例えば、ヨーロッパの国と北米の国では、都市や交通に対する考え方も違います。国土の環境や文化、伝統といった背景も違うのですから、当然と言えば当然でしょう。クルマ社会であるアメリカやカナダと、自転車先進国と称されるオランダとでは、都市交通に対する考え方も違います。
カナダのバンクーバー在住で、最近
“Building the Cycling City: The Dutch Blueprint for Urban Vitality”(サイクリング都市の構築:都市活力のためのオランダの青写真)という本を出版した、Melissa Bruntlett さんと、Chris Bruntlett さんの話や
サイトを見ると、そのことがよくわかります。
世界一の自転車王国であるオランダの都市建設の考え方や交通網の構築について、自転車活用の観点から述べられています。渋滞対策から公害防止、肥満など市民の健康面、社会的コスト、持続可能性など、さまざまな点で優れていることを指摘し、北米の都市でも見習うべきことが書かれています。
世界に名だたる自転車先進国、オランダですが、始めからそうだったわけではありません。オランダでも第二次世界大戦後、モータリゼーションが急速に進み、道路にはクルマがあふれていました。自転車は隅に追いやられ、交通事故による死者は急増していたのです。
70年代には多くの人、特に子供の死亡事故が多発する事態に、交通政策に反発する市民がデモを起こすようになります。同時に73年のオイルショックで、クルマによる交通の経済性、将来性、持続性を危ぶむ声が上がります。こうした中、オランダ政府はクルマ中心の考え方を捨て、独自の道を歩む決定をしたのです。
オランダの面積は日本の九州ほどしかありません。オランダのシンボルである風車は、牧歌的なイメージがありますが、実は水をくみ上げる灌漑のための切実な手段でした。国土の4割が海抜より低い土地であり、水を常に汲み出さなければ使えない低地なのです。
使える国土が限られている点で、国土の広いアメリカやカナダのようなクルマ社会を目指すには難があります。一方で、一番標高の高い地点でも、わずか322メートルしかありません。国土が平坦で、自転車で移動するには持ってこいの環境です。もともと多く使われていた自転車の活用にシフトしたのは自然でしょう。
自転車の活用とは言っても、当時はオランダの道路もクルマで渋滞し、自転車は隅に追いやられた状態から始まったのです。さまざまな試行錯誤がありました。一朝一夕に自転車先進国になったわけではありません。その道のりの中で、都市交通に対するポリシーが醸成され、ノウハウが蓄積されていったわけです。
基本的な道路整備では、クルマは車道、歩行者は歩道、自転車は自転車道や自転車レーンという考え方が貫かれています。オランダの多くの都市には独立した自転車レーンが整備されています。自転車は車両としてクルマと同じ場所を走るのが当たり前ではないのです。
クルマと一緒だと安全性の点で問題だからです。基本的には、自転車は自転車レーンを走り、クルマとは分けられています。もちろん、未だ整備の途上で、クルマと混在して走行しなければならない場所もありますが、そういった場所では自転車優先が徹底されています。
その自転車レーンも、場所によってスタイルが違います。道路にラインをひいて仕切られているレーンもありますが、横を通るクルマの平均速度が速い道路、例えば幹線道路などでは、物理的に分離され、保護されたレーンを設置するという方針で整備されています。
つまり、自転車とクルマとの速度差が相対的に大きくなる道路は危険なので、単なるラインで仕切るのではなく、クルマとはセパレートし、クルマが接近したり進入しないようなレーンにするという方針です。自転車に乗る人の安全を第一に考えた道路整備が進められているのです。
(写真左、歩道は右端のほうに別にある。写真右、駐輪スタンドが設置されている。)
スペースに余裕のある場所では、分離帯などで仕切られていますが、そうでない場所でも、縁石ブロックなどで仕切られます。単なるラインだと、はみ出してくる可能性がありますが、わずかな高さでも、縁石などがあれば、ドライバーは踏み越えません。物理的な距離も保たれ、自転車は安全に走行できます。
交差点でも、多くの地点で物理的な保護が設けられています。道路の形状や場所によっても違いますが、自転車の安全のためのバンプやガードブロックなどがあります。必要な交差点では、自転車専用の信号があって、クルマによる巻き込みが起きないような配慮がなされています。
(車道との立体交差や専用橋などが整備されている場所も。)
同時に、必要な場所には大規模な駐輪場が設けられています。全ての移動を自転車にするという考え方ではありません。パークアンドライドでクルマと乗り継いだり、鉄道など公共交通と組み合わせることで自転車が便利に使えるわけで、駅などに必要に応じた駐輪場が整備されているのは当然なのです。
教育も徹底しています。必修ではないですが、ほとんどの学校で自転車教育が行われています。就学前から交通安全の概念が教えられ、10〜11歳までには交通ルールや自転車のスキルが教えられます。12歳までには交通ルールを習得していることを試す学科試験もあります。
(駅で駐輪するのは当たり前。日本のように景観を理由に駐輪場の非設置はありえない。)
さらに、実際に自転車に乗る実地試験も受け、一連のプログラムに合格して初めて、そのことを記した証明書がもらえます。街で走っていいというお墨付きです。子供の頃から交通ルールを理解しているので、日本のように、ルールを知らない生徒が傍若無人に走りまわるようなことはありません。
オランダ人のほとんどがこうした教育を受けています。ドライバーは、自らも自転車利用者だったり、サイクリストの立場を理解しているため、その安全を当然のように配慮します。自転車同士でもルールを守りますし、歩行者として歩いている時でも、例えば自転車レーンに広がって歩くような人はいません。
(子どももルールを守るし、右側通行などのマナーも守られている。)
私も、オランダに行った時には気をつけているのですが、うっかり間違え、歩いて自転車レーンに入ってしまい、サイクリストに急ブレーキを踏ませてしまったことがあります。通常は、そんな歩行者はおらず、邪魔されることはないので、スイスイと自転車レーンを走行できるわけです。そのあたりの秩序は日本とは違います。
まさに、自転車が都市交通として組み込まれ、速くて便利に移動できる仕組みが出来ています。ハード面のみならずソフト面でも、自転車を活用するための基盤が構築されています。誰もが安心して自転車を利用できる環境が、都市部での効率的な自転車交通を支えていると言えるでしょう。
(妊婦さんだって乗るし、移民にとっても重要な交通手段。)
象徴的なのは、
オランダではヘルメットをかぶっている人がほとんどいないことです。その着用率は、0.5%以下、200人に1人いるかいないかと言われています。自転車での走行が安全になるよう配慮されているため、ヘルメットを着用しないと危険と感じる人がほとんどいないのでしょう。
週末、趣味のロードバイクで郊外へ出かける人などは別としても、日常生活の中の自転車での移動で、ヘルメットの必要性は感じないのでしょう。それだけ、オランダでは自転車が優先され、クルマ中心の国とは違って、その安全に配慮されていることがわかります。日本のように歩道走行だから少ないのとはワケが違います。
オランダ人にしてみれば、小さな子供ならともかく、大人が普段の生活でヘルメットをかぶるという発想がわかないのでしょう。少なくともクルマの危険から身を守るために、ヘルメットで自衛しなければならないという感覚はありません。オランダ人に聞いたことはありませんが、おそらく本末転倒と言うのではないでしょうか。
例えば、クルマの排気ガスの有毒性を排除するためには、マフラーにフィルターを取り付けるなどの対策が求められます。クルマには有害な排気ガスを垂れ流させておいて、人間の鼻と口に全てフィルターの取り付けを義務付ける政策をとったら、人々は怒るに違いありません。
(子どももルールを守る。一方、ヘルメットはかぶっていない。)
クルマが危険の原因なのですから、クルマのほうで対策すべきです。クルマ自体で出来なければ、道路を工夫するなど、その危険を除去すべきです。それを、被害者になる自転車利用者が自らヘルメットをかぶって防護しなければならないのは、本末転倒というわけです。
もちろん、オランダでもまだ完璧に安全が確保されているわけではありません。事故も起きます。しかし、少なくとも、自転車利用者にヘルメットを着用させるのではなく、インフラなどでサイクリストを守るという考え方、自転車優先というポリシーが徹底しています。道路もその方針で整備してきたのです。
オランダでは当たり前のことが、同じ欧米でも、アメリカやカナダでは、根本的な考え方から違うことになります。Melissa Bruntlett さんと、Chris Bruntlett さんは、環境は違うものの、オランダのやり方の優れている点を認め、自分たちの国でも取り入れていくべきと主張しているわけです。
日本でも、交通安全のために交通弱者優先の考え方が原則として掲げられています。しかし、その実現のためには、考えを掲げるだけでは意味がありません。本当に弱者優先、安全を優先していく気があるのなら、その精神は道路整備やルールの徹底、通行秩序の構築にも貫かれるべきではないでしょうか。
がんの免疫治療で、京大教授の本庶佑氏にノーベル医学・生理学賞、久しぶりにおめでたいニュースですね。