ペダルをこいでいる時、どんなことを考えていますか。
何か気になっていることが頭にあったり、愚にもつかないことを考えていたりすることもあるでしょう。あるいは何も考えていないかも知れません。ケイデンスや、ペダリングの左右のバランスを意識することはあると思いますが、次にどちらの足でペダルを踏もうかと考えている人はいないはずです。
自転車に初めて乗った子供ならいざ知らず、常に右、左、右などと考えながら足を動かしている人はいません。もちろんべダルによって、自然と左右の足が交互に上下するようになっていることもありますが、いちいちどちらの足に力を入れようと考えなくても自然に足が動きます。
ペダリングに限らず、歩くにせよ、走るにせよ、いちいち出す足を考えていたら大変です。こうした基本的な運動は、何も考えなくても身体が動きます。馬でも犬でも同じだと思いますが、考えて足を出していたら、速く走ることは出来ないでしょうし、速くなったら足がもつれて倒れてしまうに違いありません。
一度乗れるようになると、例え何十年も乗らなくても自転車に乗れるのは、身体が覚えているからと言われます。こうした「身体が覚える」運動や動作は小脳の働きと言われていますが、歩行のような基本的な動きは、さらにもっと根幹的な部分が関与していると考えられています。
こうした仕組みを、リハビリに生かそうという発想から新しい器具が開発されています。
株式会社TESSというベンチャー企業が開発したチェアサイクルです。足こぎ車イスとも呼ばれています。座ってペダルをこぐ自転車、もしくは、ペダルを取り付けた車イスです。
手で車輪を回さなくても、ペダルをこぐことで移動することが出来る車イスです。手より足を使ったほうが力が出ます。一見、理にかなっているようにも思えますが、そもそも車イスは足が不自由な方が使います。車イスにペダルという組み合わせ、ありそうでありません。
お年寄りの介護や、足腰が弱くなった方が利用する高齢者向けの自転車とは違います。単なる車イスの改良でもありません。これは、脳卒中などの病気やケガなどによって、片側半身が麻痺してしまった人向けの、リハビリのための介護福祉機器なのです。製品名は、
Profhand(プロファンド)です。
どちらかの半身が麻痺していれば、歩行も困難です。片方の足が、いくら動かそうと思っても動かない場合でも、もう片方の足が動けば、足こぎ車イスのペダルを回せる可能性があります。このことが、動かない方の足を動かすリハビリになるというのです。
片足だけでこぐ形になるように思えますが、実はそうではありません。動かないほうの足の筋電図にも反応が現れ、動かせという指令が届いていることがわかると言います。もちろん最初は左右の筋力の違いが大きいですが、この車イスでペダルを毎日こぐことで、その差が縮まっていくと言うのです。
もちろん個人差はあるでしょうが、このチェアサイクルを使ったことで、一人で歩くことが難しかった人の動かないほうの足の機能が改善し、杖を使って歩行ができるまで回復する人もいるそうです。これは、リハビリの効果という点でも画期的なことだと言います。
通常、麻痺が起きてから、ある一定の時期を過ぎると、リハビリの効果、機能の回復は頭打ちになると言われています。しかし、この足こぎ車イスは、そのリハビリの効果が頭打ちになった後に使用しても、めざましい効果が得られる場合があるというから驚きです。
これまでのリハビリのように辛くないのも特筆すべき点でしょう。足こぎ車イスに乗ってペダルをこぐだけなので、辛いどころか楽しい、ずっと乗っていたいなどと話す利用者も多いそうです。少し移動するにも、もどかしい思いだったのが、ラクに速く移動できるという点も喜ばれる部分でしょう。
この足こぎ車イス、元々は東北大学の半田康延博士のグループが開発したものでしたが、大きくて取り扱いも困難で実用的ではありませんでした。それを、たまたま知った鈴木さんが東北大学と連携してベンチャー企業を立ち上げ、このチェアサイクルの実用化にこぎつけたのだそうです。
最初は、電気刺激によって足の筋肉を動かし、ペダルを回させようという研究の一環でした。しかし、配線や電源供給などに難があり、実用化しませんでした。その車イスの配線を外したところ、歩行の困難な患者がペダルをスイスイこいでしまったという偶然から生まれたのだそうです。
動かない足には、筋肉を動かせという脳からの指令が届きません。当然、筋電図にも反応は現われません。ところがペダルをこぐと、単に動かない足が動かされるだけでなく、少しずつ力が入り、筋電図にも反応が現われるのです。どこからか指令が来ていることになります。
これは、脳にいく手前、脊髄に歩行するためのパターンを生み出す中枢があるからではないかと見られています。脊髄内に歩行パターンを生み出すような神経の回路が存在しているという見方です。この回路が歩行にどれだけ関与しているかは専門家でも意見がわかれており、まだ解明されていない部分です。
しかし、現実に医者や患者自身が驚くような成果が出ています。脳からの指令以外に、何らかの仕組みがあるだろうことは、私たちが何も考えずにいてもペダルをこげるという実体験からも類推できるところでしょう。また、原始歩行なども、その存在を示唆しています。
原始歩行というのは、原始反射とか新生児反射と呼ばれるものの一つで、脊髄や脳幹にある反射中枢による赤ちゃんの反応です。新生児を抱いて、床に足をつけてやると、まだ歩いたこともないのに、左右交互に足を出すような仕草を見せます。これが原始歩行です。
生まれて、まだ歩くことも出来ない赤ん坊に現われる反射であり、人間は反射的に左右の足を出す機能を持っていることがわかります。ほかにも、把握反射、吸てつ反射、モロー反射、ルーティング反射などの新生児反射があります。成人だと、ヒザの下を叩くと膝関節が伸びる膝蓋腱反射が有名ですが、それと同じ反射です。
ただし、原始歩行は生まれた直後からみられますが、2か月前後で消えてしまう反射です。この原始歩行によってペダルを回しているわけではありません。でも、歩行のために、左右交互に足を出すという動きは、人間の原始的な部分に備わっているらしいことは想像できます。
原理はともかく、病気や怪我などで片側半身が麻痺した方でも、場合によっては大きな回復が見込める画期的な福祉機器であることは間違いなさそうです。片側半身が麻痺した方にとって大きな光明であり、辛いリハビリを楽しいものにする福音となる可能性を秘めています。
椅子に座ってペダルをこぐ形、見ようによっては、リカンベントにも似た形です。小さな力でも効率よくラクに移動できるスタイルです。このチェアサイクル、早足程度のスピードだそうですが、足を使ってラクに移動できる手段としてだけでも重宝することでしょう。
この会社も、チェアサイクルなら長距離でも心地よいサイクリングが可能と紹介しています。サイクリングをしながら、リハビリが出来、筋肉のトレーニングにもなるわけです。なるほど、辛いリハビリが楽しいものになるというのも頷けます。
このチェアサイクル、足こぎ車イスについては、多くのマスコミでも取り上げられ、反響が広がっています。法改正によって、入院の日数が制限されるなどした結果、リハビリが続けられずに改善しつつあった身体機能が退歩してしまう人も出る、いわゆる「リハビリ難民」が問題となる中、これは朗報です。
足が動かず、立つことも出来ない人が、この車イスに乗った途端にペダルをこぎ始めるというのは驚くべき光景です。半身が麻痺して、寝たきりを覚悟せざるを得なかった人が、この車イスで社会復帰し、人生を楽しんでいるという素晴らしい現実があります。
周囲の手をわずらわせなくても移動できるようになることで、本人だけでなく介護する家族にとっても生活の質を向上させる点で画期的な効果がもたらされることになります。そして、何より再び風を切って走ることが出来ることに、大きな喜びを感じる人が多いと言います。
一般的にも、自転車やエアロバイクなど、ペダルを使った運動は、効果的な有酸素運動が行えることで、減量、血行促進、心肺機能強化など、さまざまな形で健康増進に寄与します。また、インナーマッスルが鍛えられるので、転倒を防ぎ、高齢者の寝たきり予防などにも有効です。
いろいろな健康効果が知られる自転車、ペダル運動ですが、ペダルパワーは、病後のリハビリにも顕著な効果を発揮するわけです。今は健康な人でも、将来、片半身が不自由にならないとは限りません。周囲の人がなるかも知れません。ペダルによるリハビリ効果のことは知っておいて損はないと思います。
思いもよらない事故が起きました。まさか天井が落ちるとは..。しばらくトンネルが怖くなりそうです。