言うまでもなく、2020年の東京五輪の施設建設に関連して使われることが多いからです。五輪に向けて建設された競技施設は、その後にレガシーとして残るわけですが、必ずしも市民の財産とならず、むしろ負の遺産となって、開催都市の財政を圧迫したり、その後の維持費が大きな負担につながる例も見られます。
世界には、荒れ果てたままだったり、使用頻度が低くて採算がとれず、赤字を垂れ流している施設も多いと言います。オリンピックの開催期間は、パラリンピックと合わせても30日程度、競技が行われるのは、もっと短い期間です。言わば一瞬しか使われないわけで、その後にどう活用するかが大きな課題になるのは当然でしょう。
オリンピックのレガシーを、いかに負の遺産にしないかという観点からの計画が大切なのに、実際の施設計画は膨張の一途を辿り、当初7千億と言われていたオリンピックの費用が、今や3兆円以上になると言われています。各競技団体や建設を受注する業界などの思惑が渦巻いているのは素人でも想像がつきます。
とくに話題になっているのが、ボートとカヌーの会場、海の森です。当初70億が500億です。わざわざ海に作ろうというのも強引です。たしかに選手村からは近いかも知れませんが、外海を遮断したり、防風壁をつくったり、既存の橋を撤去したりと、余計な費用が莫大にかかります。
それなら、すでにボート場がある宮城県の長沼にしたらと考えるのは、至極まともな発想でしょう。波や風の影響を受けにくい、内陸の淡水のほうがいいのは、素人でもわかります。ましてや、海の森の場所には風力発電の風車が立っています。風が強いことを証明しているようなものです。飛行機の騒音もあります。
海だとボートが錆びるので、五輪後に使いたくないという選手は多いそうです。競技連盟の役員は洗えばいいと発言していますが、そういうものではないでしょう。海風の吹く場所だと、金属部分が腐食しやすいのは、ボートに限った話ではありません。選手から敬遠される施設が良いレガシーとなるでしょうか。
競技連盟は、都心に新しい施設が出来ることで、競技人口の拡大が見込め、連盟の興隆につながると考えるのでしょう。しかし、競技用のボートは横風に弱く、特に素人は対応が難しいと言います。つまり、五輪後に入門者が競技を始めたり、体験する場所としても全く相応しくないということです。
横風が吹くだけでなく、コースによって有利不利が出るので、競技会場としても不適切だと言います。さらに言えば、ボートやカヌーは、日本ではマイナーなスポーツです。五輪後に一般の人がボートやカヌーに親しめる施設が出来たとしても、有効活用出来るか、維持費が赤字にならないか甚だ疑問です。
競技連盟や組織委員会の言い分は、協議を重ねて、もう決まったことだからの一点張りです。積算根拠も示さず、国民の見えないところで進められてきた協議で決定したことを理由に、今さら変えるなという理屈だけでは、誰も納得しないでしょう。選手の視点もなければ、血税を使うことの意識もありません。
五輪ですから、どこかで開催する施設を確保しなければなりませんが、海の森では、コストパフォーマンスが悪すぎます。以後の利用を考えても、経済合理性に欠けるのは明らかです。例えば長沼に決めて、早く地元開催の地の利を生かして練習に励んだほうがいいのではないでしょうか。関係者は、よく考えてほしいものです。
さて、負の遺産化が心配されるのは、五輪の競技施設に限りません。税金で整備される公的な施設は、あらゆるものについて言えます。高度経済成長期につくられた、いわゆるハコモノ施設の維持費に苦しむ自治体は少なくありません。必ずしもコストパフォーマンスだけで語れない面はありますが、考慮すべき点でしょう。
インフラとしての自転車レーンも、同じかも知れません。自転車利用者としては、あれば便利で安全性も高まりますし、整備されれば長く使える公共の財産だと思います。歩行者も歩道を安心して歩けるようになりますし、クルマのドライバーにとっても事故の可能性が減るなどのメリットがあります。
よほど人口が少なくて、あまり利用されない場所でもない限り、負の遺産とは呼ばれにくいと思います。特に大きな維持費がかかるわけでもありません。人々の安全性の向上と、事故の低減に貢献するのは明らかです。では、コストパフォーマンスはどうでしょうか。
アメリカ・コロンビア大学の公衆衛生学の教授、
Dr Babak Mohit 氏らの新しい研究が公表されています。ケーススタディとして、ニューヨーク市の2015年度に整備した自転車レーンの例を示しています。ニューヨーク市は、800万ドルをかけて、この年、45.5マイルの自転車レーンを整備しました。
この整備によって、市民一人当たり2.79ドルで、0.0022のQALYを獲得したとしています。QALYとは、“Quality Adjusted Life years”の略で、質調整生存年と訳されます。何かの経済評価を行う際に、評価するプログラムの結果の指標として用いられる数値です。
単純に生存期間がどれだけ伸びたかを考えるのではなく、生活の質(QOL)を表す効用値で重み付けしています。この指標により、生存期間と生活の質、つまり量的利益と質的利益の両方を同時に評価できるのが特徴です。完全な健康を1、死亡を0とした上で種々の健康状態をその間の値として計測されます。
博士は、マルコフモデルなど2つの段階モデルを利用して回帰分析し、モンテカルロシミュレーションと一方向感度分析を使って信頼性の検証をしたと言います。このあたりは素人には難しいので、興味のある方はリンク先を見ていただくとして、数学的、統計学的手法を駆使して算出したわけです。
自転車レーンの設置による効果というような、きわめて数値化しにくいものを、数字にしたことで、ほかのものと比べることが出来るようになります。これにより、他の手法との費用を比べ、いわゆる自転車レーンの費用対効果を明らかにできるというわけです。
この研究によると、この得られたQALYの数字は、人工透析やワクチンより費用対効果が高いと言います。それどころか、今日使われるような、大多数の予防的アプローチよりも効果が上だと言うのです。公衆衛生学的な見地では、直接的・医学的な方法より、自転車レーンのほうがコストパフォーマンスがいいということです。
これまでにも、自転車レーンを設置したことで、市民の自転車利用が促進され、運動不足を解消し、市民の健康増進が見込めるとされてきました。それが、この研究により、見込めるどころか、医学的、予防的な方法より、費用対効果が高いとわかったのです。
自転車レーンは、直接的には、自転車利用者にしか恩恵がありません。個人にとっても、自転車に乗るようになっても変わらないか、あっても、少し痩せたとか、風邪をひかなくなったくらいしか、実感がないかも知れません。しかし、自治体全体で考えると、病気が減るなどして高効率で健康効果が期待できるのです。
このことによって、自治体の医療や介護などの福祉予算を減らす効果も見込めるはずです。博士は、自転車レーンは、社会的な投資として非常に効果が高いと結論付けています。渋滞や交通事故、大気汚染、温暖化ガス排出を減らしたり、エネルギーの節約に資するだけではないのです。
自転車レーンと言っても、乗らない人は関係ないと思っています。あればベターかも知れないけど、費用もかかるし、なくても済む、今までなかったわけだし、といった感想を持つ人も少なくないでしょう。しかし、他の社会政策よりも賢い投資であり、市民の健康増進や財政にも貢献するなら、むしろ積極的に整備すべきです。
国土交通省だけでなく、厚生労働省の予算、あるいは地方自治体の土木関係の予算だけでなく保健医療関係の予算までつぎ込んでもいいくらいです。日本のように自転車に乗る人の多い国では、社会的効用も大きく、観光などの面にも好影響を与えるはずです。
いい意味でのレガシー、市民の財産になります。個人的には、オリンピックの予算が3兆円とするなら、1兆円くらい減らして、それを自転車レーンに投入してほしいくらいです。五輪の施設をレガシーとして以後活用するのも重要ですが、もっと効果が大きく、良いレガシーとなるものも見逃さないでほしいと思います。
経産省がこの冬、原発事故以降初めて企業や一般家庭に節電要請をしないそうです。再稼働必要なしですね。