街乗りやスポーツ、通勤や通学、いろいろな用途によって自分の好きなタイプを選べますし、サイズも自分にあったものが買えます。たくさんの中から乗りたい一台を選んで、誰でも自由に乗ることが出来ます。そして、好きな乗り方をすることが出来ます。
私たちは、そのことを当たり前のように思っています。乗るのも乗らないのも自由で、自転車に乗ることに対しては、特に何か考えることはないかも知れません。しかし、中には自転車に乗れること、そのこと自体に特別な感慨を持っている人がいます。
Michael Trimble さんは自転車に乗ること自体が簡単ではありません。彼には生まれつき、両腕がないからです。ふだんの生活では、足を使って、なんでも器用にこなしますが、普通の自転車に乗るのは無理です。ペダルはこげても、ハンドルを握ってコントロールすることが出来ないからです。
彼は、ソビエト時代のウクライナで生まれました。チェルノブイリの原発事故の影響による先天性欠損症のため、生まれた時から両腕がありませんでした。孤児院で育った彼が、アメリカのピッツバーグに住む夫婦に養子として引き取られたのは、彼が9歳の時でした。
アメリカへ渡り、その後、全寮制の学校に通っているとき、初めて自転車に乗りました。学校の体育の先生が、古い自転車のハンドルに、金属のパイプを取り付けてくれたのです。彼は18ヶ月間、その自転車に乗り続けた結果、自転車に恋をしたと語っています。
大学へ進学し、政治学の学位をとって卒業した後も、自転車に乗りたいと切望していました。しかし、在宅で勤務できる仕事を見つけ、一人で暮らすようになってからも、それは簡単には実現出来ませんでした。彼が乗れるような自転車が見つからなかったからです。
27歳になって、Michael Brown さんという一人のフレームビルダーと出会い、親しくなったことで道が開けました。ブラウンさんが、試行錯誤した上で、トリンブルさんが乗ることの出来る自転車を開発してくれたからです。特殊な形状のハンドルを取り付けた自転車です。
かつて体育の先生が金属パイプを取り付けてくれた形がベースとなりました。それを、いかに操作しやすくし、上手に操れるようにするか、学校の敷地内ではなく、公道上でも問題なく走行できるようにするか、といった点についてブラウンさんの工夫や技量が問われました。
ただ金属パイプを取り付ければいいというものではありません。ハンドルを容易に操れる一方で、安定してまっすぐに保てなければなりません。さらに、トリンブルさんが安定してサドルに乗っていられることも、ハンドルの重要な役割なのです。試行錯誤に2カ月以上かかりました。
長年の夢だった自転車に乗ることが実現したとき、トリンブルさんの顔からは笑顔が取りされないくらいだったとブラウンさんが語っています。今では、一日に10マイルも走れるくらいになりました。いまだに自転車に乗る時は、周囲から多くの注目を集めてしまいますが、彼は幸せをかみしめていると話します。
トリンブルさんは、足を使ってなんでもこなします。着替えや食事など日常の動作だけでなく、コンピューターのキーボードも足で打ちます。足で髪を切ることも出来ますし、ブレンダーを使ってアーモンドミルクを作るこだって出来ます。生活上のあらゆることをこなしています。
さらに、この新しい自転車のおかげで、日常的に自転車に乗ることまで出来るようになりました。切望していたこととは言え、ただ自転車に乗るためだけにも練習が必要ですし、いろいろ困難もあるでしょう。両腕のない彼にとって、自転車に乗ることは容易なことではないはずですが、それも着実に克服しています。
トリンブルさんの夢は、人を啓発するような演説者か政治家になることです。克服しがたい状況があっても、意志の力で何でも成し遂げられることを示すことで、他の人たちを触発し、奮起させたいと望んでいます。そのために貢献したいと考えているのです。
たしかに、今は何でも器用にこなしていますが、身の回りのことが出来るようになるまでだって、その一つひとつが苦労の連続だったに違いありません。その困難を乗り越えた経験から、ほかの人にも、困難は克服出来るということを伝えたいという気持ちがあるのでしょう。
自転車に乗ることに限らず、私たちがふだん、何かが出来るということに、何の疑問も持たないこと、出来るのが当たり前のように思っていることは、身の回りにたくさんあるはずです。そして、何かのきっかけで出来なくなった時、当たり前ではないことに気づいた時、そのありがたさに気づくことになります。
身の回りの出来ることだけでなく、食べていけること、文化的な生活が出来ること、戦争に巻き込まれず平和に暮らしていられること、そうした基本的なことも当たり前でないのは、世界のニュースを見れば明らかです。そうした、ふだん気づかないでいる当たり前のことにも感謝できるようになりたいものです。
副操縦士の病状や絶望の原因はともかく、結局、乗客が道連れにされるのを防げないというのはショックですね。
Posted by cycleroad at 23:30│
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