地理的にはアメリカの南、北米に位置するわけですが、メキシコは中南米の国、ラテンアメリカの国とされるのが普通です。メキシコは、日本の5倍の面積の国土を持ち、1億1千万人が住んでいます。国土の多くが標高の高い高原の国で、乾燥した気候です。
首都はメキシコシティで、メキシコ第2の都市がグアダラハラです。大都市でありながら、スペインの植民地時代の面影を残す古都で、日本の京都と姉妹都市になっています。都市圏の人口は430万ほどですが、人口密度は東京の1.7倍もあります。

そのグアダラハラでは、経済の発展や人口の増加に伴いクルマの急増が問題になっています。なんと、一日あたり350台も増加していると言います。当然渋滞も激しく、都市部のクルマの平均時速は18キロにまで落ちており、道路建設が追いついていない状態です。
首都メキシコシティは、大気汚染が酷いことで有名です。高い山に囲まれた盆地のような地形になっており、空気が滞留することも要因です。グアダラハラでも、クルマの増加で大気汚染が進んでいます。特に気候の関係で冬場の数日間は切迫したレベルに達すると言います。
渋滞する都市部では自転車での移動が有効です。しかし、クルマが増えていることで、道路での危険も増しています。ほとんど自転車レーンなどが無いグアダラハラでは、自転車に乗る人にとって厳しい状況にあります。地方政府には市民から自転車通行環境の改善が要望されて来ましたが、一向に進んでいません。
この地方政府の怠慢とも言える状況に、一部のグアダラハラ市民は業を煮やし、立ち上がりました。役所の仕事には期待できないと、自分たちで自転車レーンを整備してしまおうというのです。道路にペイントを施し、自分たちの手で自転車の通行の安全を確保しようというわけです。
このグループの行動に対し、多くの市民が支持表明していると言います。本来は市当局によってなされるべき整備ですが、市が行うのを待っていては、いつまで経ってもラチがあきません。自分たちの安全は、自分たちの手で守る必要に迫られているということを理解しているのです。
グアダラハラは高原にあるため、寒すぎず暑すぎず温暖な気候です。乾燥しているので雨も少なく、自転車に乗るには適しています。そして地形的にも平坦です。市民は、世界でも有数の自転車向きな都市になりうると考えています。そのためにも自転車に優しい都市にしたいとの気持ちがあるのです。
以前アメリカで、行政当局の規制見直しに反発した一部の市民が自転車レーンのラインを勝手にひき直すというニュースが報じられたことがあります。そのケースでは、当局と市民の間にいろいろ経緯があったようです。しかし一般的には、地域の住民が自転車レーンを自らの手で整備するなんて、そうある話ではありません。
ただ、メキシコでは同様の行動がメキシコシティなどでも報告されています。首都での動きに触発されて、飛び火した部分もあるのでしょう。メキシコシティの事例では、議会や市当局が約束した整備距離や期限が守られなかったという事実があり、当局も市民の行動に対し、強く出れない事情があったようです。
日本の多くの都市でも、車道での自転車が危険にさらされているケースは少なくありません。近年、自転車走行空間の整備、充実が言われていますが、実際の整備は、ごくごく一部に限られており、全体から見ると微々たる割合です。その拡大は遅々として進みません。それでも日本では、ちょっと考えられない行動です。
もちろん、誰もが道路に勝手にラインをひき始めたら収拾がつかなくなります。いくら道路が市民の財産、公共財であり、市民の安全が優先されるべきとは言え、道路での秩序というものもあります。日本でこんな行動をとったら問題になるのは間違いないでしょう。
しかし、日本にとって示唆を含む部分がないわけではありません。それは費用の問題です。日本の自治体の多くは過疎化や少子高齢化で、厳しい財政状況に陥っています。現存する公共施設やインフラの維持、メンテナンスですら予算が足りなくなっているところもあります。
そんな状況で、自転車レーンの整備など、なかなか期待できるものではありません。橋の架け替えとか、上下水道の更新など優先されるべきインフラ整備はいくらでもあります。市民の安全のためとは言え、自転車レーンの整備にはなかなか予算を回せない状況もあるでしょう。
メキシコにおける、自転車レーンの整備費用は1キロあたり約10万ドルです。動画にある2.5キロでレーンを両側に整備する費用は50万ドルかかることになります。しかし、今回市民が実際に投じなければならなかった費用は、わずか1千ドルでした。500分の1の費用で済んだことになります。
住民に自転車レーンのペイントを任せたほうが、よっぽど経済的であり、合理的と見ることも出来ます。市当局は許可を与えるだけ、市民が自主的に自転車レーンを整備してくれます。予算がないため、自転車レーンにまで手が回らないとしたら、この方法は充分検討の余地があるはずです。
国土交通省の調査・試算によれば、日本全国の都市部にある主要な道路のうち、自転車レーンの設置余地のある道路は、相当の割合に上るという報告があります。車道の両端に歩道とは別に余裕があったり、中央部分に余裕があって車線をずらせるなど、すぐにでも自転車レーンが設置できる道路が相当の割合に上ると言います。
つまり、やる気になれば、もっと速いペースで整備が進んでもおかしくないわけです。もちろん、予算の問題だけではないでしょう。行政当局としては、一定のレベル以上の規格で整備したいと思うでしょうし、市民にラインをひかせ、問題のあるものが出来ても困ると考えるに違いありません。
何より、設計を依頼したり、工事を発注するのは役人の権限、利権の源泉であり、それを放棄して、市民の手作りに任せるなんて考えられないに違いありません。しかし、役人の権限や体裁より優先すべきものがあります。日本でも地域によって、住民が生活道路などを手づくりする方式を取り入れているところがあります。
材料費などの実費を自治体が負担し、住民が自ら作業します。そのため、人件費はかかりません。細かい設計もなく、素人の住民の作業ですが、既存の砂利道などを舗装するケースがほとんどなので問題はありません。多少見栄えは悪いかも知れませんが、実用的で必要充分な道路が格安で整備できます。
公共事業による道路は、交通量などで優先順位があります。地元の人にとって切実な道路でも、生活道路はどうしても後回しになります。週末などを使って、住民が手作りすれば、行政に要望しても何年待つかわからない道路がすぐに整備できるのです。作業には、多くの住民が進んで参加しています。
本来、自治体が住民のためを考えるならば、当然取り入れてもいい方法でしょう。この方式、長野県の下条村などが有名ですが、少なくとも全国の60以上の市町村で行われており、少子高齢化に伴う財政の逼迫もあって、こうした自治体は全国に広がりつつあると言われています。
今後、都市部の自治体へもインフラを住民で手作りする動きが広がれば、住民が実費をもらって、自ら自転車レーンのラインをひくような状況が起きないとも限りません。税金を無駄遣いすることなく有効に使うことにもつながりますし、自転車レーンの整備が加速することになるかも知れません。
メキシコでも、メキシコシティやグアダラハラの一部に過ぎず、まだそれほど広がっているわけではないようです。しかし、こうした行動に対し、当局が容認せざるを得ず、社会的にも認知され支持されるならば、多くの地域に広がっていく可能性があります。
日本では、まだまだ自転車の走行空間に対する認識が低く、社会的な認知度も低い状態です。歩道を通ったほうがいいと思っている人も多いでしょう。なかなか、こうしたムーブメントが期待できる状況にはありませんが、インフラの手作り整備の傾向が広がれば、近い将来、案外現実になってくるかも知れません。
連日の暑さにグッタリですが、高齢者以外でも、うっかりしていると隠れ脱水になるようですから、給水には気をつけなければなりませんね。
米国のヨセミテ国立公園の展望台から一般道を自転車で下ってくる時も、自転車で走って良い場所かどうか解らなかったので、事前に地元の人に確認したら、自動車が多いから危ないぞ。とアドバイスされました。しかし、行ってみると、日本の状況からしたら、天国のような自動車の少なさで走りやすい。地元の自転車好きの人から見たら、その道路の状況を、ケシカラン状態だと糾弾するのかもしれませんが、その言葉だけ耳にして、絶対的な状況を判断してはいけないと感じました。
何が言いたいかというと、日本では、このような外国で起きている物と同じ運動の発生を期待するのではなく、外国で、地元の人が糾弾するほど悪いとされている状況のレベルに持って行く活動が必要なのではないかと思います。もちろん、まずは自転車は車両として、車道を走るのが当たり前になること。こんなレベルの活動は、外国では、全く必要のないことであることはもちろん、不思議な活動に見えるでしょうね。