自転車を使い捨てない考え方

日本では自転車が消耗品のようになっています。
戦後の高度経済成長期、急激にモータリゼーションが進んだため、クルマと自転車の事故が急増しました。その対策として、緊急避難的に自転車の歩道走行が認められました。しかし暫定的、緊急避難的措置とされたにも関わらず、その後40年以上にわたって歩道走行が漫然と続けられてきてしまいました。
世界の国々を見渡せば、歩道走行は非常識であり、さらにその40年以上にわたる放置、無作為は非難されてしかるべきでしょう。ようやく最近になって警察庁や国土交通省は、自転車を原則車道走行に戻そうとし始めていますが、この間違った自転車行政の残した傷跡は小さくありません。
長年の歩道走行に慣れた人たちが、いきなり車道走行と言われても怖くて出来ないと言うのは理解できます。そもそも道路インフラが自転車の歩道走行を前提に整備されてきた結果、走りにくくなっているのも事実でしょう。クルマのドライバーも自転車は歩道を走るものと思っています。
道路などのインフラにとどまらず、自転車そのものにも大きな影響を与えました。すなわち、日本ではママチャリが圧倒的多数を占めるという市場構造です。日本の大多数の人は、自転車と言えばママチャリだと思っています。でも、それは正しくありません。

日本のママチャリは、歩道をゆっくり走行するために進化してきました。足つき性が良く低速でも安定していますが、重い車体や太いタイヤでスピードが出ません。本来の自転車のポテンシャルが発揮できないため、都市交通の手段とは見なされていません。最寄り駅までのアシか買い物用くらいにしか使わない人が大多数です。
そのことが、自転車を重要な都市交通の手段とみている欧米と違って、自転車レーンなどの交通インフラの整備が進まない背景にもなっています。欧米人から見ると野蛮な歩道走行が当たり前になっていますが、インフラの整備が進まないと、この非常識な状態も一向に解消しません。悪循環です。
自転車の価格は、一般的に車体の重さに反比例します。スポーツバイクがビックリするくらい軽い一方、普通の人の常識では信じられないくらい高価なものがあることに驚く人は少なくありません。逆に言うと、重くてもかまわないママチャリは非常に安く製造できることになります。
このため、中国や東南アジアで製造された粗悪で格安なママチャリが市場を席巻しています。下手をすると、放置自転車として撤去移動された場合、返還手数料を支払うより、手間も含めて新しく購入したほうがいいくらいの安さです。事実、そのように考え、取りに来ない人は大勢います。

歩道走行がママチャリをスタンダードにし、格安ママチャリを増殖させました。そう考えれば、社会問題ともなっている放置自転車、迷惑駐輪の問題も、自転車の歩道走行が遠因となっていると言っても過言ではないでしょう。歩道走行は、日本の自転車環境をガラパゴス化させた諸悪の根源です。
かくして自転車は、あたかも消耗品のように使い捨てにされています。自転車をメンテナンスし、修理しながら乗る人が激減しました。国にもよりますが、ヨーロッパの人が古くて年季の入った自転車を、自転車歴の長さの証として、誇らしげに使い続けているのと好対照です。
格安で粗悪なママチャリは、修理して売ろうにも採算が合いません。新品が格安で買えるのですから当然です。このため、欧米にあるようなビジネスや社会貢献、社会的事業は成り立たちにくくなっています。欧米にはあるのに、日本では成り立ちにくい事業はいろいろあります。

例えば、カナダの“
Cycle Salvation”もその一つです。寄贈された古い自転車を修理して売る事業をしていますが、単なるリサイクルショップではありません。身体に障害のある人や経済的に恵まれていない人に対し、非営利で技術のトレーニングの場を提供し、雇用を創出しているのです。

壊れた自転車を再利用すること、自転車の利用を推進することは環境への負荷を低減することにもなります。リサイクル事業で利益をあげ、福祉と雇用と環境を追求している社会的な事業なのです。これは、修理した自転車が売れる環境、ある程度の自転車の相場価格がなければ成り立ちません。

“
The BicycleAcademy”は、自転車の製造技術を教えています。ワークショップは有料ですが、初めに作った作品はアフリカに寄付されます。スキルを身につけてもらう一方で、本当に必要としている人に自転車を届けるという社会的な事業の側面ももっているわけです。

こちらも、日本では成り立ちにくい事業でしょう。自転車を死活的に必要としているアフリカの人々が大勢いること、それが貧困からの脱出につながること、雇用創出と自立につながることを理解している日本人は少ないと思います。フレームビルダーは、人気どころか職業の存在も知られていないのではないでしょうか。
こちらは、あったら便利と思う人もいると思います。自転車の洗車機です。最近はスポーツバイクに乗る人が増えていますから、一部ではニーズがあるかも知れません。自転車ショップやレンタサイクル店、洗車場やコインランドリーの一角なんかに設置しても面白いかもしれません。価格は約20万円です。
ただ、基本的に自転車を洗う人の割合は、日本ではかなり少ないのではないでしょうか。洗車どころか注油すらしない人、タイヤの空気圧チェックなども含め、全くメンテナンスをしない人が大半を占めていると思われます。便利と感じる人もあると思いますが、あまり需要がないような気がします。
こうした例を見ても、自転車が使い捨てのように使われている日本と海外とでは、自転車に対する考え方に大きな相違があることがわかります。自転車のポテンシャルやその活用のメリットが理解されず、欧米のように、自転車の活用を進めようという声が大きくならない背景にもなっています。
もし、自転車の歩道走行をやめれば、自転車のポテンシャルに気づき、重くて遅い格安ママチャリでなく、いい自転車を使う人が増え、本来の自転車の能力が発揮される環境も整っていくでしょう。歩道走行より、はるかに速く、遠くへ到達でき、渋滞も関係なく、特に都市部では有効な交通手段であることの理解も進みます。
人々の自転車に対する見方、考え方も変わり、インフラ整備も進むはずです。日本でも自転車の活用を進めるべきと考える人が増えるに違いありません。実は、歩道走行の廃止こそが、自転車を使い捨てを含めた日本人の自転車に対する意識、そして自転車環境を変えていくと思います。
ようやくいい陽気になってきて出かけたいところですが、連休は台風の動きが気になりますね。
Amazonの自転車関連グッズ
Amazonで自転車関連のグッズを見たり注文することが出来ます。
Posted by cycleroad at 23:30│
Comments(12)│
TrackBack(0)
この記事へのトラックバックURL
自転車の洗車機が身近にあれば良いなあ
自宅で洗っていますが
(チェーン洗浄等)周りが汚れるので家族からは反対されています
これを設置するなら沢山の人が見られる場所
駅構内、ショッピングセンター内 等
ある程度アピール出来た方が良いと思います
サイクルトレインがメジャーになれば
駅に設置して欲しい
現状だと輪行前に洗いたい
洗車機、いいですね。スペースの問題がなければ自分で買いたいくらい(笑)。個人購入は行き過ぎかも知れませんが、駅などにあれば確かに便利ですね。
自転車に限らず、「モノ」を大切にするって大事ですよね。僕は1970年代に作られたエンペラーをレストア中です。古い自転車は現行の規格と合わなくて色々と大変な面もありますが、職人的に作られた昔のフレーム(クロモリ)の完成度には感銘します。何とか復活させて、自分と一緒に歳をとっていきたいです。
ロードバイク初心者さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
自転車の洗車機があったら、私も便利だと思います。輪行の後、ツーリングの後に洗って保管というのもいいと思います。
ただ、洗車機を使いたいと思うのは、スポーツバイクに乗る人だけでしょうし、全体から見れば僅かな割合でしょう。
人の目に付く場所でアピールするのもいいですが、実際にどれだけの人が自分のママチャリを洗うかと言えば、見込み薄のような気がします。
hyraxさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私もいいと思います。ただ、日本でも普及するかどうか、まして駅などの一等地に設置されるかと言えば、懐疑的にならざるを得ません。
出来て駐輪場などでしょうが、利用する人は一部で、採算があわないような気がします。
スポーツバイクのショップの中には導入を検討するところがあるかも知れませんね。
エンペラーレストア中さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
1970年代ですか。趣味の道具を大切にするのは、どんな趣味でも同じだと思います。長く使いたいと思うのも自然な感情でしょう。
問題は、趣味でない人です。ある意味、自分の命を預けるものですから、しっかりメンテナンスをすべきですし、手をかけていれば愛着もわくのではないかと思いますね。
既存のモータリゼーション産業の雇用や利害関係もあって、
そう簡単には移行できないのでは。
これは住宅や保険産業も同様に関連産業や雇用関係などに
元々流れている莫大なキャッシュフローが急激に
大移動したりすると、産業支援や雇用制度などに柔軟性の出遅れている日本では
色々な経済指標が急変して色々と崩壊するためなのか、
移行するにしても実際には数十年掛けて世代交代を跨いで
少しずつしか変わらない変えられないのではと思います。
国内に流通している自転車はフレームも勿論なんでしょうけど、
シャフト素材辺りの選択肢の格差が極端なのでは。
焼入れ不足のスチールかチタンの2者1択で価格の差も
優に2桁はあるのでしょうから、オートバイ部品の様にその間に
ステンやアルミのシャフトなどもあると、錆びたりせずに長持ちするのでは。
そういった背景にも、中国や東南アジア勢などにコストだけでなく
デザイン面も遅れが出たりして、戦略的に不利になって部品工場と一緒に
産業が塗り替えられてしまって各種部品の品質劣化が進行してしまったのではと。
(当時の自転車技術者が高齢化していた関係なのか、
もしもアパレル車がもう少し進んでいれば或いは・・)
自転車の洗車機、いいですねぇ。
ちょうど自転車を洗える場所がないかと思っていたところでした。
身の回りにちょうどいい場所ってないんですよね。自転車屋さんにもなさそうだし。
料金と使い勝手しだいでは流行りそうな気がするんだけど、需要ないですかね?
ぐぐりすがりさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
現状の歩道走行から、車道走行へ移行するのは、インフラや慣習などさまざまな面があって、確かに簡単ではないと思います。
ただ、既存のモータリゼーション産業の雇用や利害関係に、そんなに影響を与えるでしょうか。
今でも法律上は車道走行が原則になっているわけで、本来の車道走行へ戻していこうというだけです。現在も車道走行している人はいます。
現在、歩道を走行している自転車を車道に移動させるだけで、それほど大きなキャッシュフローの移動が起きるでしょうか。
車道走行になったからと言って、クルマを通行止めにしようとか、自転車で代替しようというのではありません。クルマによる移動や流通は相変わらず必要です。その中で自転車でも済むくらいの移動だったら、自転車にしようかという人が増えるかも知れませんが、その程度でしょう。
都市部では、かえって渋滞が軽減する可能性もあります。
素材や品質の問題等は二次的なことで、人々のニーズが変われば供給側も変わると思います。
cyclehighwayさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かに、自転車の洗車が出来る場所は、ありそうでないかも知れません。
私も便利だし、あっていいと思うのですが、やはりそれはスポーツバイクに乗っている人の一部が思うことであって、全体から見れば、僅かな割合に過ぎず、事業としての採算が合うかと考えれば懐疑的にならざるを得ない気がします。
18日のぐぐりすがりです。補足をしたいと思います。
もしかすると否定的な解釈をされてしまったとしたら
言葉足らずのようでした、申し訳ありません。
歩道走行からの車道走行への移行は着実に進んできていると思います。
簡単には移行できないという意味は、もしも全ての自動車が禁止されて
全ての交通手段が自転車に置き換わったとしたらという例えの意味でした。
業界規模も2桁は違うようですので、もしそういう事になったら
混乱が起きるだろうなと考えていました。
(自転車業界規模参考 http://www.jbpi.or.jp/
自動車業界規模参考 http://gyokai-search.com/3-car.htm)
歩道走行は歩行者側にとっても危険なものでしょうし、
自転車側にとっても危険は勿論、巡航速度も移動距離も狭めてしまうと思います。
都市内での交通手段もそうでしょうし、特に都市部の狭く交通量の多い街道を
どうやりくりして自転車道を確保するのか一つ気になる点でもあります。
交通量を捌ききれなく苦肉の策か2車線幅に無理矢理3斜線を引いた様な街道だと、
以前に記事で紹介されていた省スペース型の側溝でも
自転車道を確保できないのではといったケースの道路もあります。
これも以前に記事で紹介されていたハイウェイが実現できれば一挙解決でしょうが、
予算や法律の壁で今後どうなるのかなと気になります。
もし解決できればこれだけでも交通状況は大きく変わるだろうと思います。
素材や品質は基礎研究などの技術的な問題でもあり二次的なものでは無く、
ビジョンと同様に重要なもので、どちらも両立して
初めて前へ進んでいく力になっていくものだと考えています。
しがないママチャリ乗りさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
クルマの通行は排除し、全て自転車に転換すべきという極端なことを言う人もいますが、私はそれはナンセンスだと思っています。
当然ながらクルマを代替できない部分がありますし、流通などでクルマの機動力を必要とする部分も確実にあります。
やがてクルマが全て自転車に移行するとも思っていません。
クルマでなく自転車でもすむ移動、あるいは自転車のほうがかえって合理的な移動について、置き換えようと考える人が増えていく可能性はあると思います。
もちろん産業的、経済的な面を考えても、自転車への全面代替はナンセンスでしょうね。
「自転車道」は難しいと思いますが、車道の端を「自転車レーン」にすることは、すぐにでも可能な道路がかなりの割合にのぼるという国交省の調査もあります。
自転車レーンですら困難な道路もあるとは思いますが、場合によっては広い歩道を縮小するとか、裏道へ迂回させるとか、方法を探ることは出来るのではないかと思います。
素材や品質を二次的と言ったのは、人々のニーズが安さ一辺倒でなく、性能や快適性、耐久性などに移れば、それに応えた製品が供給させるだろうということです。
素材の選択肢の格差が極端とか焼き入れ不足がどうということは、格安ママチャリの氾濫の問題の本質ではないという意味です。
ここで素材や品質の技術的な面を指摘しているわけではありません。
低価格なら、それ相応の品質なのは誰でもわかることで、もっと自転車のポテンシャルを発揮させることを考えるようになるとするならば、自然と粗悪な製品は淘汰されていくでしょうし、流通しなくなるだろうということです。
ご丁寧に補足をいただき、ありがとうございます。
※全角800字を越える場合は2回以上に分けて下さい。(書込ボタンを押す前に念のためコピーを)