休みの日は、どこへ行くというのではなく、自転車で汗を流すという人も多いのではないでしょうか。近年、スポーツバイクに乗る人が増え、スポーツとしての自転車に対する理解が広がってきています。2020年の東京五輪が決まったことで、ロードレースやMTBなど、自転車競技に対する関心も高まる可能性があります。
オリンピック招致成功をきっかけに、スポーツ庁新設を目指す動きもあります。国民の間にスポーツ熱が高まり、さまざまなスポーツに参加する人口が増えることが期待され、関連産業の思惑も膨らんでいます。オリンピックの影響力に大きなものがあるのは間違いないでしょう。
実は前回の東京オリンピック、日本のスポーツに想像以上の大きな影響を与えたようです。私はリアルタイムで見ていないので詳しくありませんが、前回五輪で国民を熱狂させたのが、女子バレーボールです。決勝のテレビ中継は、歴代の最高視聴率、66.8%という驚異的な数字を記録したことでも知られています。
東洋の魔女と呼ばれた日本代表チームは、精神論、根性論を前面に押し出した厳しい練習を重ねたことで栄冠をつかんだとされています。そのほか、日本のお家芸と言われるレスリングなどでも、いわゆるスパルタ方式の苛酷な練習を耐え抜いたことが好成績につながったとされています。
それまで、第二次世界大戦の敗戦により、軍隊式の鍛錬とか精神力を鍛えるといった方法論は非科学的と敬遠される空気だったと言いますが、オリンピックの熱狂によって見事にひっくり返されてしまったようです。そして、日本の文化も含めた各方面にも大きな影響を与えました。
例えば、いわゆる「スポ根漫画」が大人気になりました。スポ根の元祖、巨人の星をはじめ、アタックNO.1、柔道一直線など、枚挙に暇がありません。テレビでは、青春ものと呼ばれる学園ドラマが流行り、運動部が厳しい練習と根性で勝っていくといったストーリーに人気が出ました。
それ以降の学校教育の場にも、こうした精神論、根性論が大きく影響したのは明らかでしょう。学校の部活で、先輩や先生から厳しい「しごき」を受けた経験のある人は、甲子園大会を目指していた野球部出身者だけではないはずです。東京五輪後どころか、半世紀を経た最近に至るまで、その風潮が影を落としています。
炎天下でも水を飲まずに練習して熱中症で倒れるとか、ウサギ跳びなど適切でないトレーニングを課して怪我をする、風邪をひいても休ませず寒い中の練習を強いて熱を出すなど、今では考えられないような指導が行われてきたことも指摘されています。
そして、この風潮が体罰を正当化し、一部で現在まで延々と続けられてきたことも厳然たる事実です。数多くの学校教育の現場で体罰が横行し、生徒を死亡させる事件まで起きています。大阪の高校で、部活の顧問の教師に暴力的で執拗な体罰を受け、自殺するに至った事件は記憶に新しいところです。
柔道のオリンピック代表選手に対し、日本代表監督が日常的に体罰を行っていたことも明らかになりました。その後も体罰が明らかになる事例が絶えず、学校だけでなく、体罰やパワハラが日本に広く根ざす問題であることが、改めて認識される事態となっています。
もちろん、全てが1964年の東京オリンピックの影響と言うつもりはありません。しかし、新しい東京五輪も決まったことでもありますし、日本代表選手の強化の場から、教育現場に至るまで、体罰や暴力、いじめなどの根絶に向けた努力が求められています。
さて、そうした風潮ですが、学校現場では変化の兆しもあるようです。勝利至上主義で、血を吐き、涙を流して厳しい練習に取り組むといった部活動の姿を変えようという動きが、少しずつ出てきつつあると言います。まだ東京や九州など、一部の学校に過ぎませんが、新しい部活動を模索する動きがあります。
例えば、一つの部なのに、複数のスポーツをする部です。夏は柔道をして、冬はサッカーをするとか、夏はソフトボールで冬はバドミントンといった具合です。全く違う運動をすることで、子供たちの運動能力を、より引き出すことにもつながると言います。
特に中学以下の場合、複数のスポーツをやることで、偏った筋肉がつくことを避けたり、スポーツへの見方が偏ることも避けられるでしょう。それが運動の基礎になり、高校へ行ってからのスポーツにつながることになります。最初から勝つことばかりを求めないことも重要です。
中学くらいまでは、スポーツの楽しさを味わわせることが、スポーツ好きにする効果が大きいと見られています。楽しみながらスポーツをすることで、結果として体幹などが鍛えられ、基礎的な体力作りにつながることもあるでしょう。複数のスポーツが出来ることを、純粋に喜ぶ生徒も少なくないようです。
こうした指導を受けた生徒の中で、全日本で優勝した者もいるといいますから、必ずしも競技能力の向上に不利とは言えないようです。たまたま最初に出会ったスポーツに、結果として限定されてしまうことで、本来持っていた違う運動の素質、能力が開花しないということもあるに違いありません。
文部科学省も、特定のスポーツに限定せずに様々な種目をし、まず楽しく体力アップを目指す「総合運動部」の推進を打ち出しています。運動経験が無いなど、部活に入るきっかけ、あるいは勇気がなく、結果として運動能力が育たない児童もいるはずです。これは将来的にスポーツ人口の底上げにもつながる可能性があります。
夏の間は競技が出来ても、冬は寒さや積雪などで出来ない種目もあります。その場合、冬場は基礎体力の向上を目指して、辛くて苦しい基礎トレーニングをやらされたりします。基礎トレーニングが不要とは言いませんが、これで運動がイヤになる生徒も多いのではないでしょうか。
「体力向上部」という運動部を創設する学校もあります。簡単な運動から、ドッジボールとか山歩きなど、スポーツにもこだわらず、楽しみながら体力アップを目指す部活です。運動に苦手感が強い生徒、体力がついていない生徒でも、まず身体を動かす楽しさを体験することが出来るわけです。
個人的には、サイクリングも取り入れたらいいのではないかと思います。自転車競技を意識する必要は全くありません。タイムを競わず、安全なサイクリングロードなどを使って、楽しくサイクリングをするだけでも、相当程度、体力がつくと思います。
こうした部活は、いきなり運動部に入っても、そのレベルについていけない子供が、生涯ずっとスポーツを楽しむ基礎が出来ず、運動する機会を失うケースを防ぐことに貢献します。運動習慣を育むことで、将来の生活習慣病のリスクや、医療費の抑制につながる点でも意味のある取り組みなのではないでしょうか。
近年、子供の体力テストの成績が過去の数字と比べて悪化していると言われています。こうした部活動を取り入れた学校では、体力テストの結果が、都道府県の平均を上回るなど、一定の成果が出てきているところもあるようです。スポーツ本来の楽しさを知る子供を増やすことには大きな意義があります。
もちろん、運動能力に秀でた生徒が低いレベルに合わせろというのではありません。スポーツですから勝つことも重要です。研鑽を積んで、いい成績を残すことを目指す部活動も、当然必要だと思います。ただ、体罰や、生徒に厳しい練習を課さなければならないといった固定観念は改めるべきでしょう。
種目にもよるのかも知れませんが、無理やり練習させたからといって競技能力が高まるとは限らないと専門家は指摘しています。自主的に練習の必要を感じ、自らの意思で取り組む練習でなければ身につくものでないとは、多くの一流のスポーツ選手が異口同音に語るところでもあります。
運動部と言うと、スポ根漫画さながらに大会を目指して厳しい練習をする、といったステレオタイプなイメージは、生徒も先生も捨てる必要があるでしょう。56年ぶりの東京オリンピックを機会に、半世紀以上にわたった、根性論的スポーツ観を断ち切る必要があると思います。
文部科学省は昨年度と今年度、「運動部活動地域連携再構築事業」という助成金を出す制度を設けました。例によって、名前からは何のことだかよくわかりませんが、部活に新しいスタイルを取り入れようとする学校を支援しようという制度です。
この助成金自体は、あまり利用が広がらず、今年で打ち切られてしまいましたが、文科省も、学校スポーツの場で噴出した体罰には問題意識を持っています。部活に勝利優先の体質があり、それを変えていく必要も感じているようです。同時に生徒・児童の体力向上も懸案です。
私たち大人は、学校関係者以外、直接は関係ないかも知れませんが、国民の体力向上、健康増進は社会の利益でもあります。7年後の東京五輪に間に合うかは別にしても、スポーツの裾野を広げていくことには、さまざまなメリットがあります。社会認識としてスポ根的な認識を捨て、体罰を排除し、楽しいスポーツを広げていかなければなりません。
このブログをご覧いただいている方なら、スポーツというと、どうしても自転車ばかりになってしまうという自転車好きも多いことでしょう。もちろん、それはいいとして、たまには別のスポーツ、場合によっては、今までやったことの無いスポーツに挑戦してみる、楽しんでみるというのもいいかも知れません。
小笠原の新島、果たして残るでしょうか。もし残ったら、名前は「五輪島」なんてどうでしょう(笑)。