとした速度を見直すべきかもしれません
ロードバイクでも速すぎるように感じます
八木澤@ラフティング道さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですね、道路の持つ、歴史のにおいやたたずまいは、自転車ならば、より濃厚に、空気感まで味わえるような気がしますね。
manさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
旧道をたどるのも趣きがあっていいですよね。ローマ街道は、その中でも極めつけに古い道ですから、惹かれるものがあります。
おっしゃる通り、ヨーロッパは石の文化ですね。石畳の道は今でも使われていますし、人々の住む建物も、何百年も経つ古いものが、修理され、内装だけ変えるなどして使われています。
日本のような木の建物では地震で倒れたり、火事で燃えてしまいますが、我々の感覚では考えられないような古い時代のものが平気で使われているのがすごいと思います。
日本の石畳は、元々少なかったのでしょうけれど、アスファルトで舗装してしまって残っていないところも多いのでしょうね。
旅人のために並木を植えたり、沿道の人が補修したりして、長いこと保たれてきたであろう旧道を、簡単に廃止し、なくしてしまうのも残念な気がします。
そうですね、自転車用ルートとして観光客誘致に使うなど、なるべく残してほしいものですね。
sharetheroadさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私も何度か歩いたことがあります。花見の季節ですし、観光客も多かったことでしょう。
ちょっと考えられないような事故ですね。
ロードバイク初心者さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
一日に40〜60kmですか。お遍路レベルの健脚ですね。私はそんなに歩いたことは、ほとんどありませんが、確かに国道やバイパスのような道が歩きにくいというのは、よくわかります。
空気も悪いですし、景色も単調で余計に疲れる気がします。一方、旧街道などを歩いて、歩きやすく感じた経験は私にもあります。
おっしゃる通り、今の道路と違って、元々歩くための道だったのですから、違って当然なのでしょう。
ゆったり歩いて楽しい道も残して欲しいものですね。
祇園の町はクルマや人でごった返していた。地面にはチョークの跡が残っているだけ。花束の数が意外と少ないと思った。京都市民(行政、仏教界も)は感覚が麻痺している?いやしょせん地元とは縁の薄い通りすがりの人々に起こった出来事。慰霊碑なんぞ建てられたら迷惑。舞妓さんが何事も無かったかのように目の前を横切ってお茶屋に消えて行った。2012年4月12日、桜の花が満開。無念だっただろう。悔しいよね。
sharetheroadさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
悲惨な事件でしたね。何の落ち度もないのに突然命を奪われ、おっしゃるように無念だったでしょうね。
桜も満開の京都で、まさか、あのような形で命を落とすことになろうとは夢にも思っていなかったに違いありません。
意識もあったようですし、なぜこんな事故が起きてしまったのでしょうか。亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。
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