旧統一教会の被害者救済法案を巡る動きが、連日大きく報道されたことによるものです。聞けば、家や土地を売らされたり、借金をさせてまでの寄付の強要、霊感商法や脅して不安にさせる強引な手口、いわゆる宗教二世の苦境、集めた資金を吸い上げる海外の本部など、聞けば酷い話だと思います。
安倍元首相の銃撃事件との関連から持ち上がったわけですが、これまで被害実態が取り上げられてこなかったことにも驚きます。ただ、この救済法は実効性に乏しくて使い物にならないという声もあります。野党が求めたマインドコントロールによる寄付の定義が含まれなかった点を問題とする議論もあるようです。
私は宗教について詳しいわけでも何でもないのですが、マインドコントロールを定義するのは相当ハードルが高そうだなと感じます。マインドコントロール下に置いて寄付させるなど、とんでもないとは思いますが、そもそも信仰心から信じているのと、マインドコントロールされて信じるのとの違いを見分けるのは困難でしょう。
よく日本人は無宗教と言われます。日本人の6割とか7割がそう答えると言います。これは社会主義国を除けば、世界でも有数の多さだそうです。世界の人口の内訳では、無宗教や無神論などの人が16%ほどいますが、後はキリスト教やイスラム教など、なんらかの宗教を信仰しているので、世界的には少数派ということになります。
ただ、日本人は無宗教と言いながら、神社に初詣に行ったり、教会で結婚式を挙げたり、お寺で葬式を営んだりします。創唱宗教、すなわち特定の人物が固有の教義を唱え、教祖と経典、教団があって信者がいるような宗教を信じる人が少ないだけで、祖霊信仰など自然発生的な宗教や、漠然とした信仰心はあると言われています。
ですから、神社で拝んだり、お寺で願をかけたりします。人生の一大事が起これば、真剣に神様に祈ったりするでしょう。八百万の神々などとも言いますし、特定の教団の信者ではないものの、精霊信仰や何らかの信仰心があるわけで、それが何々教ではないというだけのことかも知れません。
それで心の平安を保てているのであればいいと思いますが、具体的な教義を実践するなど、創唱宗教を熱心に信仰したことが無いと、信仰心について実感できない部分があるのは確かです。ましてや信仰心とマインドコントロールの違いや定義と言われても、ピンと来ないのが実際のところかも知れません。
言ってみれば、ゆるい信仰心しか知らない大多数の日本人には、よくわからない部分です。一方、世界では程度の差はあるとしても、何かの宗教を本気で信仰している人は大勢います。それは、アメリカのような実利的で最先端の技術、多くのテック企業が経済を牽引するような国でも例外ではありません。
キリスト教国ですが、いろいろな宗派があります。聖書にある天地創造やノアの箱舟を寓話や神話として見る、いわゆる自由主義神学的な宗派もあれば、聖書を絶対の真理として、キリストの復活や終末論、世界の終りの日に再臨することを心から信じている人たちもいます。多くの日本人には理解しがたい部分でしょう。
科学の発達した現代においても、進化論やビックバン理論を信じていませんし、学校でそれを教えることにも反対します。そして、それは少ない人数ではないため、例えば福音派と呼ばれるような人たちはアメリカの政治において大きな影響を及ぼしています。人工妊娠中絶もアメリカの大きな争点であり続けています。
今の世の中で、現代科学を否定して生活していることは、多くの日本人にとって想像しにくい部分でしょう。でも、そういう人が大勢いるわけです。イスラム教でも、イスラム原理主義の過激派が来世での救済を心底信じているからこそ、自爆テロが出来るのでしょう。
そう考えると、信仰心とか教義を本気で信じている人たちのことを、なかなか理解できないのが大多数の日本人ということになります。傍から見て、マインドコントロールにかけられて気の毒とか、カルトに取り込まれて可哀そうなどと、一概には言えない部分があるような気がします。
何かの宗教を幼い時から信じ、それが当たり前になっている人と、強い信仰心が実感出来ない多くの日本人とは、死生観も違ってくるに違いありません。例えは、身近な人が亡くなれば、誰でも悲しかったり、寂しいと感じると思いますが、死は新たな門出として、祝うものと捉える人たちもいます。
死後の世界を重んじた古代エジプト人だけではありません。例えば、アフリカのガーナのお葬式では、棺桶を担いで陽気に踊ります。死は新たな人生の始まりであり、葬式は故人の死を悲しむものではなく、新たな生を得た個人を祝福するための儀式と考えられているのです。( ↓ 動画参照)
アメリカでも音楽葬が行われる地域がありますし、台湾のお葬式も派手です。マーチングバンドが賑やかに演奏しながら執り行われます。寂しくならないよう、明るく葬儀を行う文化は珍しくないのです。日本の悲しく厳かで、すすり泣きの聞こえるお葬式との違いに面食らいます。( ↓ 動画参照)
チベット仏教やゾロアスター教では、鳥葬が行われる地域があります。故人の遺体をハゲワシなどの鳥についばませるという方法です。輪廻転生の概念から、死は服を着替えるようなもので、魂は生まれ変わって永遠に継続すると考えます。魂の抜けた肉体は脱がれた服であり、ただの抜け殻にすぎないという考え方だと言います。
ヨーロッパでも、故人らしく送ろうと個性的な葬儀が執り行われることがあります。キリスト教系だと、死後の復活という考え方から、土葬が普通でした。最近でこそ火葬が増えてはきたものの、いまだが土葬は多いのは、遺体を燃やして無くしてしまえば死後に復活できないという考え方なのです。
お葬式は必ずしも葬儀場などではなく、墓地での埋葬に立ち会う形も少なくありません。映画などに出てくるスタイルです。近年は、墓地へ亡骸を運ぶ霊柩車をカーゴバイクで行うところも出てきています。日本だったら、奇をてらったか、冗談にしか思えませんが、至って真面目な選択肢です。
(イギリス・フランス)
日本のように火葬場に運ぶのではなく、公園のような墓地の中を運ぶのに、自転車の霊柩車が使われても、さほど違和感は感じないでしょう。故人が生前に望んでいたり、昨今の風潮として、なるべく温暖化ガスを排出しないで、環境に優しい見送りが故人に相応しいと考える遺族もあるのでしょう。
(イギリス・デンマーク)
家族や友人がペダルをこげるところもあります。クルマの霊柩車よりも、故人との距離が近く感じられますし、これも一つの葬儀の形ということだと思います。世界にはいろいろな葬儀があるわけで、無宗教の日本人より、むしろ自由度があって、お葬式の形に囚われていない面もありそうです。
(デンマーク・フランス)
世界では宗教も信仰心も、死生観もお葬式もいろいろです。歴史的にみても、宗教や信仰は非常に重要な役割を果たしてきました。それが当然とも言えます。今回の旧統一教会の問題は別としても、日本人の宗教観をベースに、宗教や信仰心の深い人を偏見や固定観念を持って見ないほうがいいかも知れません。
◇ 日々の雑感 ◇
クロアチアがついに敗退、井上尚弥は4団体統一の快挙、ほかにもフィギュアスケートや柔道など盛沢山ですね。
Posted by cycleroad at 13:00│
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