いろいろあると思いますが、例えば、どこでもゴミを平気でポイ捨てする人がいます。自分が出したゴミは、ゴミ箱に捨てるか、持ち帰ってきちんと処理すべきなのは当たり前ですが、持ち帰るのが面倒といった理由で、道路脇などに平気で捨てます。身勝手きわまりない行為です。
街の美観を損ないますし不衛生です。場合によっては道路清掃の経費を増やすなど社会の迷惑です。そればかりか、いずれ、そのゴミは風や雨で川などを通って海洋汚染につながったりもするでしょう。現代のゴミの多くは分解せず、海洋を漂うことになります。その量は膨大です。
波などの作用によって細かく砕かれ、マイクロプラスチックと呼ばれる微小な粒子になり、魚などの体内に取り込まれることになります。海洋生物に対する大きな脅威であると同時に、物連鎖によって、我々の口に入ることにもなるでしょう。
マイクロプラスチックや、残留する有機汚染物質の被害は、まだ解明されていない部分も多いですが、海の生態系に対する脅威であり、人類に対する悪影響も危惧されています。その回収や、ゴミとなる包装容器などを自然に帰る素材にするといった対策の検討が始まっています。
ゴミをポイ捨てする人だけの責任とは言いませんが、一部のモラルの低い人のために、社会的なリスクやコストが増大するのも確かでしょう。当然、そういう人にも影響は及ぶわけですが、それは見えにくいこともあって、社会の迷惑など顧みず、自分の身勝手な都合を優先する人は少なくありません。
条例などで禁止したとしても、捨てる人は捨てます。それをいちいち取り締まるのは現実的に無理でしょう。ポスターなどで啓発が行われたり、学校などでも道徳教育が行われるわけですが、必ずしも目ざましい効果はあがっていません。どうしてもモラルの低い人はいます。
さて、そんな中でイギリスのノリッジという街に住む12歳の少女が脚光を浴びています。自宅から学校へ通う3キロ余りの道すがら、道路にポイ捨てされているゴミを毎日拾っているのです。通学に使う自分の自転車の前カゴにゴミを入れ、ゴミ箱まで持って行き捨てています。
歩いているならともかく、自転車通学なのに、いちいち自転車を降りてゴミを拾うのは、なかなか出来ないでしょう。自分の自転車の前カゴにゴミなんて入れたくないのが普通だと思います。自分に置き換えて考えてみても、これはなかなか出来ない行動でしょう。
誰に言われたわけでもありません。一人で毎日黙々とゴミ拾いをしています。しかし、その行為は学校の友達から嘲笑され、“
Trash Girl”と呼ばれてイジメに遭うことになります。年頃の女の子が、「ゴミ女」と呼ばれて平気なはずがありません。偉いのは、それでもゴミ拾いをやめなかったことです。

この少女、
Nadia Sparkes さんは、マスコミなどからも注目を浴びるようになります。SNSなどを通して、世界からも賞賛や励ましの声が寄せられるようになりました。今では、その活動に賛同した人、500人以上がゴミを拾い始めるまでになっています。
地元のクリエイターは、スーパーヒーローとして、漫画に描きました。ちなみに、英雄的なヒーローに対しては、女性でもヒーローと呼ばれることがあります。こうした反響が広がるにつれ、学校の内外で、いじめられたり、罵倒されるようなことは、なくなったそうです。
もちろん親に言われて始めたわけではありません。ただ、彼女の祖父や母親は、地元の海岸などでゴミ拾いをしたりすることがあったそうです。そのような姿を見て、自然とゴミを拾い始めたのでしょう。このような反響に本人は戸惑っているものの、多くの人が賛同してゴミを拾うようになったことを喜んでいます。

自宅の近くとか、通りがかりに、目についたゴミを拾う人は他にもいるでしょう。しかし、12歳の少女が、多感な時期に「ゴミ女」呼ばわりされ、嘲笑され、イジメに遭ってもなお、信念を貫き通すというのは、なかなか出来ることではありません。世界の人が驚き、共感し、激励したくなるのもわかります。
そのような共感が、自発的にゴミ拾いをする人を増やしたのでしょう。そして、目には見えませんが、この少女の行為ことを知り、自分の行為を恥ずかしく感じた人もいるに違いありません。人知れず、ポイ捨てをやめるようになった人もいることでしょう。
いくら啓発活動で呼びかけても、なかなかポイ捨ては減りません。しかし、この少女のような行動、誰に言われるでもなく、誰に見せるわけでもなく、人知れずゴミを拾い続ける行為、虐げられても続ける行動が、人々の心に響き、結果として大きな影響を与えることもあるのだろうと思います。
諸外国に比べ、日本の街や道路はキレイだと、来日する多くの外国人が言います。確かに、海外へ行くとそれが理解できたりします。日本にもポイ捨てする人はいますが、相対的には少ないと言えるでしょう。それは、日本人がキレイ好きだからとか、日本人のモラルが高いからとか言われたりします。
サッカーの試合の終了後に、サポーターたちが自発的にスタジアムのゴミを拾う姿を見て、他の国の人々が驚き、賞賛したりするのを見れば、そのような面もあるでしょう。スポーツゴミ拾いなどと言って、日本発祥のスポーツにまでしてしまうのは、掃除好き、キレイ好きな面もありそうです。
国によっては、ゴミ拾いなんかしたら、清掃業者の仕事を奪うことになると考えるそうです。言い訳に聞こえますが、文化や習慣が違う面もあるのでしょう。日本の学校では放課後に、生徒が自分たちで教室の掃除をします。海外では、清掃業者が入るのが当たり前で、そのような習慣がないので驚くと言います。

しかし、必ずしも日本人はモラルの高い民族とは言えないようです。実は、1964年の東京オリンピックの開催前は、日本の街にはゴミがあふれ、とても文化的な国とは言えない状態だったそうです。道路にゴミを捨て、道端で用を足し、私もそうですが、今の人には想像つかないような状態だったと聞きます。
今はキレイですが、電車内で駅弁などを食べた後には、床に捨てるのが当たり前、床の上はゴミがあふれて足の踏み場もなかったそうです。家庭のゴミを川などに捨てるのも普通でした。ゴミ出しに使うポリバケツは、その当時の街の酷い衛生状態を改善するために発明されたという話も聞いたことがあります。
つまり、東京オリンピックの開催を機に先進国の仲間入りをするため、政府が懸命に音頭をとって、街の清潔さを上げたわけで、日本人の民度が昔から高かったとは言えないわけです。五輪前の駆け込みの改善を果たした後も、長い期間をかけて、ゴミのポイ捨てなどが減ってきたのも確かでしょう。

地道な啓発活動もされてきたと思います。そして、おそらく無数の、そして無名の、Nadia Sparkes さんのような人もいたはずです。黙ってゴミを拾う人です。誰に訴えるでもない、そのような行為を見て、自分の行為を恥ずかしく思って、ポイ捨てをしなくなった人もいたに違いありません。
もちろん、教育の効果もあったでしょう。サボっていた人も多いと思いますが(笑)、日本人は、放課後に教室を自分達で掃除するのは普通のことだと思っています。しかし、それは世界的には珍しく、このことを知って感激し、自分の国の学校教育に取り入れた国もあります。
つまり、ゴミをポイ捨てしないというモラルは、地道な活動、名も知れぬ人たちの自発的な行動などによって、長い期間を経て醸成されてきたのでしょう。だんだんとそれが普通になって、ゴミのポイ捨て行為が軽蔑され、恥ずかしいと感じさせるようになって、街がキレイになってきたのだろうと思います。
自転車についても、乗る人のマナーが悪い、モラルが低いと指摘されることが少なくありません。啓発活動もされていますが、なかなか改善しません。モラルの低さがさまざまな形で社会的な損失をもたらしていることを理解していない人も少なくないでしょう。
自転車好き、趣味のサイクリストとしては歯がゆい限りですが、なかなか特効薬はなさそうです。関係者には、青少年への教育をもっと徹底していただくこと、そして私たちサイクリストの一人ひとりが、誰が見てるわけでなくても、高いモラルを持って行動していくしかないのかも知れません。
原田大智選手、高木美帆選手、高梨沙羅選手がメダル獲得、長い努力の末につかんだ栄冠、よかったですね。