言うまでもなく、人やクルマが通行するためのものですが、この道路を使ったイベントがアメリカ・ニューヨークで行われています。今年も夏に行われた“
Summer Streets”と呼ばれるイベントです。8月の土曜日、3週連続で車道を占有して開催されます。

有名なパークアベニューを通行止めにして、この幅の広い大通りを歩行者や自転車に開放します。ほとんどマンハッタンを縦断する距離が、人々が歩いたり、ランニングしたり、自転車に乗ったり、遊んだりするために使われます。今年も25万人以上という大勢の人で賑わいました。
ランニングや自転車だけでなく、臨時のスポーツ施設が設置されたり、遊具で遊んだり、体操をしたり、思いおもいに楽しめるようになっています。フードマーケットなども設けられ、ピクニック気分でのんびり過すことも出来ます。子供から大人まで、みんなで遊んで楽しむ場が提供されるわけです。
このイベントをプロデュースしているのは、なんとニューヨーク市運輸局(New York City Department of Transportation)です。もちろん大勢の民間のボランティアやNPOなどの助けを借りて、各種のプログラムが企画されるわけですが、役所が主催するイベントなのです。
ニューヨーク市運輸局は、道路をニューヨークの最も価値のある公共の場であり、貴重な財産と考えています。この“Summer Streets”は、1年に1度行われる道路の祭典なのです。人々が遊んだり、歩いたり、自転車に乗ったり、そして「深呼吸する」ために道路を使おうというコンセプトです。
マンハッタンには、ご存知セントラルパークという広大な公園があります。中に広い舗装道路も走っていますから、そこを使っても充分開催可能なはずです。セントラルパークはニューヨーカーの憩いの場所ですし、この種のイベントに相応しい、格好の会場です。
ここを使えば、わざわざ市内の目抜き通りをクルマ通行止めにして使わなくても良さそうなものです。週末とは言え、クルマの通行を止めれば、それなりの影響があるでしょうし、通行止めにするためのコーンや看板を置くなど、手間や経費もかかるはずです。


しかし、道路を使うことに意味があるわけで、だからこそ“Summer Streets”なのです。ふだんはたくさんのクルマが行き交い、端に追いやられている歩行者、自転車、ランナーなどに、思う存分道路を使ってもらうことが、このイベントの目的です。
市民が身体を動かすきっかけにもなります。市民の健康の増進は、医療費などの社会保障予算の低減につながるので、市当局にとってもメリットです。国民の肥満が問題となっているアメリカで、ニューヨーク市は炭酸飲料の特大サイズ容器の販売禁止に踏み切るくらい真剣に取り組んでいる自治体でもあります。
この機会に自転車に乗ってみようという人のために、無料でレンタルしたり、修理サービスも無料で提供しています。ニューヨーカーの市内の移動に、より環境負荷が小さい、いわゆる持続可能な手段の選択を促す、すなわち自転車の利用を促進する意図もこめられています。
ちなみにニューヨーク市は、ふだんから自転車レーンなどの自転車環境の充実にも積極的に取り組んでいます。ビルの所有者に駐輪設備の設置を促すため、税制上の優遇策を打ち出すようなことまで行っています。これに伴って、ニューヨークでは自転車利用者は急拡大しているのです。
この“Summer Streets”、以前取り上げた“
Ciclovia”をはじめとする、世界の同様のカーフリーのイベントを見本にしています。多くの道路がクルマに占有され、渋滞し、大気を汚している点は、ニューヨークも例外ではありません。クルマによって生身の人間が隅に追いやられていることへの問題提起でもあるのです。
考えてみれば、古来より道路(道)は、人々が集い、交流するコミュニティの場でした。人々の往来に伴って「市」、マーケットが出来たり、宿場が形成されたり、大道芸人や辻説法、茶屋や駕籠かきまで、多様な商売も生まれました。道は街の中心であると共に、道の賑わいが街の活力になってきたと言えるでしょう。
道路がクルマに占有されるようになったのなんて、歴史の中ではごく最近のことです。それまで人が歩いたり、立ち話をしたり、遊んだり、憩いの場として賑わっていた道が、いつの間にかクルマのためのもののようになり、効率重視でクルマ優先が当たり前のようになってしまいました。
クルマが通るようになる以前は、歩行者やせいぜい人力車とか馬車、荷車のような低速のものばかりだったので、大した問題も起きず、まして人が死ぬような場所ではありませんでした。それが、今では日常茶飯事として交通事故が起き、人々が亡くなっています。
もちろん、私たちは移動や流通などの面で、直接間接にクルマの恩恵を受けています。単にクルマは悪だとか、排除せよなどと言うつもりはありません。しかし、あまりにクルマ優先が当然になってしまって、人命や人々の生活環境が軽視される形になっていないでしょうか。
“Summer Streets”や“Ciclovia”はそんな現実を思い出させるイベントでもあるのです。これらは一時的なカーフリーですが、ヨーロッパなどでは、都市の繁華街や住宅地などの道路を歩行者専用にしたり、歩行者優先にして、クルマには最低限の通行、最徐行での通行しか認めないようなところも出てきつつあります。
日本でも、道路はコミュニティーの場、人々が交流したり憩う場どころか、命を落とす場になっています。今年は特に、通学路で児童が犠牲になる痛ましい交通事故が目立ちました。これを受けて、関係省庁や自治体は、通学路の安全確保に乗り出していると報じられています。
現実問題として、危険な通学路に歩道を設置したり、ガードレールを取り付けることも急がれるべきでしょう。ただ、歩道があったりガードレールがある場所でも事故は起きています。無謀な運転をしたり不注意なドライバーは後を絶ちませんし、道路設備だけでは必ずしも防げるとは限りません。
道路が街の中心、コミュニティーの中心として発達してきたため、集落の中心を貫いていることも多いと思います。渋滞の抜け道として、通過するだけのクルマが住宅地の細い道を猛スピードで走り抜けるような例も少なくないでしょう。クルマがどこでも自由に通行しすぎではないでしょうか。
道路の構造を見直し、安全性を高めることも必要でしょうが、そもそもクルマを過度に優先させていることについて、見直してみることも重要だと思います。多少不便でもクルマは迂回させ、歩行者優先にする区域、人命最優先にする道路を指定していくようなことも考えるべきだと思います。
私はクルマが走っていなかった頃の道路は直接知りませんが、想像するに“Summer Streets”のような、お年寄でも安心して歩け、子供達の笑顔があふれる場だったのではないでしょうか。可能な範囲で、そんな道路を増やしていくべきではないかと思います。
まだ選択肢が多すぎの感がありますね。潰しあいをするくらいなら、もっと一緒になってしまったほうがいい気もしますけど..。