先進国や新興国だけではありません。アフリカやアジア、中南米などの途上国の人々にも広く使われています。先進国での自転車のニーズとは違い、開発途上国では、自転車が死活的に重要な役割を果たすことがあることについては何度か取り上げてきました。
途上国では、公共交通などの社会インフラが整備されておらず、貧困でクルマなどを使えない人々が大勢います。そういった人々は、飲み水を汲みに行ったり、仕事場へ行ったり、学校に通ったり、市場に作物を出荷したり、診療所へ行ったり、といった必要不可欠な移動が、距離的に徒歩では困難な場合も多いのです。
そこで自転車です。先進国や新興国の人々にとって、自転車は趣味やレクリエーションであったり、数ある移動手段の一つだったりしますが、途上国に人にとっての自転車は、最低限の生活を保つ上で死活的な役割を持ち、あるいは貧困からの脱却にも大きな役割を果たす手段だったりするわけです。
しかし途上国には、その自転車でさえ使えない人々がいます。例えば、足が不自由な人たちです。先天的な理由や、疾病・事故などによるものだけではなく、戦争やテロによる銃撃・爆撃、そして地雷などによって足を失い、移動の自由を奪われた人々もたくさんいます。
多くの場合、車イスを使うことになるでしょう。WHO(世界保健機関)は、開発途上国の6千5百万人以上の人が車椅子を必要としていると推定しています。しかし、幸いにして車イスが使えるようになったとしても、必ずしもそれで困難な状況が改善するとは限らないのです。
ただでさえ、車イスで生活するには多くの困難が伴います。屋内だけならともかく、日々の糧を得るために仕事場へ行ったりする必要があります。従来型の車イスでは、全く不可能ではなかったとしても、現実的に移動できる範囲や距離は限られ、必要とする移動が困難な場合も多いのです。
もし、先進国であれば、必ずしもバリアフリーが充分とは限らなかったとしても、いろいろなものが利用出来ます。ビルや駅などではエレベーターが設置してあったり、歩道の段差をなくしてあったり、階段と並行してスロープが設けられていたりします。
障害者用に改造されたクルマを使えるかも知れませんし、電動の車イスなどもあります。車イスで乗り込めるバスや、不便な点は多いとしても電車を利用出来たりするでしょう。しかし、途上国においては、そのような手段の利用は期待できません。先進国ですらたいへんだと思いますが、その困難さは想像を超えています。
そもそも、WHOの推計によれば、車イスを必要とする途上国の人口の75%以上は農村部に住んでいます。必要な移動の距離は伸びます。しかし、スロープどころか、道路は舗装すらされておらず、ぬかるみや凸凹の道に車輪をとられ、移動できる距離、範囲はきわめて限定されることになるに違いありません。
そこで、そうした人のために、悪路でも走破できる車イスを開発しようと考えたえた人たちがいます。マサチューセッツ工科大学で研究を行う機械工学者である、
Amos Winter さんを中心とするグループです。彼らは、当然のことながら、MTBを利用することを考えました。
じつは、車イスのオフロード版として、MTBのパーツを流用したものは、以前からいろいろ制作されています。しかし、タイヤにブロックタイヤを使うくらいならともかく、悪路走破性が高くて実用的な車イスを作ろうと思うと、価格が圧倒的に高くなってしまうという問題がありました。
途上国で困難な状況にある人に広く使ってもらうためには、高くても200ドル、それ以下でなくてはなりません。一方で、未舗装のデコボコ道を長距離、自力で移動出来なくてはなりません。安価で手に入るMTBのパーツを使うとしても、実用性とコストの問題があるわけです。
車イスであっても、ある程度スピードが出なければ、屋外を移動するのに時間がかかりすぎ、実用的とは言えません。悪路走破性のため、低速でのトルクも必要です。一方、変速ギヤなどを使えばコストが高くなってしまいます。そこで、Amos Winter さんは、レバーを使うことを考えつきました。
レバーを前に倒すことによってタイヤが回転する機構です。変速用のギヤはありません。しかし、このレバーでテコの原理を使うことで、スピードとトルクの切り替えが出来るのです。すなわち、レバーを持つ位置を変えれは、人間が変速機の代わりになるというアイディアです。
レバーの根元を持ってこげば、素早くストロークできてスピードが出ます。比較的平滑な場所では、このスタイルです。そして、トルクが必要な場所、場面では、レバーの先の方を持ちます。そうすれば大きな力が加えられるので、スピードは下がりますがトルクが上がり、悪路も走破できるという仕組みです。
MTBのパーツを流用しても、複雑なもの、高価な部品はないので、安く出来ます。そして、今どきは世界中で自転車が生産されており、安く手に入る部品を使えば、途上国の人でも十分に使える価格で製造できます。そしてシンプルな構造で、途上国でも修理が可能なことも重要です。
基本的な構造が決まった後も、試行錯誤を繰り返し、実際に途上国の車イスに乗る人に使ってもらい、改良を重ねました。いわば車椅子のMTBですが、室内でも使えなくてはなりません。大きすぎたり、重すぎてもダメです。細かい部分でも、大きく使い勝手が損なわれ、本当に役立ててもらえなくなる恐れがあるのです。
そうして完成したのが、安くて全地形型のレバー式車イス、“
Leveraged Freedom Chair”です。従来型の車イスと比べて、80%速く、40%効率がよく、 50%増のトルクが得られて高い悪路走破性を誇ります。レバーを後ろに引けばブレーキがかかり、左右のレバーの操作で方向も変えられます
価格は安く、構造もシンプルで修理が簡単という画期的な車イスです。彼らは、GRITというNGOを立ち上げ、製品化を進めました。障碍者支援団体とも連携し、少しでも多くの困っている人に、この“LFC”を届けるべく活動しています。今では多くの人が、この車イスに乗り換え、生活に必要な移動に使っています。
ちなみに、この“LFC”を改良した先進国向けの“
GRIT Freedom Chair”も開発されています。クルマで運べるよう分解できたり、高品質のパーツを使うことで、より性能をアップさせるなど、先進国の車イス利用者に使ってもらえるような改良を行いました。新発想の車イスとして先進国のユーザーに届けています。
この、先進国版の“GRIT Freedom Chair”については、過去に取り上げました。その記事では、この新しい発想の車椅子、言わば腕でこぐマウンテンバイクについて、その機能や、先進国の利用者にとってのメリットを取り上げたのですが、今回の“LFC”は、そのルーツなのです。
“LFC”の技術を、先進国向け高級バージョンへ還元したのが“GRIT Freedom Chair”です。ただ、先進国向けの“GRIT Freedom Chair”と途上国向け“Leveraged Freedom Chair”とは仕様も価格も違い、全く別の製品だとしています。先進国で“LFC”は購入出来ません。
途上国向けの“LFC”は、NGO、政府、その他の援助機関向けに販売されています。そして、途上国の多くの足が不自由な人が、貧困に苦しむ中で、生活のための死活的に重要な移動のために使い、大きな福音となっています。素晴らしいことだと思います。
車イスと自転車を一緒にするわけではありませんが、“LFC”はMTBのタイヤを並列にして、駆動機構を変えた乗り物であり、多くの部品が共通です。元々、アメリカで遊びの中から生まれたMTBが、形を変えて途上国で役に立ち、それがまたアメリカに戻って、新発想の車イスになっているのも興味深いところです。
社会のバリアフリー化が進み、車イスでも自由に移動できるようになるのが理想です。しかし、途上国でバリアフリー化など待っていられません。先進国でさえ十分とは言えず、難しい部分もあります。ならば、クルマ椅子のほうを変えて、バリアを乗り越えてしまおうという発想も有効なのではないでしょうか。
北朝鮮が急に韓国との対話姿勢を見せています。思惑はともかく、平和的な解決への糸口となることを祈ります。