発生した1件の重大な事故、交通災害などの影には29件の軽微な事例があり、さらにその裏には300件のヒヤリとしたり、ハットとした経験が隠れているという説があります。聞いたことのある人は多いと思いますが、これが、航空事故とか労働災害などにおける経験則の一つとして有名なハインリッヒの法則です。
ヒヤリとしたり、ハットとした経験、いわゆるヒヤリ・ハットを見逃さず、その原因を探っていけば、大きな事故、致命的な人的災害などを防げる可能性があるわけです。人命が失われるような事故が起きてからでは取り返しがつきません。未然に防げるならば、大きな意味があります。
この考え方、ふだんの自転車生活にも応用できるはずです。街を走っていて、あやうく事故になりかねなかった経験、ヒヤリ・ハットは多かれ少なかれ、誰でも経験しているでしょう。偶発的なヒヤリ・ハットを活かすのは難しいですが、それが特定の場所と結びつくなら、意味を持ってきます。
ふだん街を走っていて、何度か危ない思いをした場所とか、事故になりそうな局面を目撃した場所など、1箇所や2箇所は思い浮かぶのではないでしょうか。ヒヤリ・ハットしたわけでなくても、ここは危険だな、リスクがあるなと感じた場所があるかも知れません。
例えば穴が開いているなど路面が悪いとか、狭い上に見通しが悪いとか、スピードを出すクルマが多い、安全確認せずに飛び出してくる人が多いなど、ちょっと走りにくい場所があるかも知れません。ふだんは問題なくても、そんなポイントを何百回も通っていれば、事故に遭う確率も高まります。
その中のいくつかは覚えており、通る時に注意しているという人もあると思います。私も、いくつかそんなスポットが思い浮かびます。しかし、それはよく通るコースならではの話であり、また、走っていて危ないなと感じた場所を全て記憶しているわけではありません。
よほど問題のある場所、何かの理由で特に印象に残っている場所でもない限り、いちいち危険箇所を記憶しておくのは難しいでしょう。もちろん、今まで気づかなかったけれど、実は危険が隠れている場所などもあるかも知れません。通行頻度も違うでしょうし、危険が把握できない場所はたくさんあるに違いありません。
なかなか、ふだんの自転車生活の中で、ハインリッヒの法則を活かすといっても難しいわけですが、この状況を大きく打開する可能性のある製品が開発されています。頭部を保護するだけでなく、乗り手の脳波を計測することが出来るヘルメット、“
MindRider ”です。
このヘルメット、がぶって走行している間、ずっとサイクリストの脳波をモニタリングします。脳波を計測することで、脳がリラックスしている状態か、何かに鋭く集中して活発に働いている状態かがわかります。つまり、周囲の環境が脳に与えているストレスの度合いを測ることができるわけです。
集中してストレスを感じている状態か、リラックスしているかをリアルタイムで計測したデータを、ブルートゥースによって手持ちのスマホなどに送信し、それをGPSによる位置情報と合わせて記録します。これによって、走行したルート上でのストレスの状態を地図に表示させることが出来ます。
結果として走行中に危険を感じたり、走りにくく感じるなど、ストレスの多い場所が一目瞭然となります。たまたま行き会った人が危ない走行をしていた、なんてことも起こるでしょうが、たくさんデータを蓄積していけば、偶発的な出来事と、常にストレスを与えるスポットの見分けもつくはずです。
さらに、このデータをネット上に公開することが出来ます。他人のデータを閲覧するだけでなく、データを蓄積し、多くの人のデータと重ねることも可能です。このヘルメットの装着者の数や、それぞれの走行データの量が多くなればなるほど、信頼性の高い結果が導かれることになるでしょう。
この地図データを使えば、ストレスの大きい場所、すなわち危険度が高い場所を避けてルートをとることが出来ます。また、自治体や道路管理者が、このストレスの大きい場所の原因を特定し、その改善に役立てることも出来るに違いありません。未然に事故を防ぐ上でも、大きな効果が見込まれます。
あまり危険箇所に神経質にならなくても、より快適でストレスの少ないルートが明らかになれば、わざわざ嫌な思いをする可能性が高いルートをとる必要はありません。これを参考にして、例えば多少遠回りでも通勤ルートを変更するなどの使い方が考えられます。
ハインリッヒの法則によらなくても、よりストレスの低い、安全なルートを選ぶことで、長い期間に事故に遭う確率を下げられるであろうことは容易に想像がつきます。これは、多くのサイクリストにとって福音となる、とても有意義な地図データになる可能性があります。
自分では危険と思わなかった場所でも、多くの人のデータを見ると、実は危険が潜んでいたなんてことも十分考えられます。もちろん、自分がふだん通らないルートでも、データが蓄積されていれば、事前にそれを見て、通行の際に注意することもできるでしょう。
自分だけのデータではなく、多くの人で共有すれば、信頼性が向上します。たまたま、その場所で嫌なことを思い出してしまったとか、いつも連想してしまうなど、参考にならないデータもあるでしょうが、サンプルを多くすることで、そうした余計なノイズは排除出来ます。多くの人でデータを共有する利点です。
逆に、なぜか道行く人が揃って和んでいるスポットがあれば、通ってみたくなるかも知れません。特に危険は無いのに、自分の店の前でストレスを感じる人が多いなら、それは何か別の原因が考えられます。商店主などにも有用なデータが得られる可能性がありそうです。
実際に、脳波がどのように現れるのかについてはわかりませんが、例えばサイクリストが、あまり意識していなかった場所でも、実は無意識に、潜在意識の中で嫌な印象を感じており、実は危険が隠れていることがわかったりするかも知れません。どんな地図が出来るのか、いずれにせよ興味深いヘルメットです。
ただ、有益だとは理解するものの、わざわざこのヘルメットを自分で購入して、積極的に計測しようという人は、それほど多くないかも知れません。もし、そうだとしたら、行政が買い上げて、市民に無料で配ってデータをとってもいいくらいではないでしょうか。
街の安全を向上させ、事故を減らす効果が認められるならば、十分に予算化できると思います。観光資源として育てたいサイクリングロードの安全性を向上させ、魅力を増すような使い方も考えられます。データの価値を認め、ヘルメットを無償配布する企業が出てきてもおかしくありません。
実は、この“MindRider”、
2年前にも取り上げたこと があります。アメリカ・マサチューセッツ工科大学 Media Lab で研究されていた当時は、脳波の状態をヘルメットに取り付けたLEDの色で表示するものでした。研究の基礎段階だったので、周囲がそれを見て、サイクリストの集中状態がわかるというだけでした。
その当時は、何に使うのだろうという感じでしたが、私は、これが道路におけるストレスの状態、走行環境の良し悪しを客観的に判断し、サイクリストのストレスを高める場所を見つけて改善するために使えるのではないかと指摘していました。まさに、その方向に進化を遂げたわけです。
進化して、スマホのアプリを使って地図情報として蓄積することで、機器としての有用性が大きく増したと言えるでしょう。現在、ニューヨークなどで実際に走行実験が行われています。いずれにしても、なかなか可能性を秘めたヘルメットではないでしょうか。
現在、クラウドファンディングで資金調達中ですが、成功すれば15年にも市販される予定と言います。個人的には、とても有意義なプロジェクトだと思いますが、世間一般がどう評価するかは未知数です。わざわざ脳波で道路上の危険スポットやリラックスポイントを調べて何になるのか、ピンと来ない人も多いでしょう。
道路の事故の起きやすい箇所を避け、遠回して安全なルートを通るなんて、面倒でやってられないというサイクリストも多いかも知れません。百に一つ、千に一つ起こるかの事故の可能性を考えて走行するなんてナンセンスと考える人もあるに違いありません。もちろん、そのあたりは個人の勝手です。
個人としては、それでも構いませんが、社会的には、道路の安全性の向上に貢献するはずです。ハインリッヒの法則の考え方のように、危険を予知し、未然に防ぐことは公共の利益に資するわけで、それが社会の進歩だと思います。取り返しのつかない事故を起こさないことの利益を、よく考えてみたいものです。
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終わってしまいましたね。でも世界中の32カ国以外の国は蚊帳の外なわけで、ここまで応援できただけでも良しとすべきかも知れません。