誰でも出来れば避けたいですが、不可抗力で不幸に直面してしまうこともあるでしょう。でも、中には自ら不幸な出来事を招くような行動をとってしまう人がいます。例えば、無知や無謀、自暴自棄、無気力や諦め、社会への反発といった理由で深く考えずに行動をし、自分から不幸な結果を招いてしまうことがあります。
一般的に、知識や社会経験の少ない若い世代に多いと言えるでしょう。軽い気持ちで詐欺とか犯罪に手を染めたり、非行や違法行為をしたり、反社会的な勢力と交遊を持ったりすれば、その行方に良い結果は期待出来ません。薬物を使用したり、依存症に陥ったり、借金を重ねて多重債務に陥ったり、といったこともあります。
結果として自殺したり、依存症に苦しんだり、刑罰を受けて服役したり、自己破産したり、人を死なせたり、反社会勢力との関係から抜け出せなかったり、社会的信用を失ったり、家族や友達など人間関係が崩壊したり、貧困に陥ったりなど、不幸な出来事を招くことになります。
若気の至りで無謀な運転をしたり、飲酒やスピードの出しすぎで命を落とす人も後を絶ちません。事故で重篤な障害を負ったり、人を死亡させて莫大な賠償責任を負ったり、精神的な安定を失ってメンタルを患うこともあるでしょう。つい、羽目を外したり、無謀なことをしたために一生後悔することもあるに違いありません。
年齢で分けるつもりはありませんが、若い世代の場合、先が長いゆえに悲惨ということもあるでしょう。自業自得と言えばそれまでですし、他人がどんな不幸に遭おうが関係ないという人もあると思います。しかし、それが周囲も不幸に巻き込んだり、社会不安や治安の悪化、社会的なコスト増加を招いたりすることも確かです。
出来れば、そのような不幸を減らすのが、本人はもちろん、社会にとっても利益になります。不可抗力の理由ならともかく、行方が見えているのに陥ってしまうような不幸の多くは、行動を変えることで避けられるはずです。そのためには、やはり教育が重要ということになるでしょう。
貧困に陥らないために学問や職業訓練も大切ですが、どんな不幸を招きかねないか、もっと広く社会を知ること、倫理や道徳、人生観、生き方や哲学、価値観なども重要になってきます。不幸な状況に陥らないために必要な知識や情報もありますし、いかに自分が未熟か知ることも大切でしょう。
しかし、若い世代に対して、こうした教育を施すのは簡単ではありません。学校の先生が諭そうとしても、説教として敬遠されたり、よく理解してもらえなかったり、そもそも興味を持ってもらえません。退屈に感じたり、反感を持たれるだけかも知れません。
特に若い時には、こうした教育の価値や、自分のためになることを理解するのは簡単ではないでしょう。大人も青少年の頃を思い出せば、それは実感できるはずです。自分の将来に資すると深く納得したことどころか、どんなことを学んだかすら覚えていない人は多いに違いありません。
どのような教育が効果的かが課題ですが、それは日本だけの話ではありません。アメリカ・カリフォルニア州のオークランドには、
カリフォルニア・フィールド・スクールという組織があります。これは、高校生の人生を変えるような体験や教育の機会を生み出すことを目的としている青少年向けの自転車組織です。
歴史や文化、地域社会から社会正義、環境に至るまで、青少年への教育の手段として自転車を使っているのです。教育に自転車って何だ?と思いますが、野外で、自転車による冒険ツアーなどを通じて、教育の効果を上げることを目指しています。ライドツアーの中で、いろいろなことを実地に学ぶプログラムになっています。
日本とは多少課題が違いますが、地域社会のことや環境的な正義、先住民や有色人種の人との交流、現代の文化の理解や社会の調和、気候変動やパンデミック、犯罪やジェンダー、格差や分断など、あらゆるトピックが取り上げられ、そのためのプログラムが組まれています。若い世代の気づきを助けるというスタンスです。
長距離を走破することで、自分の限界や自分自身と向き合うことにもなります。教師や学生同士のコミュニケーションや関係の構築にも役立ちます。コミュニティの中で、友情や思いやりのある関係を築くことにもなるでしょう。それぞれの交流によって、より理解を深め、自身が成長することにもつながります。( ↓ 動画参照)
座学でいくら講義しても効果が期待できないことはあります。自転車のライドツアーによって、実地で経験することで教育効果が高まるようなスタイルということのようです。これなら生徒も興味を持つでしょうし、楽しんで学ぶことも出来ます。少なくともライド中に居眠りするわけにはいきません。
そもそも自転車に乗ることは、肉体的にも精神的にも良い効果があるとされています。より良い人間になるためのモチベーションを高めたり、感情を安定させたり、さまざまな効果があるとの研究報告もあります。これを教育に使うのは、合理的で効果的であるという判断なのです。
なるほど、言われてみれば、アクティブな自転車ライドと教育の機会を組み合わせるというのは有効な手段かも知れません。参加者が自分自身に挑戦し、社会について考え、一緒に成長するという経験は、倫理観や人生観、何が大切で、どう生きるかという価値観を育むことにもなるでしょう。
参加したわけではないので、実際のところはわかりません。でも、日本でも、有効な教育方法として取り入れられるのではないでしょうか。社会見学、例えば刑務所や依存症治療の現場などを見れば、その環境の困難さを実感として理解できたりするでしょう。
苦しい状況にいる人の話が聞ければ、単に教科書を読むより、身に迫ってくるに違いありません。教えられるのでなく、自分で考えるほうが、はるかに身につくということもあります。自分の知らない世界を知ったり、自分の無知や未熟さに気づいたり、深く納得することもあるはずです。
日本と欧米では、自転車に対する理解や、そもそも自転車のイメージが違います。なかなか日本では理解されない部分もあるかも知れません。ママチャリはロングライドに向きませんし、スポーツとして自転車を捉えている人も少ないため、自転車を教育に使うと言ってもピンと来ない人が多いかも知れません。
もちろん、自転車を教育に使ったからと言って、すぐに社会への理解が進み、今後の人生をより良く過ごせるようになるわけではありません。しかし、自転車に乗って出かけ、実地で社会のことに触れ、考えさせるというのは教育の一つの方法論として、一考の余地があるのではないでしょうか。
◇ 日々の雑感 ◇
WHOのテドロス事務局長が、新型コロナウイルスのパンデミック終息が視野に入ったとの認識を示しました。もう3年もコロナに悩まされてきたわけですが、なんとかこのまま終息させ以前の自由な日常を取り戻したいものです。
Posted by cycleroad at 13:00│
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