
3歳から5歳くらいで自転車に乗り始める人が多いようです。
多くの人は、このくらいの年齢で3輪車から幼児用自転車に乗り換えたり、補助輪が外れたりして、自転車のキャリアを始めることになります。一方、何歳くらいまで乗るかはまちまちで、中高生までしか乗らない人もいれば、大人になっても使う人、高齢になっても乗り続ける人もいます。
ニューヨークに住む、Lucette Gilbert さんは少し遅く、7歳から乗り始めました。でも彼女は今70代後半、実に約70年にわたって、日常的に自転車に乗り続けています。特に、1980年代に交通ストライキが多発した頃からは、通勤にも自転車を使うようになり、今に至っています。
70代後半の今も、アッパーイーストサイドにある自宅から、ユニオンスクエアの勤め先まで、毎日自転車で通勤しています。周りの人は、「あなた、まだ自転車に乗っているの?」と言います。こう言われることは、リュセットさんにとって不満であり、不愉快なことです。

7歳で乗り始めることに誰も文句は言いませんが、70代後半になって乗っていることに口を挟む人は少なくないようです。もちろん、体力的なことや安全面を心配して、気遣って言ってくれる人も多いのでしょう。しかし、周囲が何と言おうと、リュセットさんは自転車に乗ります。
もし、もう自転車に乗れなくなったら、私の身体が私に忠告します。リュセットさんはそう話します。でも、私の身体は、私に乗れと言っています。私の身体は、それが私のためだと言っています。私のために、いいことだと言っているのです。だから私は自転車に乗っているのだとリュセットさんは話します。
彼女が子供の頃、今のように電話を持っていませんでした。友人と話したければ、友人の家まで会いに行かなければならなかったのです。ちょうど7歳の頃ですが、そのためにリュセットさんは自転車に乗り始めました。そこから、彼女の自転車キャリアが始まったと振り返っています。

自転車に乗るのは、私にとっていいことです。それは環境にもいいことです。そして、それは素晴らしいこと、素晴らしい感覚です。私は自由です。私はどうあっても待つ必要はありません。バスを待つ必要はありません。行きたい場所へ、行きたい時に行くことが出来ます。 そうリュセットさんは主張します。
高齢であっても、自転車に乗ることは悪いことではありません。残念なことに、それを否定的に見る人もいますが、その点について対立したくありません。私がこの年齢で乗っていることを、何か、悪いことをしているかのように見てほしくないし、悪いことではないと理解してほしいと望んでいます。
彼女はまた、彼女たち市民がこの街で、より多くの自転車レーンを使えるようになることを望んでいます。自転車レーンを使って安全に、ルールを守って乗っている限り、人それぞれの自転車生活として、一人ひとりの選択として、誰もがそれを尊重することを望んでいるのです。
日本でも、高齢になると周囲が自転車に乗るのを止めさせたりすることが少なくないようです。高齢になると、瞬時の判断力が鈍ったり、危機回避能力が衰えたり、そもそも体力や筋力が落ちて危険性が高まると考えるのでしょう。その判断が間違っているとは言いませんが、果たして本人のためになるかは疑問もあります。
運動が身体にいいことは論を待ちません。高齢であっても、適度な有酸素運動は、健康の維持に非常に有効です。生活習慣病をはじめとする多くの疾患、認知症や寝たきりの防止にも効果があるという研究結果がたくさん示されています。移動手段であると共に、健康を維持する手段と考えれば、やめさせるべきとは限りません。
高齢になると、どうしてもヒザなどの関節の軟骨が減り、痛みの出ることが増えます。痛いために、歩くのが億劫になり、家に閉じこもりがちになる人もいます。自らの体重がヒザに加わる徒歩より、ヒザに直接体重のかからない自転車のほうがラクという人もあるでしょう。
徒歩と比べて、何倍もの機動力がある自転車は、高齢者にとっても貴重な移動手段であり、生活の道具であるならば、一概に自転車に乗らせないようにすることが正しい判断とは限りません。友達と会ったり、集まりに出かける手段を奪うことは、その人の生きがいや、やる気など精神面、生活の質に大きく影響しかねません。

このブログでは、日本でも自転車レーンをと書いています。車道に自転車レーンと言うと、高齢者は危ないからと除外して、それ以下の世代や若者の話と考える人が多いようです。法令でも、自転車の車道走行の原則の例外として、70歳以上の高齢者が入っています。
しかし、自転車レーンは決して若い人だけのものではありません。自転車に乗ろうと考える、あるいは自転車を必要としている高齢者にとっても、大きな助けになるでしょう。自転車レーンが整備されることは、高齢者の自転車の活用にも大きく貢献することが期待されます。
高齢者に車道は危ないから、歩道をゆっくり走ればいいじゃないかという反論もあるでしょう。しかし、特に高齢になるにしたがって、ゆっくり走るほうが難しいということもあります。どうしても筋力は衰えますから、低速で走ろうとすると、フラつく、不安定になるということもおこります。
だからと言って、スピードを出して歩行者を危険に晒していいということはありません。歩行者を傷つければ問題です。かと言って、自転車から降りて押すのでは、ヒザが痛んだり、かえって負担にもなるでしょう。そう考えれば、むしろ車道の自転車レーンを走るほうが安全、快適ということもあるはずです。

歩道走行が当たり前のようになっている現状では、なかなか車道のほうが安全、快適ということがイメージ出来ない人も多いに違いありません。しかし、一定レベル以上の自転車レーンが確保され、今のようにクルマがすぐ脇を猛スピードですり抜けるのではなく、ゆっくり通行するならば、決して危なくなくなるでしょう。
日本では、自転車は歩道だと思っているドライバーが、まだまだ少なくありません。欧米のように、決して道路はクルマだけのものでなく、クルマ優先でもなく、車道上の自転車を弱者保護の観点で優先するようになれば、自転車レーンを走っていても決して危険とは感じなくなるはずです。
歩道内を走れるならば、車道であっても自転車レーンの中を走れるはずです。すなわち、自転車レーン内の走行の安全が、周囲のドライバーや他の自転車によって保たれるならば、高齢者であっても、安全、かつ快適に走行できるようになります。今感じているイメージは変わるはずです。
いま、先進国の都市では、都市中心部でのクルマの法定制限速度を下げようという動きが出てきています。クルマ優先ではなく、人命を優先するならば、都市部の人間とクルマが近接する地域では、スピードが速すぎるという考え方です。相対的な速度差が少なくなれば、歩行者も自転車の安全性も高まるでしょう。

猛スピードで走るクルマがなくなり、ドライバーが自転車レーンという空間を尊重し、交通弱者の保護、優先という道路交通法の理念を当たり前に尊重するようになれば、車道上であっても、自転車レーンの走行は、今よりずっと安全になり、イメージ的にも安全に感じるようになるでしょう。
東京などでは、地下鉄やバスなどの公共交通が発達しているので、自転車は必要ないと言う人がいます。しかし、高齢者の場合、駅やバス停まで歩くのも、ヒザが痛かったりします。地下鉄やバスを使う移動ばかりでもありません。自転車での移動が重宝、必要という人も少なくないはずです。
電車やバスでの移動より、もっと身近な近所のスーパーや診療所、知り合いの所などに行くのが、むしろ必要な移動であり、そのために自転車、そして自転車レーンが有効になる人も多いはずです。クルマの免許を返上する人、買い物難民になりかねない人でも、自転車レーンは福音になる可能性があります。
自転車レーンがネットワークとして都市に整備されれば、都市を自由に便利に移動できる手段、都市交通として機能するようになるでしょう。一方で、生活に必要な、近くまでの交通手段として自転車を必要としている高齢者にとっても、それは有効なものになるに違いありません。

高齢者は自転車ではなく、バスに乗ればいいことだと言う人もあるかも知れません。もちろんバスも便利な交通手段ですが、渋滞でいつ来るかわからないバスを待つ苦痛は、誰でも同じです。リュセットさんのように、バスを待たなくていい自転車を選ぶ人も多いはずです。自転車インフラは高齢者にも恩恵をもたらすのです。
もちろん、街には自転車を使わない人もいます。でも今、こんなにもたくさんの人が自転車に乗り、街を行き交っているのを見ると、とても心温まると、リュセットさんは語っています。70年のキャリアを誇るベテラン自転車乗りのリュセットさんも、最近のニューヨークの急速な自転車インフラの充実を喜んでいるようです。
テレビでも特番などが組まれていますが、あらためて高倉健さんの存在の大きさが感じられますね。
日本の自転車交通の何が一番問題って、自転車は歩道を走るものだと勘違いしている人が多すぎることですよね。全国7000万台の自転車がみんな車道の左側を走れば、そういうものとして自動車のドライバーにも認知され、むしろ安全になるのは明らかだと思うのですが。
それと、道路は自動車(4輪)が優先だと勘違いしているドライバーが多いのも問題ですね。自転車がエコであるのは言うまでもありませんが、日本の道路は狭く、なおかつ高低差がありますから、自転車や原付自転車を中心に、2輪の乗り物全体の可能性を広げることはとても有意義でしょう。