自動運転技術です。自分で運転をしなくてもハンドルやアクセル、ブレーキが自動で操作され、目的地まで連れて行ってくれる夢のクルマです。この技術の確立に向けた競争が世界レベルで進んでおり、近い将来、実際の製品として走るようになると言われています。
数十年、百年単位で見れば、以前は考えられなかったようなことでも、次々と実現されてきました。それを考えれば、いずれそのような未来が訪れるのは間違いないでしょう。特に近年の技術の進歩は目覚ましいものがありますし、すでに一部の機能の中には、実現しつつあるものもあります。
もう、数年のうちにも実現するかのように書いているメディアもありますが、必ずしも、そこに至る道は平たんではない気もします。今年5月には、アメリカで、テスラモーターズ社のクルマの自動運転機能を使って走行していた人がトレーラーに衝突し、亡くなるという事故が起きています。
日差しが強かったため、トレーラーの白い車体をカメラが認識できなかったせいだと考えられています。いくらカメラの精度や認識技術が向上しても、依然として課題が残っているのは明らかです。今後も、自動運転が当たり前になるまでには、事故も避けられないでしょうし、紆余曲折が予想されます。

まだ件数は少ないですが、日本で現在搭載されている、自動ブレーキなどの機能が原因の事故も起きています。幸いにして死亡事故には至っていないものの、物損や軽傷を負う事故は発生しています。死亡事故が起きていないのは、まだ調査対象が少ないのと、単に運がよかっただけと指摘する専門家もいます。
確かに、一部の自動運転の性能が向上しているのは間違いないでしょう。テストコースでは驚くほどのパフォーマンスを見せていると言います。しかし、実際に公道を走り始めたら、さまざまな悪条件が重なることもあります。想定外のアクシデントも起きるはずです。その時に事故が起きないと言える状況ではありません。
アクセルやハンドルを自動で動かしたり、ブレーキをかけたりするなど、驚くほどスムースに動くようになっているそうです。しかし、だからと言って、どんな状況にも即座に対応でき、素早く危機回避行動がとれる性能にはほど遠く、信頼性が確立している状態ではありません。
カメラやセンサーの信頼度だけではありません。各種情報をやりとりする通信技術にしても、速度と信頼性の大幅な改善が必要と言われます。天候から周囲の交通まで状況を把握し、刻々と変わる複雑な条件、想定しないアクシデントなどへ対応するには、ソフトウェアの問題も大きいと言います。
実際に、現状で一番多いのは、誤作動や無反応などソフトの問題だそうです。依然として性能限界があって、動作可能なレベルまでは実現できても、安全・安心なレベルまでには引き上げられない部分、全体のネックとなっている部分も指摘されているようです。
進化しているAIですが、囲碁棋士には勝てても、事故の危険に対し、瞬間的に正しい判断をして危機回避できるとは限りません。ソフトウェアからバグを完全になくすのは不可能と言いますし、不正アクセスやサイバー攻撃、コントロール機能を乗っ取られるなどの懸念も実験などで判明しています。

そもそも事故が起きた時、誰に責任があるのかという問題もあります。例えば衝突が避けられないような場合、自動運転のクルマは、運転者や歩行者、相手のドライバーなどのうち、誰を生かして、誰を犠牲にするのかというジレンマにも直面します。倫理的にも難しい問題です。
極端なことを言えば、テロリストは自爆テロではなくても、容易に爆弾テロを起こすことが可能になるという問題も指摘されています。こうした、技術以外にも、法的、制度的、社会的、倫理的な問題もいろいろ考えられ、それぞれ解決が簡単ではない課題がたくさん残っています。
人にもよるのでしょうが、テスラの自動運転機能を使うと、きちんと作動するか心配になると言います。見張っているのは、かえって神経が疲れ、自分で運転するほうが、よっぽどラクだという話を聞いたことがあります。なるほど、これは容易に想像がつきます。実際に事故も起きているわけですから、なおさらです。
これが、例えばトースターならば、見張っていなくてもパンを焼いてくれると誰もが考えます。事故が心配にならない過去の積み重ねもあります。万が一、問題が起きてもパンが焦げるくらいで済みます。クルマの場合は、まだ安心できるような実績がなく、瞬時に命を失いかねないわけですから、そう簡単ではありません。
つまり、正しく動作するレベルまで技術が向上するのと、安心して任せておけるレベルとの間には、大きな隔たりがあります。自動運転が実現して、誰も事故が起きて死ぬことはないと信じることが出来るまでには、相当の実績と長い時間が必要となる可能性があります。
単なる家電製品と違って、自動運転のクルマの場合、考えられているほど実現が簡単でないであろうことは、素人でも想像がつきます。実地での実験段階になったら事故やトラブルが続出する恐れもあります。確かに技術革新は目覚ましいですが、こうした大きな変革は、一直線に実現するとは限りません。
ただ、だからと言って、自動運転に挑戦しなくていいと言うつもりはありません。それこそ、SFに出てくるような世界が実現すれば、安全になり、事故が激減するのは間違いないでしょう。現在、年間たくさんの人が交通事故で亡くなっており、それが普通になっている状況は解決されなくてはなりません。
日本では、昨年1年間で4千1百人を超える交通事故死者が出ています。事故後24時間以内に死亡した人だけが集計されるため、近年の医療技術、延命技術の進歩が統計上の死者を減らしており、さらに多くの人が亡くなっているはずです。毎年多くの人が命を奪われても、それが当たり前になって、誰も不思議に思わない状態です。
交通死亡事故の9割以上がドライバーの不注意、違反行為など、ドライバーによるものとされています。自動運転になれば、脇見運転や居眠り運転などによる事故もなくなります。たしかに自動運転が実現すれば、交通事故を減らす大きな力になるであろうことは容易に想像がつきます。
クルマメーカーは、自動運転に取り組むのは、交通事故をなくすためだとアピールしています。クルマメーカーとして、人を死傷させている現実や根本的な不備を認め、改善していく責任を放棄していない姿勢を示す狙いもあるのでしょう。交通事故死傷者ゼロを目指すのは、社会的な責任でもあります。
しかし、本当に交通死亡事故死者の減少を目指すならば、メーカーは自動運転の前にできることがあると思います。自動運転は、実現しなければ成果が上がりません。自動運転技術の開発を止めろとは言いませんが、その前に、もっとやるべきことがあるのではないでしょうか。
自動運転を目指しているから責任を免れるわけではありません。自動運転が実現して、大きく死傷事故が減少するのは、いつになるかはわかりません。それとは別に、もっと容易に、もっと早く、もっと現実的な手段として開発すべきもの、開発できるものがあるはずです。
例えば、住宅街の細い道などでは、制限速度以上のスピードを出させないような機能を搭載してはどうでしょう。今のGPSと地図情報、アクセルの電子制御技術を使えば容易に実現できるでしょう。ユーザーの自由を制限することになりますが、歩行者を死傷させる危険の高い道でスピードを制御するのは社会的正義だと思います。
スピードを出したいドライバーもいるでしょうが、わざわざ歩行者の多い危険な道でスピードを出すことはありません。死傷事故を起こす可能性の高い場所で、無謀なスピードを出すのは愚かな行為であり、歩行者らにとっては、迷惑で非難されるべき行為です。事故防止という点で、本人のためでもあります。
スクールゾーンに指定されているような道路では、朝の通学時間帯に限って、制限速度までしか出せなくするなど、細かい制御も可能なはずです。買い物客の多い商店街などで、無謀なスピードで運転するような、愚かな者が残念ながら現実に存在します。
出会い頭で事故が多発しているような、信号のない交差点で、一時停止が義務つけられている場所では、自動でブレーキをかけてもいいでしょう。センサーで障害物を感知して作動する自動ブレーキよりも、地図情報に基づいて一時停止させるだけなので、技術的にも問題ないはずです。
信号のない横断歩道で歩行者が待っていたら、自動ブレーキで強制的に停止させることだって可能でしょう。こうした道路交通法を守らせ、危険を回避させるような自動制御を、どこまでやるかは議論の余地がありますが、多かれ少なかれ、交通事故の減少に直接貢献するはずです。
飲酒運転を防ぐための装置も開発されています。実際にオーストラリアやアメリカの一部の州では実用化されているところもあります。これだけ悲惨な事故が続いており、撲滅が叫ばれて久しいのですから、飲酒運転防止装置の標準装備も急ぐべきでしょう。悲惨な事故が絶えない中、規制は理解されるのではないでしょぅか。
酒を飲めない人まで、装置の価格を負担させるのは不公平だという批判もありますが、そんなことを言えば、それによって罪もないのに命を奪われる犠牲者のほうが、よっぽど不条理でしょう。人によって使わない機能は他にもたくさんあるわけですし、量産されれば安くなります。標準装備すれば不幸な事故は確実に減らせます。
居眠りを検知する技術なども開発されていますが、脇見運転、スマホをいじりながらの運転をさせないような装置の開発も可能なはずです。運転席でスマホを使おうとしたら電波を遮断するような機能だって、今の技術ならば開発できると思います。不便になるという人は、今も違反している人です。
どのような機能をどこまで搭載するかについては議論があると思いますが、やれば出来ることは、たくさんあるはずです。まず、出来ることをやらないで、自動運転だけに熱を上げるのは、企業の姿勢、社会的責任という観点からしても違和感があります。
もし、本当に交通事故死者の減少を目指していて、運転免許を持っていない人にもクルマを売るためでないのであれば、自動運転だけに力を入れるのは疑問と言わざるを得ません。夢の技術と平行して、現実的で、すぐにでも実現可能な対策に取り組むべきではないでしょうか。
一足先のサッカーの初戦は残念でしたが、いよいよオリンピックが始まります。寝不足の季節の到来です(笑)。