日本でも近年、外国人労働者は増えていますが、難民が押し寄せるという事態とは無縁なため、移民と難民の違いを明確に意識していない人も多いと思います。しかし、移民と難民は別であり、対応も違ってきます。移民政策をとっていない日本では移民は原則許可していませんが、難民と認定されれば受け入れる必要があります。
国連の定義によれば、『難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指す。難民の定義は難民条約や地域的難民協定、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)規程等で定められている。』となっています。
一方、移民には正式な法的定義はありません。単に定住国を変更した人です。一般的には、経済的な理由などで故国を出て、他の国で職と住むところを得ようとするケースが多いと思います。難民は保護すべき対象ですが、移民となると、その国の移民政策によりますから、必ずしも保護の対象とはならないわけです。
強引に密入国しようとする不法移民が多いため、各地で軋轢が起きています。難民であれば、国際条約などにより人道的に保護すべき義務が生じるため、移民と難民の区別、認定が問題となります。実際には、難民を装う偽装難民も混ざっているのが、問題を難しくさせています。
難民も移民も全て受け入れられればいいですが、何百万人も押し寄せてきたら、それは困難です。ブレグジットも含め、EUを揺るがす原因となっています。アメリカでも不法移民に対して、職業を奪われると嫌悪感が高まり、銃撃事件が起きるなど、社会の分断を引き起こす要因ともなっています。
現在の状況でいけば、ミャンマーの少数民族で、激しい差別や迫害に遭うロヒンギャ難民や、内戦の激化による危険から、周辺諸国などに逃れるシリア難民、イエメン難民などが、難民の代表例でしょうか。ただ、移民にも人道的な保護の必要な場合があり、難民だけと割り切ることが出来ないのが現実です。
一般的に、自分の意志で国を出てきた移民は、認められれば居住が許可され、就労して家族と暮らすことも出来ます。しかし、実際には移民として差別や迫害にあったり、地域に溶け込めない、職を得られないなど、困難な状況に置かれることも少なくありません。
一方、難民の場合、保護されると言っても、戦争や内乱などで、大量の難民が発生することも多いため、難民キャンプや収容所に収容され、移動や働く自由を制限されたり、収容人員が過密だったり、援助物資が不足していたり、衛生面など劣悪な環境で留め置かれている場合も少なくないのが現実です。
さて、
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のサイトに、難民の立場を脱することが出来て、自立した生活が送れている、元難民の話が載っていました。今から24年前の5歳の時に、イラクから逃れ、オランダで難民生活を送っていた、Mevan Babakar さんの話です。
Mevan Babakar さんは、大変な人生を送ってきました。両親と共に1991年にイラク北部を逃れ、トルコ、アゼルバイジャン、ロシアを経て、オランダに流れ着きました。Bergen aan Zee というオランダの町の難民収容所に、母親と共に収容されていた時のことです。
ある日、その収容所で難民支援にあたっていた、Egbert さんという人が、彼女に新しい自転車をプレゼントしてくれたのです。当時5歳だったメバンさんにとって、心が震えるような体験だったと言います。それが自分のものになるとは信じられず、心が喜びで爆発するような嬉しさだったそうです。
難民として収容されていた幼いメバンさんにとって、それは特別な出来事だったでしょう。イラクから来た貧しい難民の子が、そんなプレゼントをもらえるとは信じられなかったのも無理はありません。そして、そのプレゼントは、彼女にとって特別な意味を持つものとなりました。
メバンさんは、そんな高価なプレゼントをもらえるとは思いもよりませんでした。でもこの出来事によって、自分で自分のことを見直すことが出来たと語っています。つまり、自分がそのプレゼントをもらうことに値しているのだ、ということを実感したのです。
彼女は、いわゆる自己肯定感を持つことが出来たのでしょう。全く見知らぬ土地で、難民として収容されている貧しい子供に、自分が生きるに値する、自分が存在していていいと思える経験は、そう起こりえないだろうことは、容易に想像がつきます。自己肯定感は、人間の成長に大きな影響を及ぼすと言われています。
その後、彼女がイギリスにわたり、シェフィールド大学に進学して生物工学の修士号を取得し、メディアで働くようになった人生にも大きな影響を与えたに違いありません。そして、彼女は今の境遇を得てからも、自分の過去や、自分の人格を形成したであろう出来事を忘れることはありませんでした。
なんと24年ぶりに、自分の心を救ってくれた恩人を、SNSを使って探し出すことに成功したのです。再会を果たし、素晴らしい時間を過ごすことも出来ました。Egbert さんも再会をとても喜んでくれたと言います。メバンさんが、強くて勇敢な女性に育ったことを誇りに感じると言ってくれたそうです。
長い間会ってなかった親か親戚に会えた気分だったと彼女は語っています。インターネットとSNSのおかげで、24年も前の恩人を探せただけでなく、今回その過程で、他にも多くの人が、Egbert さんとその奥さんに救われたことも知ったそうです。
彼女にとって、この自転車は、単なるプレゼントという以上のものだったと語っています。そのプレゼントと、それを贈ってくれた彼の気持ちが、メバンさんの自尊心を育て、その後の人生を切り開く礎になったと感じています。Egbert さんの優しさが、一人の人生を変えたと言っても過言ではないでしょう。
ところで、難民と言えば、日本は世界的に見て難民の受け入れ者数が少ないと批判されています。2016年の難民申請に対する認定の割合は、アメリカが67%、カナダ67%、ドイツが41%、イギリス33%などとなっている中、日本は、わずか0.3%です。まさに桁違いの低さです。
法務省は、日本は本当に難民認定が必要な人の申請数が少ないためとしています。たしかに、申請は紛争国などではないアジア諸国からがほとんどであり、難民が発生しているとは思えない国も多いのは確かです。難民が多く出ているシリアなどからは距離的に遠く、日本の難民認定が厳しいと知られていることも理由でしょう。
ヨーロッパなどでは、難民や難民認定を待つ人による殺人や暴行、テロなどが起きて社会問題となっています。これを受け、難民認定を厳しくする国も増えています。治安を守るという意味では、日本の対応を一概に批難出来ません。まったく受け入れていないわけでもありません。
日本は、国連難民高等弁務官事務所など、難民問題の関係機関に対する拠出額は年間数百億円という単位であり、世界有数です。難民が押し寄せて苦慮している国への支援も手厚く行っています。こちらは、円借款なども含めて数千億円というレベルです。ただ、湾岸戦争と同じで資金拠出ではあまり評価はされないようです。
難民申請をすると6ヶ月の就労が認められるため、一部の技能実習生や留学生などによる抜け穴として使われたり、日本で働くことを目的にした、いわゆる偽装難民が多いのも間違いないようです。認定を増やすべきと言うのは簡単ですが、いろいろな論点があって一概には言えない面もありそうです。
難民は人道的に保護されるべきなのは間違いありません。でも、日本は難民に対して冷たいと見られています。これは、地続きの国境がなく、地理的な面から難民があまり来ないということもあるからか、日本人の難民に対する関心の低さということも背景にあるのでしょう。
私は詳しくないので、難民政策については評価出来ません。ただ、平和な日本に住む私たちとは全く違って、困難な境遇にある難民の人たちを、少しでも救うことが出来たらいいと思います。彼ら彼女らも同じ人間です。難民とならざるを得ない人たちの境遇に関心を持ち、Egbert さんのような優しい心を持ちたいものです。
イギリス議会の閉会、合意なき離脱を防ぐ法案、与党過半数割れ、首相は総選挙の構え、どうなるのでしょうか。
Posted by cycleroad at 13:00│
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