オランダで自転車は、身近で一般的な乗り物として人気があります。オランダの交通手段別の移動シェアでは全体の27%程度を占めるほどです。ふだんの生活での移動からレジャーまで、国民に幅広く使われています。人口よりも自転車の所有台数が多いほど普及しており、これは世界一です。
オランダ語での国名はネーデルラントですが、これは低地の国という意味です。国土はライン川下流の低湿地帯に広がっており、その4分の1は海抜ゼロメートル以下にあります。オランダ名物として有名な風車は、昔から必要だった、低地にたまった水をくみ上げるためのものです。
低地というだけあって、本土の最高峰でも、わずか322メートルしかありません。東京タワーより低い山しかないわけです。オランダ国内の土地の高低差も非常に小さくなっています。国土が平坦なため、自転車に乗るのに適しているのは間違いありません。
国内のあらゆる地域を網羅するように自転車専用道が整備され、専用道の延長だけでも1万5千キロにも及びます。さらに、ほぼ全ての幹線道路に自転車レーンが整備されています。自転車レーン以外にも、サイクリストに対する数々の配慮が行き届いていることについては、このブログでも、過去にいろいろ取り上げてきました。
観光客も含め、国内の移動に自転車が使いやすく、オランダ政府観光局も、自転車大国であることを積極的にアピールしています。まさに自他共に認める自転車王国です。地形などに恵まれ、当然の帰結のようにも感じますが、実は、オランダも昔から自転車王国だったわけではありません。
第二次世界大戦より前も、移動に自転車は比較的よく使われているほうではありました。しかし、戦後オランダでもモータリゼーションの波が押し寄せ、クルマが急速に普及しました。ヨーロッパの他の国と同じように、オランダ国内の道路にもクルマがあふれるようになり、自転車は隅に追いやられることになります。
今のような自転車インフラも全く整っておらず、オランダでも交通事故による死者数が急増し、自転車に乗るのが危険になります。日本では交通戦争と呼ばれましたが、オランダでも深刻な社会問題となりました。この深刻な状況に反発した市民が社会運動を起こすようになります。例えば、ダイ・インという方法です。
ダイ・インは、多くの市民が集まり、路上に横たわる抗議活動です。死者を象徴しており、死に至らしめることに対する抗議の表現とされています。このダイ・インという方法は、他国でも近年見られることがありますが、第二次大戦後のオランダでの社会活動がルーツと言われています。
さらにオイルショックなども重なり、大気汚染や渋滞も酷くなり、オランダ政府も市民の抗議を受けて方針の転換を図ることになります。クルマを中心とした道路整備にまい進するヨーロッパの他の国とは一線を画し、自転車を重視し、自転車インフラを充実させる方向へ舵を切ったのです。
もちろん、一朝一夕に自転車走行環境が整うわけではありません。その後も何十年という変遷や試行錯誤があって、今のサイクリング重視、自転車王国としてのオランダが出来ました。何十年にもわたる、市民の抗議活動によって、勝ち取ってきた環境と言うことも出来るでしょう。
その変遷を、オランダの交通ポスターに見ることが出来ます。1970年代くらいから50年にわたるクルマに対する抗議活動や、自転車環境の整備への訴えが現れています。Fred Feddes さんと、Marjolein de Lange さんによる、“Bike City Amsterdam”という本にまとめられたポスターの一部です。
1970年のポスターで、オランダの首都アムステルダムのメジャーな繁華街からクルマを締め出し、公共交通などを使うように呼び掛けるものです。色合いからしても古いポスターですが、この頃からクルマが街にあふれることへの抗議が始まっています。
1973年のポスターで、そのメッセージは「子供を殺すな」です。クルマの急増で多くの人の命、とくに子供の命が奪われていることに対する切実な抗議です。標語が、とても直接的ですが、多くの子供の命が奪われる事態に対する市民の怒りが現れています。
自転車に乗る人たちも多く犠牲となりました。クルマによって、自転車が隅に追いやられたり、事故によって命を奪われている状態を、自転車がクルマの食い物にされているという構図にしています。オランダ語で、公共の乗り物と、公共の食べ物という、かけ言葉になっているようです。
1974年のものですが、スローガンは「クルマを街から追い出せ」というシンプルでストレートなものです。
1976年、自転車のデモンストレーションのポスターです。身体の部分が3個の×印になったキャラクターは、“Amsterdam Fietst (Amsterdam Rides Bikes)” の最初のシンボルだったそうです。
シンボルの顔の部分は、間もなく“Liesje”として知られる女の子に進化しています。
1980年のポスター、標語は、“I think, therefore I cycle”、「我思う、ゆえに我、自転車に乗る」といった感じでしょうか。ちょっと哲学的ですが、自転車を積極的に使おうという意思を表しています。
こちらは、オランダ語の“AUW”たぶん日本語にすると、「痛ッ」というようなニュアンスだと思いますが、これと、クルマを表す“AUTO”などの言葉とかけています。
自転車レーンに駐車するクルマへの抗議です。1980年代のものですが、他国の今と通じるものがあります。
1985年、依然として失われている子供の命、奪うクルマに対する抗議、訴えです。
1993年、クルマと比べて、自転車のスペース効率が格段にいいことをアピールしています。今にも通じる主張です。
1998年、「求む:4千台の駐輪場」というポスターです。鉄道の駅での駐輪場の不足を訴えるものです。
2005年、アムステルダム市が制作したユーモアのあるポスターですが、「自転車泥棒にチャンスを与えないで」というメッセージです。
2011年、国立美術館の自転車による通り抜けを、再び出来るようにして欲しいという訴えです。これは2013年に実現し、市内でも最も交通量が多く、最も美しい自転車ルートの一つとなっているそうです。
2012年、こちらは、有害な排気ガスをまき散らす原付バイクに対する抗議のポスターです。クルマとは別で、規制の抜け穴になっていたのでしょうか。
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こうして見てくると、自転車王国オランダも一日にして成らず、ということがよくわかります。今でこそ、世界に誇る自転車走行環境の整った国になっていますが、昔からそうだったわけではなく、走行空間の乏しさや危険をもたらすクルマとの闘いの歴史があったことがわかります。
日本での自転車の走行空間は、未だ貧弱と言わざるを得ません。いつも書いているように、歩行者との事故を防ぐためにも歩道走行は全面的に是正されるべきです。そのためには、車道に自転車の走行空間が必要です。今まで歩道上に整備されてきた通行帯を減らしてでも、車道の自転車レーンを増やすべきでしょう。
自転車レーンなんか無くても車道走行しているし、別に問題ないというサイクリストもいます。私も同じなので、同意する部分はあります。ただ、40年以上続いた歩道走行で、車道走行が怖い人も多いですし、自転車の車道走行が認知されていないことを考えれば、やはり社会基盤として、車道に走行空間を確保することは必要でしょう。
それが今の自転車の無法・無秩序状態を是正し、交通秩序が確立され、サイクリスト全体の安全な走行につながるはずです。自転車王国ではなく、普通に自転車に乗れる国で十分ですが、そこまでもまだ隔たりがあります。オランダの人たちを見習い、まだまだ自転車の安全や走行空間の確保を訴えていく必要がありそうです。
参院選の選挙戦が始まりましたが、選挙カーで大音響で候補者名を連呼する方法は、どうにかなりませんかね。