“Je suis Charlie”、『私はシャルリ』というフランス語です。フランスで起きた、風刺専門誌が襲撃されたテロ事件の後、多くの人がこの言葉が書かれたフラカードを掲げ、フランス全土では370万人がデモ行進しました。「シャルリ・エブド」の最新号は、16の言語に翻訳され、25か国で発行されるといいます。
ふだん数万部の発行部数が300万部、さらに500万部に増刷が決まったとも伝えられています。フランスだけでなく、欧米各国、さらには日本などにもその連帯の輪が広がり、“Je suis Charlie”の言葉を掲げて多くの人が行進しました。
犠牲者への弔意を表わすだけでなく、表現の自由を守ることへの共感、テロに対する憎しみや抗議、暴力に屈しない姿勢、そうしたことへの連帯感や共感が広がっているのでしょう。その気持ちが『私はシャルリ』という言葉にこめられているのだと思われます。
自分とは違う考え方、立場の人に対する批判や風刺をするのは表現の自由の一部です。どんなことがあっても表現の自由を守ろうとする決意にも敬意を表します。暴力で人の命を奪うようなテロが許されるはずがなく、悪いのはテロであることについても異論はありません。
ただ、日本人の感覚からすると、多少の違和感を感じる人もあるのではないでしょうか。わざわざイスラム教の信者が嫌がるような風刺画を載せて、彼らの神経を逆なでするようなことをする必要があるのだろうか、そこまでする意味があるのだろうかという素朴な疑問です。
そこには、フランスという国の成り立ちや歴史的な経緯、文化的な土壌、社会的背景など、いろいろな理由があると思います。移民に対する反感や、嫌悪感といった感情的なものもあるでしょう。日本人とは感じ方、考え方が違うことが悪いわけではありません。
これまでにも、一部のイスラム教徒との軋轢があり、風刺画家などが殺害される事件が起きています。だからといって暴力に屈してはいけない、批判や風刺をやめてはいけないとする決意もわかります。ただ、その風刺を、そこまで挑発的なものにすることに対する驚きを禁じえない人もあるのではないでしょうか。
ペンを掲げて連帯を表明するのはいいですが、一部ではイスラム教のモスクに対する投石とか放火も起きていると言います。テロが批難されるなら、こうした暴力に訴える行為も、もっと批難されるべきでしょう。結果として、宗教間の対立を煽るような形になり、エスカレートしていくのが心配されます。
表現の自由とは別に、大人の配慮というか、自重する部分があってもいいような気がするのは私だけでしょうか。もちろん、そのことでフランスの人たちを批難するつもりはありませんが、こうした事件が起きるような風刺をするのが不思議、素朴に疑問を感じるところです。
以前、東京オリンピックが決まった際に、やはりフランスで日本に対する風刺画が描かれました。福島第一原発の事故の放射能漏れによって、手足が3本になった力士を描き、日本を揶揄するものでした。日本を揶揄するのはいいですが、手足が3本という奇形を描く必要があるのか不愉快に感じた日本人は多いはずです。
震災の被災者の神経を逆なでするような風刺画であり、そこまで酷い表現が必要なのかと反感を感じるのが、日本人からすれば、わりと普通の感覚なのではないでしょうか。同じことを揶揄したり、風刺するにしても、これはセンスがないと思います。怒る人がいるのも当然でしょう。
そうした風刺画を批判するのも、一方の表現の自由です。テロ行為を支持したり、正当化する気は毛頭ありませんが、『私はシャルリ』のスローガンの広がりが、過激な風刺画に対する批判を、口に出来ないような雰囲気にさせている部分もあるようです。
きつい風刺も含めてフランスの文化なのでしょうから、それはそれと認めます。ただ、個人的には、もっと風刺画は笑えるものであってほしいと思います。フランスの風刺画のサイトを見ても、正直あまり面白くありません。絵だけを見てストレートに伝わるものが少ない気がします。
人物を誇張した絵も多く、まずその人を知ってなければわかりません。もちろん、その人が出てくる背景もわかっていなければ理解できません。高度なエスプリが理解できない日本人向けに描いているわけではないと言われれば、それまでですが、少なくとも私には、あまり面白いと思えません。
個人的な好みの問題でしょうが、同じ風刺画でも、他の欧米の国のものは、もっと笑えるものも多い気がします。風刺されている側も、思わず苦笑してしまうようなものが見られます。自転車に関係する風刺画もあります。クルマ社会を風刺するものが多いですが、単純で悪意のない、比較的素直なものが多いと思います。
啓発になりこそすれ、憎悪をかき立てるようなものではないでしょう。ふだん、サイクリストを目の敵にしているクルマ党の人からすれば、腹立たしいもの、気に食わないものもあるかも知れません。ただ、どちらかと言えば、苦笑するくらいのものが多いのではないでしょうか。例として、一部を載せてみます。
このあたりは説明の必要もないでしょう。都市部などにおいては、渋滞するクルマより自転車のほうが、よっぽど速いという場面は少なくありません。それでもおかしいと思わず、クルマにこだわって、ストレスを溜めている人たちを揶揄するような風刺画は多く見られます。
最近はガソリン価格が下落していますが、高いガソリン代を払ってクルマを使うことに対する風刺です。海外では、緊急の時にガラスを割って、中の消火器などを取り出すようになった箱が壁にかけられているのを見ます。それを知らないと、ちょっと意味がわからないかも知れません。
アメリカでは、1ガロン4ドル以上というのは、相当高い価格です。
「俺は、温室効果をボイコットしているんだ。」
「このマークは自転車レーンの印だと思うんだけど..。」
「違うよ、これはサイクリストが押しつぶされた場所を示しているんだ。」
「くそー、また道路は、終わりかよ。レーンを電車と共有するのはイヤなんだよ。」
クルマ用の道路が急に終わりになって、列車の線路と合流するなんて、ありえません。これは、自転車レーンの整備のことを皮肉っているのです。
これは風刺画とは少し違うかも知れませんが、内容は痛烈な風刺です。左上は都市の地図、右上はクルマや歩行者が行ける場所、左下は、『彼ら』がサイクリストが行きたいだろうと考えた場所、右下はサイクリストが実際に行きたいところです。
「ジョニー、見なさい。彼の頭は無傷よ。自転車に乗っている間は、常にヘルメットをかぶりなさい。」
咳をしてゼーゼーいっている惑星に、医者と思われる星が言っています。
「60億のそれらにコレを使ってから、また朝電話しなさい。」
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私も今回のテロ事件を受けて、犠牲者への弔意も含めて暴力の批難や、批判や風刺を含めた表現の自由の大切さを訴える行動に共感を感じないわけではありません。ただ、個人的には、風刺画は宗教や民族間の対立の先鋭化につながるものでなく、もっとウィットやユーモア、そして笑いがあってほしいなと思います。
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