交通事故に対する、転ばぬ先の杖と言われれば、例えば保険に加入しておくことが考えられます。事故を起こせば怪我や物損だけでなく、相手を死傷させ、莫大な賠償責任を負うこともあります。事故が起きた時の治療費や損害賠償などの保障があれば、事故を起こした際の金銭的な負担の備えになります。
気をつけていても、事故を起こしてしまうことはあります。もし保険に加入しておらず、支払うことが出来なければ、自己破産を余儀なくされたり、勤め先を解雇されたり、離婚、一家離散、路頭に迷うなんてことにもなりかねません。そんな悲惨な状況を招かないための、転ばぬ先の杖の必要性は誰も否定できないでしょう。
ただ、事故を起こせば、金銭的な負担以外の面にも影響が及びます。相手を死亡させてしまったことの心理的ダメージ、遺族への対応、周囲の目、社会的な地位や信用を失ったりするかも知れません。万一、事故を起こした場合の備えも大切ですが、出来れば事故を起こさないに越したことはありません。
辞書をひくと、転ばぬ先の杖とは、「前もって用心していれば、失敗することがないという例え。」と書いてあります。保険など万一の備えも必要ですが、前もって用心しておくことで、事故を起こさないようにする、あるいは、事故を起こす危険性を最大限に減らしておくことも重要でしょう。
もし、それが費用もかからず、誰にでも出来て、効果も確実に期待出来るとしたらどうでしょう。そんな魔法の杖のようなことがあるかと言う人もいるでしょうが、あります。それは「習慣」です。事故を防ぐ、あるいは事故を起こさないような習慣を身につけておけば、それは強力な「転ばぬ先の杖」になります。
事故を起こさないように、細心の注意を払うことも大切ですが、人間ですから、集中力が途切れる時もあります。いつもは注意してるのに、ふと魔が差すときもあるでしょう。慣れが出てきて油断してしまったり、ついつい注意がおろそかになるようなこともあるに違いありません。
そんな場合でも、交通安全に資するような「習慣」を身につけておけば、無意識のうちに事故を防いでくれる可能性があります。習慣が身についてしまえば、その習慣がなかった場合と比べることは難しく、効果は見えにくい面がありますが、事故を防ぐ効果があるだろうと納得できる習慣は、いろいろあります。
ドアハンドル
その一つとして、オランダの例があります。オランダは自転車先進国で、人口よりも自転車の台数が多いくらい、自転車利用の盛んな国です。そのオランダには、クルマのドライバーがサイクリストを死傷させないための「習慣」があります。誰でも出来て、費用もかからず、効果も十分に期待できます。
“Dutch Reach”と呼ばれる、この転ばぬ先の杖、とても簡単なことです。それは、「クルマの運転席のドアを開ける時、遠いほうの手でドアハンドルをひく」というものです。日本のように右ハンドルであれば、左手で、ドアハンドルを引いてドアを開けるだけです。
これによって、クルマを降りる時、身体を右にねじるような形になります。当然ながら、身体はドアのほうに向きます。そうすると、クルマの後方が視界に入り、自転車や後続のクルマが来ていないか見えるはずです。つまり、ドアを開けても安全かどうか、自然と確認する形になるわけです。
(注:右側通行・左ハンドルの場合。上は悪い例、下が良い例。)
簡単なことですが、これを習慣にしておけば、いやでも後方を確認するようになるでしょう。うっかり確認せずにドアを開けてしまうことによる事故を防止することが出来ます。実際、海外でも、そのような事故は多く、昔から問題とされています。サイクリストを死傷させてしまうことも少なくないのです。
オランダでは、クルマの運転免許を取るときなどに、これを習うのだそうです。ある種の常識のようになっており、多くの人が習慣としているようです。さすが自転車先進国、自転車の利用の多い国ならではの生活の知恵と言えるかも知れません。
「なるほど、これは簡単なのに確実に効果が期待できる。」ということで、アメリカでは退職した医師などが中心となって、これを習慣にする草の根の運動が起きていると言います。運転中、ずっと同じ姿勢でいるので、良いストレッチになるという、おまけもつきます。
突然開いた車のドアに衝突し、後続車にひかれ死亡。
これは、日本でも習慣にしていい「杖」ではないでしょうか。こんな簡単なことなら、やらない手はありません。サイクリストの立場からだけで言うのではなく、ドライバーの立場でも、人を死傷させずに済むならば、大きなメリットです。実際に、後方をよく確認せずにドアを開けているケースは、相当な数に上っているはずです。
自転車だけではなく、オートバイや原付バイクも含まれます。後方を確認せずに、無造作に下りようとして、後続のクルマと事故になることもあります。いずれにせよ、ついうっかり、やってしまいがちな行為と言えると思います。習慣にしておけば、事故を未然に防ぐ可能性は高くなります。
「なるほど、習慣にすればいいのはわかるけど、こういうのって、最初の1〜2回だけで、すぐ忘れてしまって身につかないよ。」という人も多いに違いありません。そんな人のために、これは、“Dutch Reach”とは関係ありませんが、私がよくやる方法を参考までに書いておきます。
このような場合、私がよくやるのは、ドアハンドルに「左手」などと書いた紙をテープで貼る方法です。ピッタリと貼るのではなく、少し邪魔になるくらい、浮かせて目立つようにしておきます。もし右手でさわってしまっても、すぐ気が付くような位置、形状を工夫します。
こうしておけば、ドアハンドルを見るたび、開けるたび、思い出します。見た目は、内側なのでよしとしましょう。そして、紙やテープがボロボロになって、ちぎれるくらいになる頃には、習慣として身についているはずです。お守りとして、ずっと貼っておきたくなるかも知れません(笑)。
このような、誰でも簡単に実践できる「転ばぬ先の杖」は、いろいろあるはずです。お金もかからず、やって損はありません。事故を未然に防ぐ効果を考えれば、やらない手はないでしょう。日本でも、警察や自治体が啓発するだけでなく、学校や職場など、いろいろなところで呼びかけてもいいのではないでしょうか。
大隅良典さんのノーベル生理学・医学賞の受賞が決定、自然科学系の受賞は3年連続ですか。すごいですね。