前回は、オランダ・アムステルダム中央駅の駅前の一等地に設置された大規模な駐輪場、しかも運河の下に構築された、いわば水中駐輪場を取り上げました。ほかにもパンデミックを契機に自転車レーンなどを大幅に拡張整備する都市は世界的に増えています。
最初は臨時の自転車レーンなども多かったのですが、これをチャンスと捉え、クルマの都市部への流入を抑制し、大気汚染や渋滞を防ぐためにも、恒久的な自転車インフラを整備しようという動きも増えています。自転車インフラに大きな予算をつけようと考えるのは世界的な傾向と言ってもいいでしょう。
自転車インフラに巨額の投資をしようと考えるのは、欧米の都市に限りません。UAEのドバイでは、なんと冷房付きの自転車道・歩行者道が検討されています。中東の灼熱の夏でも、涼しく快適に移動できる自転車道、その名も“
THE LOOP ”です。長さは93キロにも及びます。
都市高速道路と位置づけていますが、中にクルマは通りません。徒歩と自転車だけです。サイクリングと徒歩・ランニングのためのインフラであり、自転車道と遊歩道を、巨大なチューブ状の構築物で覆って、丸ごと屋内のようにしてしまい、空調で快適な室温にするという大胆な構想です。
ユニークだけど、これはさすがにナンセンス、プロパガンダの一種だろうと考える人も多いと思います。実現性をはじめ、さまざまな部分にツッコミどころ満載にも思えます。これまでにも、密閉されたチューブ状の自転車道というアイディアは、繰り返し示されてきましたが、実現していません。
まず、画像のような規模のチューブ状の自転車道を93キロも冷房したら、莫大なエネルギーがかかりそうです。およそサステナブルとは思えません。クルマ用の高速道路や、軌道を丸ごと冷房する必要のないモノレールのほうがいい、こんな贅沢な自転車道に意味があるのかといった意見も出そうです。
この構想を打ち出している、
URB という会社は、ドバイを拠点にした経験豊富なデベロッパーであり、コンサルティング会社であり、建築デザインの会社です。国際的な賞も数多く受賞しており、持続可能な都市開発の世界的リーダーと自認する会社です。決して、個人の妄想とか、思いつきのプランではありません。
たしかに、先進的なプランではあるものの、しっかりとしたコンセプト、すなわち、世界的に近年唱えられている“
20 Minutes City ”という考え方に沿っています。住民が、徒歩または自転車で20分以内に、生活に必要な全ての目的地に到達できる都市にするというもので、既にパリやメルボルンなどでも取り入れられています。
ドバイには、ドバイ首長国の首長である、Sheikh Mohammed bin Rashid Al Maktoum 殿下が打ち出した、ドバイの持続可能な都市開発のための包括的な未来図を描く、“
Dubai 2040 Urban Master Plan ”というプランがあります。この今後を見据えた UAE のビジョンにも沿っています。
この計画は、人々の幸福と生活の質の向上に重点を置いており、今後20年間にわたり、市民、居住者、観光客に幅広いライフスタイルと投資機会を提供することにより、グローバルな目的地としてのドバイの競争力を強化することを目指しています。
ドバイを世界最高の生活の質を備えた都市にするという殿下のビジョンを実現するために設計された計画であり、最高水準の都市インフラと施設を提供するためのものなのです。すでに近代的な街であるドバイですが、人々の幸福と生活の質を向上させるインフラという位置付けです。
ヨーロッパの都市などでは、もはやクルマではなく、多くの人が徒歩や自転車で通勤し始めていると指摘しています。ドバイでも、80%以上の人が、日常的に自転車を利用できるようにすることを目指すべきだと言うのです。現在の、主としてクルマに頼った道路インフラは、さまざまな弊害をもたらしていることもあります。
温暖化ガスや渋滞、大気汚染や持続可能性の面だけではありません。整備されてきた道路網は、生活する市民のコミュニティを分断してしまいました。ドバイの将来の交通インフラを再設計する必要性があると考えています。自転車と公共交通機関の接続にも大きな断絶があるので、これもを接続することも目標です。
ドバイでは、急速な都市化により、密集した都市内を移動する方法に多くの問題が生じています。渋滞、安全性、大気汚染、騒音、高レベルのCO2など、多くの都市と同じです。ドバイは、次世代のモビリティインフラとして、世界で最もスマートなサイクリングとウォーキングのインフラが必要だと考えているのです。
ただ、中東の国です。夏季には気温が50度近くに達します。雨が全く降らないにも関わらず、しばしば湿度が100%になるなど、高温多湿で厳しい気候です。人々が徒歩や自転車で移動するためには、このようなインフラが不可欠というのは、自然な帰結なのでしょう。
空調には当然エネルギーが必要ですが、それはフットステップを利用した発電や太陽光などの再生可能エネルギーで賄われます。移動は徒歩や自転車なので、基本的にゼロエミッションです。大きなエネルギーが必要になるとしても、温暖化ガスを排出するわけではありません。
これが日本ならば、公共施設の冷房の設定温度を上げて暑いのは我慢しましょうという発想になりがちです。しかし、ドバイでは空調を効かせて快適にするけれど、それを再生可能エネルギーで賄うならは問題ないと考えるわけです。ほとんど経済成長しない日本と、つい最近まで年平均18%も成長してきたドバイ経済との違いでしょうか。
たしかに、暑い国なのに冷房なんて贅沢だ、などと他の国が言うのは理不尽です。これで温暖化ガスを垂れ流し、環境負荷を高めているなら非難されるでしょうが、そうではありません。少しでも快適にすることで、自転車を使ってもらい、市民の健康増進にも寄与させようという考え方を非難するのは自分勝手でしょう。
日本でも夏は暑いので冷房を使います。そのため室外機が熱を出し、周囲の気温はさらに上がります。ヒートアイランド現象です。百貨店とか大型商業施設でも冷房を効かせ、入り口から大量の冷気を外に流れ出させたりしています。それより、自転車道全体を空調で冷やしてしまうほうが、ある意味効率的かも知れません。
何かの本で読んだことがありますが、仮に街全体を覆うようなドームが架設可能ならば、その中全体を空調で冷やすほうが効率がいいという試算もあるようです。技術的に、まだ実現には問題があるようですが。空調面以外でも、激しい降雨や積雪、竜巻などの被害を軽減し、経済活動に資するなどメリットが上回るそうです。
そう考えると、自転車道全体に空調を効かせるというのは、必ずしも突飛とは言えないでしょう。エネルギーを使って余りある恩恵がもたらされると見込まれます。画像にあるように、市民の憩いの場所になったり、スポーツをしたり、レクリエーションの場にもなります。
“THE LOOP”には、植栽が豊富に配置され、空気の浄化や都市の住民の癒しにもなります。外気のままでは育たない、あるいは生育が困難な植物でも、空調の中なら育ちます。さらに、垂直に伸びたラックを使って、野菜農場(工場)なども設置する構想です。
しかし、こんな構造物の建設には莫大な費用がかかるのではと気になる人もあるでしょう。そこはドバイです。ドバイは、原則として法人税も、所得税も、不動産税、キャピタルゲイン課税、相続税もゼロです。そんなお金持ちの国に、費用の問題など心配ありません。
実は、ドバイの原油埋蔵量は少なく、石油による収入は全体の1%ほどしかありません。でも、タックスヘイブンとして金融や貿易、観光などの産業に世界中から投資マネーの集まる国です。同じUAEのアブダビなど、豊富な原油収入のある首長国もあるので、“THE LOOP”の建設費用など全く問題にならないに違いありません。
同じ中東の国、カタールでは先般、サッカーワールドカップが開かれました。スタジアムを丸ごと冷房して、観客は寒いくらいとの話も聞きました。必要ならばスタジアムであろうと、チューブ状の自転車道であろうと、空調を使えばいいという考え方は、中東では普通なのでしょう。もう、かつての砂漠の遊牧民の国ではありません。
ドバイには総面積では世界最大とされるショッピングモール、ドバイモールがありますが、巨大な空間に空調が効いているのは当たり前です。室内スキー場もあります。“THE LOOP”を丸ごと冷房するなんて驚くことではありません。むしろ中途半端に屋根だけつけたりしたら、あまり利用されずに無駄になってしまうでしょう。
ドバイは貿易のハブとして栄え、中東の金融センターとしての地位を占め、投資を呼び込むタックスヘイブンというだけではありません。世界中から観光客を呼び込む観光立国でもあります。中東の小国ですが、世界一の高さを誇る「ブルジュ・ハリーファ」、「ジュメイラビーチの人工島」なども有名です。
人工衛星から見える唯一の人工島群である、「パーム・アイランド」、砂漠の人工スキー場「スキー・ドバイ」、「額縁の形をした世界最大の建造物ドバイフレーム」、世界最大のテーマパークである「ドバイランド」など、世界一がたくさんあります。ショッピングモールだって、ドバイモール以外に46もあります。
つまり、観光戦略として、世界から観光客を呼び込むために、世界一や世界唯一、他にはない、人々が驚くような観光資源を建設してきたのです。そこに世界初の空調付きのチューブ型サイクリングロードが加わったとしても不思議ではありません。ちっともナンセンスではないでしょう。
世界有数の高級車、スーパーカーを警察のパトカーに使い、世界から注目を集めたりします。つまり広告と同じで、世界の注目を集められれば安いものという感覚があるのでしょう。新しいアイディアでヒト・モノ・カネを呼び込むためには、むしろ奇抜でナンセンスと思わせる方がいいくらいの感じかも知れません。
一方で、観光客も多いため渋滞の酷さでも有名です。タクシーを含めたクルマに依存してきた街であり、公共交通の整備が急がれています。その意味でも、渋滞を緩和し、観光資源にもなりそうな“THE LOOP”は、世界に誇る緑の回廊として、むしろ実現の可能性が高く見えてきます。
世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファは、高さ829.8メートルもあります。高いだけでなく巨大な建物ですが、この高さをエレベーターで人やものを運んだり、水を行き巡らせるには大きなエネルギーが必要でしょう。もちろん空調も全館に必要です。
それに比べれば、“THE LOOP”は空調だけで、動くのは徒歩や自転車ですから、必要なエネルギーは、むしろ小さいかも知れません。いずれにしても、暑くても節電しないと大停電になるかも知れない日本の感覚で、ドバイの屋内サイクリングロードを考えるのが間違いと言えそうです。
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たしかに、これまでにない自転車道であり、起業家精神に溢れるプロジェクトです。これがこのまま実現するかどうかは別として、この画像を最初に見た時と比べ、印象が変わってきたのではないでしょうか。少なくとも、ドバイでは欧米と同様にクルマ中心が行き詰まり、自転車を今後の重要な交通インフラとして捉えています。
計画では2024年着工、2040年完成を目指しています。大規模な駐輪場もそうですが、世界では自転車道にも大規模な投資が構想されています。日本でも自転車道に空調をつけろなどと言うつもりはありませんが、日本のお粗末な駐輪場や、狭くて色を塗っただけの自転車レーンが悲しく見えてくるのは確かです。
◇ 日々の雑感 ◇
元徴用工問題で、韓国政府が6日にも解決案を公式に発表すると韓国メディアが報じています。核兵器を保有する権威主義の国が周囲に並ぶ中、日韓がいがみ合うのが得策でないのは明らかで今後の展開が期待されます。