現在のニューヨーク市は、さまざまな問題を抱えています。予算の不足など財政的な課題、交通事故、雇用の喪失や中小企業の窮状、経済的な格差の拡大、人種差別やヘイトクライム、気候変動の継続的な脅威もあります。こうした問題山積を前に、ニューヨークのあり方を考え直そうという機運が盛り上がりつつあります。
ニューヨーク市には、公園や広場などの公共スペースがありますが、実は最大の面積を持つのは道路です。公共の財産である公有地で、そのほとんどを車道が占めます。すなわち、合わせて6300マイルの道路と300万台分の無料駐車スペースです。
考えてみると、これは大きな不公平です。少数の住民や市外に住む人々が、ニューヨークを毎日440万台ものクルマで移動しているのに対し、ニューヨーカーの圧倒的多数、96%は公共交通機関や自転車を使っています。一方、渋滞と事故により、ニューヨーク市に年間60億ドル以上の損失をもたらしてもいます。
街の景色として、当たり前のことのように思われていますが、あまりに街がクルマ優先になっています。これをもっと是正すべきだというのです。交通事故により、直接市民の命を奪うだけでなく、渋滞による大気汚染は人々の健康を大きく損なっています。メンタルにも悪い影響を与えていると指摘する専門家もいます。
クルマを所有する世帯は、所有しない世帯の2倍以上の収入があります。経済格差を助長するものにもなっています。もちろん物流や、クルマでしか移動できない人など、必要な部分もありますが、不要不急な人のクルマ、不法な路上駐車によって、大幅に時間をロスし、そのことによって莫大な損失を出しているのも確かです。
クルマ優先の都市構造は、慢性的な渋滞、高い環境負荷、経済損失、交通事故、公害による健康被害などをもたらします。気候変動、公衆衛生、経済、環境などの専門家も、クルマのためにスペースが割かれ過ぎており、それを本気で、早急に是正すべきだとする意見に賛成しています。
そこで立ち上がったのが、“
NYC 25x25”です。2025年までに、道路の25%を削減しようという具体的な提言です。車道に歩道スペースや自転車レーンを整備しようというのではありません。もちろん、使い道としてはそれも含まれますが、まず面積として道路を25%減らすのが目標です。
なぜ2025年かと言うと、今年の11月に市長選挙があります。市長の任期は4年なので2025年までです。つまり、次の市長の任期の間に、具体的な成果を上げるように求める、次の市長候補に対する提言でもあります。この運動には150以上の市民組織や組合、その他の市民団体が参加しています。
考え方としては以前からありましたが、大きな契機になったのは新型コロナウイルスによるパンデミックです。ニューヨーク市でもロックダウンを余儀なくされました。強制力のある措置のため、街には人通りだけでなく、クルマの通行も途絶えました。
この時、多くのニューヨーカーは、澄んだ青空に美味しい空気、静けさ、小鳥のさえずりなど、これまで経験したことのない、クルマのない景色や環境に感激しました。街はクルマのためでなく、人間のためにあるべきであり、私たちはクルマからスペースを取り戻すべきだと強く感じた人は多かったに違いありません。
その後、ロックダウンが解除されても各種の規制は続きました。バスや地下鉄などの公共交通や、タクシーやライドシェアを敬遠する人たちは大挙して自転車に乗りました。クルマ用の車線は制限され、自転車レーンが大幅に拡充されました。屋内での飲食が禁止されたレストランでは路上のオープンスペースが客席になりました。
こうした経験は、ニューヨークに人間のためのスペースを取り戻すべきだと確信させたのでしょう。多くの人が、“
NYC 25x25”に賛同し、公共空間の利用についての主導権は、市民が握るべきと考えるようになりました。来たるべき市長選の候補者と目される人たちにも、少なからず影響を与えています。
毎年交通事故で失われる数百人の命、数万人の負傷者を減らし、悲しみ、苦しむ家族を減らします。生活の質や平均余命を向上させ、騒音や大気汚染を減らし、子どもの遊ぶスペースも増やせます。保護された安心な自転車レーンや駐輪場、シェアサイクルを充実させ、気候変動問題にも貢献するはずです。
交通事故や渋滞のもたらす毎年60億ドルもの負担は大幅に減り、財政を健全化し、環境改善への支出は景気回復や観光振興にも寄与し、市民に質の高い生活をもたらすと主張します。そして、25%の道路スペース削減は、あくまでも目指す都市への第一歩にすぎないことにも言及しています。
具体的には、1000マイルの歩行者専用道路が整備され、市内1700の公立学校の校外学習などのためのブロックが確保されます。全ての居住者に徒歩5分以内にアクセスできるバスレーンの整備や、1/4マイル以内の自転車レーンへのアクセス、人気のシェアサイクルの市全体への拡大も可能になります。
540万平方フィートのオープンスペースをレストランや企業などにリースし、車イスやベビーカーで通りやすい歩道のために290万平方フィートを使います。荷物の配達や集荷、ゴミの収集のためのスペースが、全てのブロックに設けられ、1万5千本の樹木が新しく植えられます。
バスケットボールコートなどのスペースも、適切と思われる場所に割り当てるために3千800万フィートを使います。市内472か所の地下鉄駅の周囲に、ベンチや公衆トイレ、売店、自転車の駐輪・充電場所などを整備します。そのほか多くのものが25%の道路から手に入るとしています。
今、クルマで行き来している人を罰しようというのではありません。過大な公共空間を人々に返還するのです。そもそも道路の利用が不公平だったことを認識しなくてはなりません。一方、この都市の改造によって、仕事でクルマを使う人や障害などで使わざるを得ない人にもメリットがもたらされます。
ニューヨーク市の次の指導者に、具体的かつ実質的な提言をすることにより、ニューヨークの酷い生活環境と、その悪化を終わらせたいのです。その第一歩が“NYC 25x25”であり、860万人のニューヨーカーの生活が中心に据えられるべきとの考え方なのです。
これまでにも、道路がクルマに占有され、都市がクルマ優先だとの批判、考え方はありました。しかし、単にクルマの流入を抑制したり、自転車レーンや歩道を整備しようというのではなく、まずその面積の25%を配分し直そうという大胆な提言です。市民へのアンケートの結果でも大きな支持を集めています。
100年前まで、ニューヨークも含め、道路は主に歩行と市民の交易や社交の場でした。それがモータリゼーションによって大きく変わってしまいました。それ以来、クルマが優先され、人間が文字通り隅に追いやられています。これをまず、25%ほど元に戻そうと言うのです。
サイトには、ほかにも多々具体的な方策が書かれています。いかに過ちを犯してきたか、損失や無駄などの広範な検証もなされています。そして、決して突飛な計画ではなく、ヨーロッパの都市などをみれば、十分に実現可能であり、現実的でリーズナブルなものであることが記されています。
渋滞で非効率になっているクルマ優先の移動を改善することにより、いかに経済的なメリットがあるかも具体的に示されています。クルマ向けのスペースを歩行者用にすることで、より歩きやすいショッピング地区にすれば、収益が向上します。最近の事例では、売り上げが172%増加しました。
クルマ用のスペースを自転車用にした場合の、地域経済への恩恵も述べられています。マンハッタンの9番街では地元企業の売り上げが49%増加しました。駐輪スペースの設置は、クルマの駐車場所に比べて3.6倍の利益を生み出すことなど、具体的な調査や実例を元に述べられているのも興味深いところです。
クルマを抑制は人々の安全を確保します。そしてその安全には経済的な価値もあります。治療費や保険料、その他諸々の費用が節約されるからです。環境上の利点も小さくありません。具体的な計算によって、どのくらいのメリットをもたらすか列挙されています。
公衆衛生や環境汚染、医療費などの面のメリットも具体的に計算されています。自転車のインフラが平均余命を延ばすことも明言しています。街の構造を人間の生活中心にすることで、メンタル面などのメリットも大きく、人々の気持ちを前向き、楽観的にし、人々の幸福感が増すことにも言及しています。
そのほかにもクルマを減らすことのメリットが満載で、どれも具体的な数値で裏打ちされています。よくここまで網羅したものです。なかなか意欲的な計画と言えるでしょう。この提言は、単なる道路行政の話にとどまらず、ニューヨークの唯一持続可能な未来への計画だと断言しています。
先日、民主党のクオモ・ニューヨーク州知事が辞任しましたし、選挙ですから、今年11月の市長選がどうなるかはわかりません。しかし、この提言が採用されれば、ニューヨークが変わる可能性があります。世界の経済や流行の中心でもあるニューヨークで、都市のあり方が問い直される意味は小さくないでしょう。( ↓ 動画参照)
日本では、欧米のようなロックダウンが出来なかったため、街に対する見方が変わるような体験はしていません。当時、欧米の都市では即席の自転車レーンが急増し、移動や運動不足解消のため、多くの人が自転車で街に繰り出しましたが、日本ではそのような光景もごく僅か、限定的でした。
パンデミックの経験もあって、欧米ではクルマばかりが優先される都市を見直そうという機運が出てきています。コロナが都市の構造まで変えていく可能性があります。日本は欧米に比べ、いわゆるワクチン敗戦で経済の持ち直しが遅れているだけでなく、コロナ後の都市の変革にも置いて行かれかねないのが残念です。
◇ 日々の雑感 ◇
緊急事態宣言の拡大と延長が決まりました。政府の打つ手は弥縫策に過ぎず、首相のメッセージは原稿棒読み.質問は相変わらずはぐらかす。これでは国民に訴えは届かず、意味があるのかとの声が多いのも当然でしょう。