移動手段である以上、どこかに駐輪するのは避けられません。しかし、それが鉄道の駅前などに集中すると迷惑駐輪、いわゆる放置自転車の問題が起きます。1台の駐輪がさらなる駐輪を誘発し、通行の邪魔になったり、いざという時の消防や救急活動の妨げになるなど、問題をひきおこします。
当然ながら、私も迷惑駐輪は問題だと思いますし、その肩を持つつもりはありません。実際に通行の支障となっている自転車を撤去移動するのも仕方がないと思います。自転車乗りだからと言って、迷惑な駐輪やマナー違反を擁護するものではありませんが、撤去する自治体のほうにも問題がないわけではないと思います。
例えば、マスコミが、どこがワーストなどと報道するためか、放置自転車の撲滅に躍起となり、徹底的な撤去・移送を行なう自治体があります。ワーストを返上すればいいというものでもないでしょうし、放置自転車の撤去そのものが目的になってしまっているように見えるのも疑問です。
そもそも、放置自転車と言うと、いかにも無責任なイメージがありますが、本当に放置して、所有する意志を放棄したものは、ごく一部でしょう。多くは、一時的に駐輪して、また帰りに使う人がほとんどだと思います。つまり、それだけ駐輪のニーズがあることになります。
もちろん、撤去移送されれば、平日に取りにいけないとか、保管料などをとられるので、新しい格安ママチャリを買ったほうがいいなどの理由で、取りに行かない人もいるでしょう。ただ、それも撤去されなければ継続使用していたわけで、捨てる手間を省くために、無責任に「放置」された自転車はごく一部のはずです。
つまり、迷惑な駐輪方法は問題ですが、市民の駐輪ニーズが多いのも事実でしょう。それを放置自転車はマナーの問題、放置自転車イコール悪として、放置自転車の撲滅そのものが目的化してしまうため、駐輪のニーズということに意識が行かない場合があるように思うのです。
本来自治体は、市民のニーズに応えるのが仕事のはずです。地方自治の基本として、住民の代表である議会や首長、そして役所の役割は、住民の利便性を高め、必要とされる住民サービスを提供することです。迷惑駐輪を敵視するのではなく、住民サービスの不足と捉える必要もあるのではないでしょうか。
その意味からすれば、迷惑駐輪の撤去ばかりに精を出すのではなく、駐輪ニーズに応えるべく手を打つのが本来求められていることです。それを迷惑駐輪に長年、手を焼いてきて憎さ百倍とばかり自転車を目の敵にし、撤去移送にばかりに力を注いでいるように見える自治体があるのが残念です。
徹底的に撤去移送するその費用も結局、市民や市内の事業者にいくことになります。手を緩めたら元の木阿弥ですから、将来にわたって、いたちごっこは続くのでしょう。詳しい事情は知りませんが、そこには何か利権があると勘ぐられてもおかしくないほどの執着に見えるところも実際にあります。
最初は迷惑なものを撤去するだけだったのがエスカレートし、駅前から離れ、特に邪魔になっていない場所、これまで駐輪されていたスペースを次々とつぶし、勝手に駐輪している自転車を徹底的になくそうとする自治体もあります。勝手に道路や公共のスペースに駐輪するのはけしからんということなのでしょう。(注:写真と本文は関係ありません。)
一方で有料の駐輪場をつくり、そこへ駐輪しろという理屈です。しかし、往々にして駅から遠く、おまけに有料なので、ほとんど使われない例が多々見られます。役所にも地価などの関係から事情はあるにせよ、有効に機能していないのは明らかです。自治体が駐輪させたい場所と市民にニーズには乖離があります。
つまり、見ようによっては、駐輪できるスペースを片っ端から潰して、かえって迷惑駐輪を増やし、一方で移送撤去を強化するというマッチポンプ的な形になっているところがあります。やっていることがチグハグです。これが、住民サービスの向上でしょうか。なぜ邪魔にならない駐輪場所までつぶすのでしょうか。
不便な駐輪場をつくっておきながら、例えば下の記事、「駐輪場が約1000台分もあるのに、好きなところに自転車をとめてしまっている」というのは、いかに住民の立場に立って考えていないかを端的に表わしています。利用者が好きなところにとめると批難するのではなく、利用される駐輪場をつくるべきです。
放置自転車をなくそう 千代田
千代田区の秋葉原駅周辺で12日、放置自転車の防止を呼び掛けるキャンペーンが行われた。駅前の路上に放置された自転車やミニバイクの台数を調べた都の2014年度まとめで、秋葉原駅が都内最多になったためだ。
近くの集客施設の事業者や神田署などから約50人が参加。石川雅己区長は「駐輪場が約1000台分もあるのに、好きなところに自転車をとめてしまっている」と語り、官民それぞれが放置防止に努力する必要性を挙げた。
この日は来街者らに周辺の駐輪場マップを配布。11日から2日間で、約140台の放置自転車の撤去も行ったという。都の調査結果を受けて、区は行政や集客施設、鉄道事業者らが参加する対策会議も今月中に開き、既存の駐輪場利用を促す方法などに関して協議することにしている。(2015年4月13日 東京新聞)
どうしても迷惑なものは撤去移送が必要としても、それだけでは、駐輪と撤去のいたちごっこです。根本的に解決するなら、便利な駐輪場の設置が必要です。すぐには設置出来ないなら、歩道上に駐輪スペースを設けるなど、方法はあるはずです。国も道路法の施行令を改正し、歩道上での駐輪スペースの確保を認めています。
実際、そのようにして駅前の収容台数を増やしている自治体も多いと思います。しかし、駅前広場や、駅近くの歩道などにスペースがあるのに、駐輪スペースをつくるどころか駐輪禁止地区とし、駅周辺から、駐輪された自転車が一台も無くなるまで、撤去移送を徹底して行なうことに、無理はないでしょうか。
そこには、目障りな迷惑駐輪は徹底的に排除し、街の景観を良くするという意識もあるようです。街角や歩道上の駐輪スペース、駐輪機にきちんと駐輪されているのであっても我慢がならないのでしょう。しかし、街の景観と住民の利便性とを比べ、景観をとるという住民の意思が示されたという話は聞いたことがありません。
中には、「市民は自転車に乗らないで、歩きましょう。」と堂々とホームページでアナウンスするところもあります。市民が選んで自転車を使っているのに、この上から目線は何なのだろうと思いますが、利用者には、迷惑駐輪という後ろめたい部分があるためか、表立った不満の声は上がっていないようです。
役所の独善、あるいは思い込み、自転車に対する偏見や不当な嫌悪、クルマ優先の固定観念、その他いろいろあるのでしょうけれど、どうも駐輪対策が迷惑駐輪排除に特化し、チグハグな感じがするところがあるのは否めません。結果的に迷惑駐輪はなくなりません。
自治体自ら、迷惑駐輪が増えるような駅前整備を行い、一方で移送撤去には莫大な予算をとっています。これでは、問題の解決に向かいそうには見えません。むしろ、こんなに予算があるなら、もっと便利な駐輪場の整備も可能に思えます。行政は利権や権限、予算を維持するため、迷惑駐輪が無くなっては困るかに見えてしまいます。
利用者が増えて、駅前の駐輪需要への対処に困るのは、日本だけではありません。自転車先進国として名高いデンマークのコペンハーゲンでも、駅前の駐輪需要が増え、新たな駐輪場の設置構想が持ち上がっているようです。実際の整備がどうなるかはわかりませんが、この考え方、コンセプトデザインは参考になります。
線路上の空間に、駐輪場を備えた、いわば自転車用のエントランスを設置するという考え方です。駅前どころか駅の上ですから、自転車で駅に乗り入れるようなイメージです。そこに駐輪し、そのまま鉄道の駅にアクセスできる自転車利用者専用の入場口です。これは便利そうです。
駐輪スペースだけでなく、メンテナンスや修理を頼めるサービスステーションも設置する構想です。もちろん、専用のアクセス通路が整備されます。展望スペースがあったり、植栽が施されたり、ちょっとした憩いのスペースもあります。単なる駐輪場でなく、自転車の駅としても機能するでしょう。
これだけ便利な場所に、リーズナブルな料金で駐輪できるのであれば、自転車利用者は黙っていても使うに違いありません。駅前の駐輪は、撤去・移送しなくても、自然とここに集中することになるでしょう。もちろん建設費はかかりますが、完成後に莫大な撤去移送費は必要なくなるはずです。
駅にとっては自転車で来る人もお客様です。駅前にバスのロータリーをつくったり、タクシー乗り場を設けたり、自家用車用に駐車場を整備するのと同じように、自転車で来場するお客様の便宜を図るのは、当然と言えば当然です。自転車でなく歩いて来いなどという上から目線はありません。
行政にとっても、これぞ住民サービスであり、将来にわたって撤去移送費を垂れ流し続けることもなくなります。遠くて不便な駐輪場を設置して、結果的に使われないものをつくるなら、黙っていても利用される、しかも市民に喜ばれる施設をつくったほうが、多少高くても、結果的に有効な予算の使い方となるでしょう。
ニーズがあれば、レンタサイクルなども考えられます。住民だけでなく、観光客やビジネス客なども引き寄せ、人の移動や周遊を促し、地域の経済にも貢献する可能性があります。自転車の利用率が高いコペンハーゲンでは当然の考え方なのかも知れませんが、このような発想を日本でも取り入れるべきではないでしょうか。
日本も、自転車の利用率の高さでは世界有数です。鉄道の駅には、駅前にあふれるほど、自転車で来る人がいます。いくら撤去・移送しても、いたちごっこであり、問題の解決にならないのは明らかです。ならば、撤去・移送しないで済むようにするのが当たり前と言えば当たり前なのではないでしょうか。
駅によって立地が違いますから、具体的な方法はいろいろでしょう。ただ、現に駅の改札口などがホームの上にある駅も多いですから、線路の上空を利用できる駅は少なくないと思われます。初期投資はかかりますが、延々と撤去・移送に莫大な費用をかけることを思えばリーズナブルだと思います。
鉄道事業者も、駅ナカの商業店舗ばかりに力を入れるのではなく、もっと利用者サービス、特に自転車での来場者に対する利便性の向上に力を入れるべきではないでしょうか。迷惑駐輪のほとんどが駅の利用者と推測されることを思えば、公共性の観点からも、周辺の迷惑駐輪の解消に協力すべきでしょう。
駅前にバスやタクシーのロータリーがあったり、地下駐車場があったりすることを思えば、駐輪施設がないのは駅の機能の不備が見過ごされてきたとも言えるでしょう。自転車と鉄道の乗り換え機能の強化を図れば、自ずと迷惑駐輪は解消に向かうはずです。
鉄道の駅に自転車向けのエントランスを整備する、あるいは自転車にとっての駅としての機能を強化するという考え方は、日本でも積極的に取り入れるべきではないでしょうか。未来永劫に続きかねない迷惑駐輪の問題を根本的に解決するため、「無駄な駐輪場の整備」から一歩踏み込むべきではないでしょうか。
ゴールデンウィークも終わりました。まれにみる晴天率だったようですが、終わってしまうと一抹の寂しさが..。
まさに自転車利用者と潜在的な自転車利用者の気持ちを代弁して下さった記事であり、すべて市民の利便向上と街の魅力を高める役を担う担当者方々にとっても、考えさせられる記事であったことでしょう。
放置自転車の数が多ければ多いほど、それだけ街の潜在的な魅力があるとも言える面がある、というのは、まさに、といったところだと思います。住み良い便利な街ほど、自転車が便利に使えるものですからね。
自転車利用者は、排ガスも騒音で街を汚損させず、緊急車両の妨げにもならない無料で健康的な移動手段である自転車を使い、使わなくて済んだ公共交通費のぶん、店での買い物に余分にお金を落として経済活性化を担うという、本来、もっと尊重されて当然の層でもあります。
なのに、不当な自転車弾圧迫害、自転車憎しの偏ったやりかたをして自転車を排除しようとし、街を窮屈なものにして魅力を落とす間違ったやりかたに走ってしまう地域がいかに目立つことか。
中心市街地の人間は「最近は若者を見ることが少なくなってしまった。」などとため息をつくことがあるでしょうが、それは、若者利用者層の厚い自転車という環境にも健康にもやさしい乗り物を弾圧した結果である面もあるということを知る必要があるでしょう。
サイクルロード氏のおっしゃるように、撤去費用の金額を駐輪場設置費用にまわすほうが、よほどその地域の利用者の利便性向上につながって、街の魅力を高め、経済的にも良い影響を及ぼすであろうことは確実でしょう。
自転車撤去にだけ力を入れている行政は、何か誤解や勘違いをなさっているとしか思えませんね。
自動車を優先したり、郊外出店を許せば許すほど、地域は自動車で危険になり、また、高齢化に対応したコンパクトシティ化とは真逆の地域構造になってしまう側面を、行政はきちんと把握しているのでしょうか?
わが町を身の丈に - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_1.html
自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率の問題点 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/
自動車のための道路を作れば作るほど交通問題は深刻になる。
http://wired.jp/2015/03/19/traffic-jam/
公共交通は移動に費用がかかるので敬遠する層や、健康増進・スポーツとして移動を兼ねている層、街の環境を考えてスマートな乗り物を、と考えている層は確実にあり、その層を自転車はキャッチしています。
そして、自転車は公共交通には到底不可能な小回り性の良さを備えています。だからこそ魅力のある街ほど、撤去せど撤去せど、粘り強く自転車が使われているのですからね。それだけの需要があるのです。
もはや、時代は自動車ではなく、自転車(シェアサイクル含め)と公共交通を主軸にしたものにしてこそ、といったものであることは間違いないでしょう。